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人生の深きながれ

2018-10-30 15:41:08 | 日記

やっと自分のことができると、今日は朝からうれしい。明日がお茶の先生のご自宅でのお稽古の茶会。夜逃げできるかのように、きものの小物は風呂敷に包んである。なんできものを処分したのだろう と悔やまれる。明日は普段着、暖かいので春のようなきものだ。さすがに練習しないで、出かけるのはこわい。2回、練習して上手くできた。それはとても嬉しくて、自分を褒めた。

何回かぶろぐに書いたかもしれないが、きものの着付けを習いだしたのが25歳くらいの頃。『わきまえた女性になってほしい』という言葉からだ。なんできものなのかわらないが習いだした。週に1回の夜の授業を5年以上続けた。その頃勤めていた会社が当時には珍しく週休2日だった。花の金曜日が授業の日だった。5時半になるとシンデレラのように会社を飛び出した。まだ会社の旅行などが金曜日の夜からあり、「なんであの子は旅行に来ないのか?」と社長のご不満があって、お給料が上がらないときがあった。でも、その頃はエゴのエゴ子でやり通した。

お茶もその頃から習いだした。でも、33歳で独立すると、きものもお茶もどこかへ飛んでいった。空白の長いときが過ぎて、いま、ひょんなことで戻ったきた。お茶は昨年の今頃出かけた熊本八代のサッカー大会で、試合がなくなり八代見物に出かけてお茶席に出会ったのが、事の始まりだった。お茶を習いたい と思った。

気がつかないでいるが、生き方の深い部分に流れている源泉のようなものが人にはあるのではないだろうかと思う。それがあるとき、同じような流れにであったりするのではないだろうか。今日は自分のおろかさも含めて、なにか認められそうだ。自分の習い事にかけたお金は、無駄ではなかったようだ。導いてくださった方たちに感謝!

 

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