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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

グローリアをききながら

2018-12-24 22:44:04 | 日記

 ホワイトクリスマスになりそうな天気でした。今日もまた、HPOの仕事に追われました。

世界中には、まだ飢えに苦しむ人々も戦火にさまよう難民もそしてインドネシアの津波のように災害に見舞われた人々もたくさんいることを心に留めて祈りました。神のご加護がありますように。

静かに賛美歌が流れています 

 

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白い一日

2018-12-23 18:37:31 | 日記

久しぶりに『冬ソナ』の音楽を聴いてみた。なんとなくそんな季節の気がした。当時、親友はバスタオルの置いて見たという。ユジンさんのようにあんなに素直に、自分を大事にできたら・・・と思ったという。私はなんではまったのだろうか。『ポラリス』かもしれない。私が欲しかったのは『ポラリス』だった時期なのだろう。

お友だちが「クリスマスローズ」を持って遊びにきてくれた。『マリア』という白いクリスマスローズだ。「なにかそんな日のような気がして・・・」と彼女が言う。「真っ白な陶磁器を眺めては 飽きもせず かといって触れもせで・・・」確か小椋佳が歌っていた。「白い一日」だったと思う。そうか、そういう意味の歌詞だったのか と今頃思う。「この腕をさしのべて その肩を抱きしめて ありふれた幸せに 落ち込めばいいのだけれど・・・」

その胸に落ち込めばよかったのだろうか・・・。切なさにもいろいろある。大事にすれば大事にするほど、切なくて、切なくて、でも、でも、あたたかくなるもの、あたためてもらえるものがあることを知る年になった。結ばれるとか結ばれないということではなくて、『冬ソナ』の最後の場面で、ユジンさんがチュンさんが建てた別荘へ山道を登っていくシーンが甦る。あのとき彼女が着ていたブルーのコートに似たコートを弟に縫ってもらった。

今日は「冬ソナ」を聴きながら白いクリスマスローズをマリアのように眺めている。

 

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ふるさとがこころのなかにあれば

2018-12-22 20:00:31 | 日記

寒い冬至の日。ゆず湯があたたかそうだ。家から1分のポストに出ただけでどこにも出かけない日だった。1日、NPOの仕事の最後の追い込みだ。なんとか完成して、あとはクリスマス・イブに配信、発送だ。明日はお友だちが遊びに来る。ダンボール畑と書類の山をなんとかしないといけない。片づけをしながら、懐かしい写真に捕まってしまった。

生家は先日見に行った文京区駒込林町。(昔の地名)名前のように木の多い静かな町だった。古い家だった。塀が杉の皮だった。玄関の横の部屋の丸窓や二階の床の間と違い棚などは子供心にも好きだった。祖父が丹精に造った庭には、四季折々の花が咲いていた。なぜか物置が4つもあって、悪いことをすると入れられるということで恐怖だった。ぶろぐに書いたようにこの家を高校1年の終わりごろに去らなくてはならなかった。その反動で、家を出て働くようになるとお給料の割にはいい部屋に住んだ。ずっとマンション住まいだった。

でも、林町の家を時々見に行っていた。祖父の植えた木が3本くらい残っていたが、やがてなくなった。50歳のころ、高校の同級生の建築家に生家の図面を描くのを頼んでみた。「それでここは何畳くらい?」「そうね、10畳かな?」「おまえ、10畳という部屋をかいてみな。畳がどうなる?」初めて10畳という部屋は無いことがわかった。「図面を頼りに、ミニチュアの家を作ってみろよ、ハンズに材料があるだろう」そんなことがあった。

マンションに長年住んでいても、心の中には生家が生きていたことを最近感じた。寒くても住むなら古くても、ガラガラと玄関の戸を開けて、和室のある落ち着いた木の家がいい。終の棲家はそんな家にしよう。きっと辿りつける。

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月に吠えてみますか

2018-12-21 18:50:29 | 日記

夕方、買い物に出かけると、丸い月が出ていた。十五夜さんかな?少し欠けているので十四夜ではないだろうか。今日は午前中は定期検査の胃カメラだった。もう何回もやっているが、やはり落ち着かない。15分ぐらいだし、主治医の先生が検査してくださるのだから大丈夫と自分にいいきかす。無事終了したとたんに、疲れがどどーっとでて、背中や肩がみりみり痛む。「あー、終わった!」

買い物から帰って暦を見てみた。やはり、十四夜だ。あれ?もしかしてもと夫の誕生日?別にどうでもないがまだ覚えていた。今日は嬉しいことが続く。なにかぼあーんとしている。人生には自分でも説明がつかないことがある。友だちが昔結婚が決まったときがそうだったと話していた。自分ではわからないうちにどんどんことが進んでいったと。昔だからそうだったのだろうか。でも、逆らわずに流れに乗っていけばいいのではないだろうか。また、悩むようなことがでてきたら、そのときに考えれば。お気軽のようだが、もし「NO]が出たときは、それはそのほうがいいからであって、他を考えなさいということ。次に前に進むことを考えればいいし。こんな簡単な人生をやたら難しくしてきたような気もする。

話は違うが、人生で一番楽しかったことはどんなときでしたか?(どんなことでしたか)という問いがカウンセリングにある。あなたはいかがですか?そこにあなたの価値観があるそうです。人生に偶然はないような気もする。『求めよ、さらば開かれん』かな。月夜にはなにかが起こるというが、今日はそんな日なのかもしれない。

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弟からのメール

2018-12-20 21:17:52 | 日記

仕上げなくてはならない仕事があり、整理がつかない荷物もそのままでパソコンに向っていた。何度もため息をつきながら。気分転換にスーパーに行くと、お正月の商品が並んでいて、買いたい商品の場所が動いていた。クリスマスの鶏肉やらサーモンなどもたくさん並んでいる。今年は、日常と同じで、お雑煮も作らない。買い置きするとすれば、パンくらいだ。なにか毎年このままでもいいような気がする。

年末のせわしなさに加えて、決めなくてはならないことも多く、注意力が散漫だ。そんな折、明日は雪になるのでは?というように思う、弟からのメールが届いた。ベトナムにいるらしい。実家の処分で実家に帰ったことに関して、丁寧なお礼が書かれている。どうしたの??「なんとかくらしています」とあるから、どこか具合が悪いのだろうか。でも、この子も私と同じように少しは人の様子を想像するようになったのだろうか。自分だけが大変なのではないと。

この年になって、父の人生はどうだったのだろうか?母は?弟は?あの人は?もちろん想像に過ぎないが、いつが幸せだったのだろうか?私は間違いばかりの人生だけどそれでも30代から40代後半までの働き盛りは十分波にのっていたような気もする。経済的にも恵まれていた。その結果、いまはゆっくり暮らせる幸せを感じている。弟は仕事も大変だったのだろう。50を過ぎてからの海外勤務はきつかったと思う。

帰ってきたら、のんびり暮らしたら といってあげようかな。私以上に疲れた心を休めたほうがいいよ。丁寧なメールがそのさびしさを感じさせた。

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