処遊楽

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。
力一杯生きよう。
衆生所遊楽。

花菜ガーデン

2019-05-25 14:48:01 | 四季

朝刊に挿まれたチラシに誘われて”花菜ガーデン”にショート・ドライブ。陽気は上々。

生まれ育った平塚市の田園地帯にある最近話題のバラ園である。

 

これほど広くて清潔で整った施設とは思いもよらなかった。入場口の近くの屋内では、サツキの展覧会。ひとつひとつに授賞のラベルが張られていたが、なるほど納得の作品。

 

開園は2010年。正式には『神奈川県立花と緑のふれあいセンター』という。3200余の季節の草花が楽しめる。一目で丹精されて育てられていることがわかる。

薔薇の次はあじさい。待ち遠しい!!

《花菜ガーデンHP》

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ジャズ・シンガー 冨樫 勝彦

2019-05-16 14:17:58 | ジャズ

古希を過ぎても現役でジャズを歌ってる歌手がいる。冨樫勝彦氏である。

かつては一流どころの勤め先でキッシンジャーなどビッグ・ネームを相手に通訳を生業をしていたが、その後転職、起業や職替えなど辛酸を舐め、還暦を迎えた時に、「残りの人生どうせなら、好きなことをして生きてゆこう」と決意し今に至っている。

 

       

人生の転換を本人から初めて聞いたときは、既にボイス・トレーナーの下に通っていた。決意の固さに驚いたのだった。

ジャズ・ボーカルは超マイナーな世界。しかも男性シンガーは絶滅危惧種というに等しい。本気なのか! 食っていけるのか! 家族は! 大きなお世話であっても、友達なりの不安を抱いたのだった。それがどうだ。もう10年余を数えた。その努力と意志に改めて敬意を表している。

盛り場の小さなライブ会場、売り上げはまず会場費、次に伴奏のミュージシャン、腕のいい連中であればあるほどギャラは高額になる。その残りが自分の取り分。まともな生活はできないのが実情。年金生活の方がはるかに恵まれているだろう。

でも彼は歌う。好きな歌を唄える幸福感に浸って。その姿は一面、同世代には、眩しくもあり羨ましくもある。

彼は、歌の合い間の喋くりが最高。情に溢れた小話やら虚実の判らぬ話やら男と女の話やら、オーディアンスは思わずニッとなる。余程年季が成なければこうは出来まい。まさにエンタテイナーだ。

   

ライブの傍ら、「読売日本テレビ文化センター」では講座を担当している。日本でも近年は高齢の歌手も多くなってきた。彼には本場のジャズ・シンガーのように渋く味のある歌い手になって欲しいと思う。老けたらジャズ・ボーカルは俄然男がいい。シナトラ、ベネット、コモ、クロスビーその他大勢。フレー・フレー!!

彼にはいつも年の初めに年間のライブの案内を戴く。二月に一度位は予定を組むが、ちゃんと実現した試しがない。

今年も既に半年近くが過ぎてしまった。ジャズが好きな人、ちょと冨樫を聞いてみたいという人のために下半期の予定を紹介しよう。なかなか行けないせめて罪滅ぼしに。

 

 ※下記ライブ会場のタイトルは夫々のHPにリンクしています。クリックをどうぞ。

 

「茶会記」(東京・四ツ谷3丁目)

 

 6月24日(月) 13:30

 7月30日(火) 18:30

 8月26日(月) 13:30

10月28日(月) 13:30

12月23日(月) 13:30


 

 

     「羽生の杜」   

    

  

 

「ソーシャル・コミュニティー めぐりや」

                   定食・酒場  23区北部/北区

 12月19日(木)クリスマス・コンサート 夜

 12月20日(金)クリスマス・コンサート 夜

 

 

 

 

 

 

 

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戦艦大和ノ最期

2019-05-08 11:11:10 | 

著者 吉田 満

出版 講談社文芸文庫

1994年8月10日第1刷

201頁

 

  

慟哭の書である。同時に無念の書であり憤怒の書である。そして何より鎮魂の書である。

昭和20年4月7日14時23分、鹿児島県坊ノ岬沖でアメリカ軍の300余機の攻撃を受けて沈没した戦艦大和の終焉とそれに殉じた将兵の姿を描いている。

軍の無謀な作戦により戦死者2,740名、生存者269名。その一人が著者である。この惨劇のすべてを後世に残さんと、歴史の神様は、この著者を生かしたのだろうか。

カタカナ漢字による文語体と豊富な語彙、的確な表現が、この作品を戦争記録文学の最高峰に仕立て上げているのは、誰しも認めるところだろう。

物書きの戦争作品は数多ある。しかし、この吉田満は本来、プロの作家ではなかろう。復員後、吉川英治に薦められて書いた本書が評判になり、引き続き関連の戦争物それも自身の実体験のドキュメントとして綴ったに過ぎない。

戦後日銀に入行しニューヨーク駐在、青森支店長、仙台支店長、国庫局長、最後は監事まで上り詰めたその後の足跡を見た時、むしろ、有能なビジネス・マンととらえられる。不思議な巡りあわせの奇跡の書でもある。

戦後74年、令和開幕の奉賀に浮かれる世情下にあって、この名作を読むことが出来たことを感慨深く思っている。

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