二泊三日で東北三県を回ることになる。まずは山形新幹線”つばさ”で山形へ。そこで同僚とドッキング。 2時間43分、360km。
駅前から路地を入ってビルの地下 "そば処久司" でランチ。逸品の "やな天そば" で腹ごしらえ。
お得意様回り3件をこなして、この日の泊りは " ホテル・バーデン"。同僚曰く、「畑の中の一軒ホテル」「周りには何もない」
「でも温泉」と。全くその通り。で4階の居室へ。窓から見た景色には仰天。桜・桜・桜。実に見事。
不思議なのは、ウィーク・デイということもあるかも知れないが、花見に付きものの喧騒が全くない。
とにかく付近には食事処がない。タクシーを呼んでも20分かかる。で、ホテル内レストラン定食。1480円。
温泉目当ての近在の家族連れは、健康ランド風に利用しているようだ。飲み食いゆったりの団欒。みんなこのレストラン。
営業方針だろう。
知る人ぞ知る "てんぷら佐久間" 。かつては郡山駅前で営業していたが、閑静な住宅街に場所に移っても先客万来。
ランチ時は、客の殆どがスーツ姿の出張連中。どのテーブルも上司を囲んだグループ。旨い店が語り継がれてゆく。
常磐道沿いは山桜が可憐。
途中休憩のサービス・エリアには刻々変わる線量の掲示板。
いわき駅に立つのは初めて。明るい現代建築。
周辺の主要道路は、朝晩の渋滞が酷くなったとか。原発による避難が2万人とか。
この日、熊本で激震。出張の度に、地震の有無には一種の覚悟で出かける。連続の福島で、少なかった熊本の震災報道に出会うとは。
帰京は、いわき駅からJRで。座席の頭上には、予約済を知らせるランプが点滅。停車駅でシートが埋まると「赤」に変わる。
二泊三日900キロ。二日後にぎっくり腰になる。トホホ。
家人が産直物産展で、《 ノーベル賞のパーティで出された日本のお酒 》 のキャッチに惹かれてれて買い求めた。
《 日本経済新聞 お薦めの梅酒ランキング第一位 》というのも効いたようです。
「北陸の梅酒?」 「上手いの?」 ご当地の皆さまには誠に失礼ながらそう疑いつつ口にしたのだが、とてもコクがあってしっかりしてました。美味しい。
説明書によると、朝取りの梅の実だけを使い、上質な醸造用アルコールと砂糖、白山の伏流水で作った『こだわりの梅酒』味わいの加賀梅酒。
仙台に住む先達から絵葉書を戴いた。
3.11直後に人生の師から ”この一生、東北家族と総仕上げ” との激励を賜ったとの由。その薫陶のままに、今、被災地の人々に寄り添い励まし行を続けておられてる。その展開の中にこそ、自身の人生の総仕上げもあると。
「今から、此処から、自分から」。先達の決意である。頭を垂れるしかない。息災を祈るのみ。
これらが認められたのは、当該地方の有力紙『岩手日報』謹製の絵葉書で、同紙の首脳からの戴きものという。撮影は、同紙のカメラマン山本毅氏。まるでアニメのように美しい。
撮った人、作った人、あげた人、書いた人、貰った人。
人から人へ、心から心へ、思いは同じ。” 寄り添いと励まし、そして希望 。”
いままた熊本の惨状が続く。絆を線から面へ。過去から未来へ。
ここのところ山陰への出張が続く。その隙間を縫って訪れる。
宍道湖畔のロケーションが素晴らしい。館内が広く明るい。ウィークデイの開館時ということもあって鑑賞客が少ない。
エントランス遠景。前庭にはブロンズのウサギが一杯。
ヴォリューム溢れる裸婦がお出迎え。
このスペースから眺める宍道湖に落ちる夕日は大変素晴らしいとの評。朝で残念。
作品をメモるのを忘れた。
「波」(1869年) ギュスターブ・クールベ
「裸婦立像」(1980年) 石本正
「パパとママとコドモタチ」(1949年) 植田正治
「水俣」
「緑なき島 軍艦島」(1954年) 奈良原一高
「聖徳太子像」(1932年) 高村光雲
「ヴィクトル・ユゴーのモニュメント」(1897年) オーギュスト・ロダン
屋上のカバ親子。ネットにはこれに跨る人の映像もあった。いいのかしら。
また来ようと思う。
タイトル「鬱陶しい蝶々」。
久しぶりに購入した額絵である。家人の退院記念に求めた。
ピカソのポスター画「花束」が30年を経、大分色褪せてきたので入れ替え。人生のリスタートの意も込めた。
作者曽根昌子画伯は高校の同学年の同窓生。
先月、深大寺の桜観会の際に訪れた"ぎゃらりー由芽"4人展で衝動買い。
この齢になると、ペットは飼えない。で、この黒猫と暮らしていくことのした。