今年は日中両国の国交回復46周年、平和条約締結40周年の佳節に当たる。
その意義を込めたライブが催され、両国の友好を願う一人として参加をしてきた。
83年前、24歳の中国青年が藤沢村の鵠沼海岸で水死する出来事があった。その人は、お隣中国の国歌=義勇軍行進曲を作曲した音楽家・聶耳(ニエアル)だった。
1954年、藤沢市民の有志によって記念碑が建てられたが、台風によって破損、65年に郭沫若の揮毫「「聶耳終焉之地」で再建、その後記念広場の整備や解説碑や石碑の建立・序幕式などが行われ、現在に至っている。
地元藤沢市では、中国が生んだ偉大な音楽家の死を悼んで、折に触れて様々な催しを行ってきた。この日も、台風接近で、参加者は少なかろうとの当方の予想を裏切る盛況。参加者は高齢者が圧倒的。
中国側からのプロの歌舞団の合間に、日本の爺さん婆さんの合唱団や余興チームの演目も。聞けば、毎年訪中しては、各都市の舞台に出て交流を深めているという。
外交や政治ではない。こうした市井の交わりの不断の積み上げが、理解を促し信頼感を醸成し、やがては平和世界への構築へと広がり行くのだろう。印象に残る集いではあった。
聶耳。