総合雑誌『潮』の長期連載が単行本として順次出版され、それをテーマを絞って抜粋し文庫化したもの。内容も形態も読者の興味と利便性の重視が感じられ好感である。一気に読んだ。
創価学会の現代史とも言うべき小説『人間革命』は、続編『新・人間革命』と併せ新聞連載は半世紀超にわたり7978回を数えた。
この大河民衆小説の展開を縦軸にして、そこに登場した大小さまざまの事実を拾い上げ、いわゆるスピン・オフのヒューマン・ドキュメントとして人間群像に彩を添えた『潮』誌の《民衆こそ王者》シリーズ。畢竟、その抜粋がこの本である。
原作『民衆こそ王者』の舞台が広大なだけに、それを追っての事実の確認と文章化は至難極まりないことは想像に難くない。一体何人で取材しどのくらいの費用をかけているのだろうか。要らぬ思いが一瞬よぎる。
ここで紹介されている事実の断片はどれも胸を打つ。中でもブログ主が最も感動したのは、沖縄返還交渉の経緯を描いた諫言の書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス-核密約の真実』を著した国際政治学者若泉敬氏を、長年の労をねぎらうために池田大作氏が設けた宴の席で若泉氏が歌うシーンである。
” 居ずまいを正した若泉は、「一曲歌ってもよろしいでしょうか」と池田に尋ねた。「どうぞ」。すうっと息を整え、朗々と声を発する。それは「一献歌」という歌だった。
戦後日本を「愚者の楽園」にしないために。精神的な「根無し草」にしないために。そう念じ行動し続けた若泉の、全精魂込められたかのような歌声だった。”とある。
一、男の酒の 嬉しさよ
忽ち通ふ 粋と熱
人生山河 険しくも
君 盃をあげ給へ
いざ吾が伴 よまず一献
二、 秋 月影を酌むもよし
春 散る花に酔ふもよし
あはれを知るは 英雄ぞ
君 盃をあげ給へ
いざ吾が伴よ まず一献
三、木枯 いつか雪となり
もの 皆凍てる冬の夜も
吾等に熱き思ひあり
弱音を吐くな 男の子なら
いざ吾が伴よ まず一献
四、よしなき愚痴を言ふ勿れ
なべては空し 人の世ぞ
消へざるものは ただ誠
語らず言はず 目に笑みを
いざ吾が伴よ まず一献
五、男の子じゃないか 胸を張れ
萬策尽きて敗ぶるとも
天あり 地あり 師匠あり
君 盃をあげ給へ
いざ吾が伴よ まず一献
著名は『迫害と人生』。この平和(ボケの語が続き揶揄や自虐の表現とされること多し)の日本で何と大仰なタイトルか思う向きも多かろう。しかし、改めて周囲を見渡した時、その認識自体がボケていることに気付かされる。一目瞭然、世間に枚挙のいとまがない。
この著名は本書の最終章の第七章で紹介される池田大作氏が創立した創価大学での講演のタイトルに由来する。氏は満場の学生を前に、古今東西の人物論を語った。
・冤罪で大宰府に流された菅原道真。
・幽閉中に名文を残した頼山陽。
・"獄中座談会"を開いた吉田松陰。
・祖国から追放された詩人屈原。
・屈辱を忍び『史記』を綴った司馬遷。
・投獄と抵抗の連続だったガンジー。
・亡命期に傑作を書き続けたユゴー。
・酷評され続けた天才画家セザンヌ。などである。
46分間にわたる講演の結びは以下の通り。
「若き学徒の諸君にあっても、長いこれからの長い人生の旅路にあって、大なり小なり悔しい嵐の中を突き進んでいかねばならないことがあると思いますが、きょうの私の話が、その時の一つの糧となれば、望外の喜びであります」
冬将軍の到来を前に、世界はウクライナのこの先を悲痛な思いで息を止めて凝視している。民主主義の選択は間違いだった論も力を得、各国では差別と分断が進む。
目下の国内外の情勢を鑑み、この小本は、自身の立ち位置の確認と行動規範の指針として、暫くは机上に置くことにしよう。