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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

捨てられない写真

2018-12-19 20:00:36 | 日記

暖かいのか寒いのかわからない。午後からはお茶のお稽古だが、なんとなく気が重い。いつものことで、出かければ気分がかわる。普段の整理の悪さなのだが、一番若い従兄妹の電話番号がわからない。最近は電話はしていない。当然、年賀状に書いてあると思ったいたら、彼女は書いてなかった。さて、昔の年賀状にはあるだろうか?と古い手紙の箱を取りだした。ただでも年末で仏間はダンボール畑になっている。おじいちゃん、ごめんないと 押入れから書類を取り出した。ああ、こんなにいろいろな人と交流があったのかと年賀状をみてびっくり!肝心の従兄妹の年賀状にはやはり電話番号がない。諦めてしまいかけるとぽろりと喪中の葉書が出てきた。10年前に亡くなった叔父のものだった。従兄妹の電話番号があった。祖父と父と叔父とは同じ年齢で亡くなっていた。

はがきの箱の後ろから、未整理の写真が出てきた。捨てるときは一気にとそのままにしてあった。そうだ、今日はお茶なので昔のお茶の写真を先生にお見せしようと 探した。今と同じような髪型をしているが、しみもしわもなくふっくらしている。そして、今よりも難しいお手前をしている。若いとはそれだけで価値があるのかもしれない。時間があるので、他の写真も見てみた。未整理なのでいろいろな時代のものが出てくる。精一杯生きていた自分がいとおしくなった。

40代に沖縄へ行ったときの写真が出てきた。もと夫と塾を経営していた時代、夏期講習が終わりご褒美に沖縄へ行かせてもらった。塾の若い先生と一緒だ。その彼女が今、もと夫のそばにいる女性だ。親子のように一緒に出かけるくらいだから仲が良かった。今写真を見てびっりした。もちろん、彼女は若くて可愛いが、着ているものの色調やセンス、そして雰囲気が似ている。えっ!当時は気がつかなかった。そういうことなのね・・・・。

今日は自分の年から13を引いてみた。おお、そうか、ほうほうとひとりうなずいた。花田美恵子さんの再婚相手が13歳年下という芸能ニュースにミーハーで反応した。ため息をつきながら、写真をどうしようか?と迷った。そこそこスタイルもいいし、そこそこきれいだし・・・・。でも・・・・。

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きずな(樹木希林)

2018-12-18 17:52:22 | 日記

夕方買い物にでると夕焼けがうつくしい。明日に希望が持てそうだ。12/21が冬至。1年で長い時期だ。朝ドラがなにか重かったのか、珍しく気持ちが沈んでいた。実家の処分やらし始めると、「ひとり」を感じる。弟は海外でメールを送っても返事はない。今に始まったことではないので「いい子なんだけど・・・」で納得させる。何かのときは唯一の身内だが、頼りになる兄が欲しかった。

なにかのときにいつも助けてくれる親友が二人いる。彼女たちとの関係を説明するのが難しい。あまり世間にはない関係らしい。母がよく羨ましがっていた。母ならいいが、第三者に説明するのはさらに困難だ。40年以上もお付き合いが続いているということ自体、わからないらしい。でも、このごろこんな言葉を口にするようになった。樹木希林さんの新聞記事の「絆も信じすぎるとお互い苦しくなる」だ。自分達の「きずな」が苦しいのではないが、やがてくる別れのときを思うからかもしれない。「○夫さんが亡くなったときはそばにいてね」と言われる。人を愛しすぎた彼女たちだ。

だから、「最終章から考えよう」と思う。暗くならずに「ありがとう!」で終わるのよ と私は言う。若者が遠慮なく訊ねた。「古矢さん、もし蓄えがまったくなくなったらどうするんですか?」と。若いということは残酷だ。なんと答えたかは書けないが、その答には若者は納得したらしい。最期の「ありがとう」に向って歩いている。「きずな」はそこでつながっている気がする。

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ひとりなべ

2018-12-16 19:50:04 | 日記

今日も寒い。特に約束がないので家で仕事ができる。風邪ひきは、あたたかく、栄養と睡眠をしっかりとのんびりがいいと決め込んでいるが、良くならない。回復力が弱っているのは年のせいだろう。お友だちの100歳になるお母さまが、足が悪くなり、炊事ができなくなったのでいよいよ介護で自分の時間がなくなってきた とメールしてきた。いままで介護せずにこられただけでもありがたいという。地続きの一軒家同士。それも広いので大変だろう。要介護でも、人に頼らずに介護をするらしい。頭が下がる。地域的なものもあるので、簡単に施設などには預けられないのかもしれない。

今日は「いのち」という冊子が完成できた。1日パソコンに向っていられないとなかなか編集が進まない。こんな日は相棒に断って(二人の食卓の相手)鍋にする。材料を切るだけだ簡単だし温かいものが食べられる。「鍋はひとりではさびしいわよ」という人もいるが、我が家は一応二人分食器を用意すので、形はつく。でも、ふと母の姿が浮かんできた。週に3回は一人で食事をしていた。寒いときはほとんどベットに入ってTVを見たり、寝ていた。食事がくると起きだして、一人でテーブルで食べていたらしい。その姿が今のほうが目に浮かぶ。さびしかったろうな と。

誰かと暮らしていた人がひとりで食事になるときっとさびしいだろうな と思う。男の人が外食になるのもわかる。食事をするという言葉は人間にしか使わない。今は元気にひとりもりもりと鍋をたいらげているが、あと10年もするとさびしいのかな。いえいえ、私は元気で鍋を楽しむ気がする。最近「さびしさ」が飛んでけ、飛んでけ でどこかへいってしまった。元気なばあさんになった。始末が悪い婆さんかもしれないが。

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かれに魅かれたわけは?

2018-12-15 18:31:17 | 日記

昨日、今日は忘年会が多いのだろうな と思う。街がにぎやかだ。暮れの1日は早い。あれもこれもと思ううちに日が暮れる。郵便局に行くと混んでいた。荷物を出す人、年賀状を出す人とやはり年末だ。年賀状もまだまだ何百通と出す方もいる。皆さん、暮れの行事に忙しい。

昨夜でNHKのドラマ、昭和元禄落語心中が終わった。予想をこえるストーリーだった。なんで毎回、胸を締め付けられるような思いで見ていたのか?なぜこのドラマに惹かれたのか?が最終回でわかった。おそらく、岡田将生が演じる八代目八雲に魅かれていたのだろう。でも、全く最終回までそれに気がつかなかった。ただドラマでも、八雲が背負っていた重い、重い荷物をどこかで感じていた気がする。

初めて会ったときは、相手のことは何も知らない。名前と所属、どのあたりに住んでいるのか、そのくらいだ。でも、なぜか心にかかる人がいる。そして、このドラマのように少しずつ魅かれたわけがわかってくる。私の場合はなにかを背負った人に魅かれるらしい。困ったものだが・・・。その何かを本能的に感じて、少しでも軽くなればと、近づいていく気がする。それが私の「性」のような気もする。べつに困ってもいない。

八代目八雲が背負ったいたものはすごい。それを告げずに生き抜いていた。でも、最後にそれが解き明かされた。それで何故毎回苦しい思いをして見ていたのかわかった。遭った時からその人のなにかに魅かれていたのだろうむしろ、それがしあわせにつながることもある。人生はわからない、だからおもしろいのかもしれない。

 

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しあわせの感染症

2018-12-14 19:00:14 | 日記

昨日の誕生日は嬉しいことがたくさんあった。フェイスブックを久しぶりにUPした。今年の一番感動したことに、先日取材した電動車いすサッカー大会を挙げた。そして、湖北の紅葉と琵琶湖に沈む真っ赤な大きな夕日を挙げた。どれも「いのち」を感じたものだったからだ。電動車いすのプレイヤーたちから友だちのリクエストがあった。うれしかった!いきいきと生活をしていることが伝わってきた。彼ら(彼女ら)と過ごした時間は私の人生を変えた。

人生を変える出来事で思い出すのが、マリアのYESだ。婚約者ヨセフと結婚する前に身ごもったマリア。マリアは聖霊によって受胎を知らされ、ヨセフはマリアを不義密通で世間に公表して、マリアを石打ち刑にする権利があった。でも、マリアを受け入れた。マリアは、聖霊に懐妊を告げられて驚くが、神さまのなさることに従うと聖霊に伝える。これをマリアのYes と言っている。

マリアのようにYES と言えるだろうか。ヨセフのようにマリアを受け入れられるだろうか。これはキリスト教の信仰の話だが、現実に『冗談じゃない・冗談でしょう』と受け入れられないことも多い。災害もそうだし、親しい人の死もそうだし、喜びごとは少ないかもしれない。

「生まれてから歩いたことがない」という車椅子の彼らはそのことをどう受け入れたのだろうか。私などほんの少しの肉体的欠陥でも受け入れられないことがある。ただ、彼らと接した短い時間で感じたことは、「諦めた」のではない気がする。そういう運命だから という気持ちは感じられなかった。自問自答しながら超えていった道のりなのだろう。私などには想像がつかない道のりだろう。でも、彼らは私にたくさんの勇気をくれた。

今朝のTVで面白い言葉があった。いい意味での「感染症」だ。しあわせにつながることで、それは「人のためになにかをする」ということだそうだ。そうするとされた人も嬉しくて他の人にまた、「人のためになること」をする。という感染症だ。朝から幸せな気分になった。

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