小さな水槽に熱帯魚を飼って1年余。6尾が今や30尾を越えるまでになった。
小さな命のありかをいつも心に留めておくのは、とても素晴らしいことと知った。
で今度は、草木。季節柄、朝顔とひまわりを種から育てることにした。
以下は、そのヒマワリの成長記録である。
5月22日
5月26日
6月1日
6月13日
6月19日
7月10日
7月20日
7月25日
7月27日
7月30日
過日、杏の実のブログをエントリーしたのだが、それは苗からの植栽だった。これに対しとある御仁から、自分は種から杏を実らせたと連絡を寄せられた。
桃栗3年柿8年。前期高齢者には時間が無い。で、ヒマワリにしたのだった。
いま、流行の時代物、それも藤沢周平原作の下級武士の悲哀に満ちた残酷物語である。
時代物も、変れば変ったものである。
50年前、正月の三ケ日、満員の映画館で2本立てで観たのは、市川歌右衛門、中村錦之助、片岡知恵蔵、東千代介、大川橋蔵が主演の旗本退屈男、一心太助、次郎長、忠臣蔵など、いわゆるチャンバラであった。
ここ十年は、藤沢周平作品を中心に、一人の侍の生き様、死に様を描くようになった。右肩下がり、リストラ、非正規社員と、世相の変化を映し出してのことだろう。
当時と最も大きな違いは、リアリズムという点か。
この『必死剣鳥刺し』も、冒頭の、武家にしては粗末過ぎる兼見三左エ門の屋敷のディーテイルは、ノンフィクションのようである。
豊川悦司の起用は、最後の断末魔のシーンのゆえだろう。血まみれになりながら力尽きて もなお、岸部一徳に迫り仕留める鬼気迫る迫力は、豊川の世界だ。
『たそがれ清兵衛』真田広之(2002)
『隠し剣鬼の爪』長瀬正敏(2004)
『蝉しぐれ』市川染五郎 (2005)
『武士の一分』木村拓哉(2006)
『花よりもなほ』岡田准一(2006)
なかなかにキャスティングの重要さがわかるというものだ。
映画評論家がかつて言っていたが、日本人の男優なら、たとえ大根役者であっても、《兵隊》と《やくざ》をやらせたら、例外なく上手く行くと。
侍役は、そうはいかないようだ。
オフィシャル・サイト
原題:IL PAPA DE GIOVANNA
イタリア
邦題のイメージからは大分かけ離れたシリアスな物語。原題の『ジョヴァンナの父』の方が相応しい。それでは集客は望めないが。
家族ぐるみで付き合っている他家の亭主に愛を寄せる母の心を知ることで、次第に心を病んでいく娘。その娘を最後まで一人手を差し伸べて温かく寄り添って歩く父。この父娘の会話と生活と交流が、温かくそして哀しい。
イタリアには、こうした親父とかおじさんとか、人生の哀歓を演じたら唸るほどに上手い男優が多い。このシルヴィオ・オルランドもヴェネチア国際映画祭で主演男優賞に輝いている。
銀座シネパトス 観客21名
オフィシャル・サイト
《 MORANDE pionero 2008 》
生 産 国 チリー
地 方 クリコ
メ ー カー パブロ・モランデ
葡 萄 種 ソービニョン・ブラン
ヴィンテージ 2008
なんと飲み易いワインなのだろう。のどごし爽やか。
ペール・グリーン・イエロー。クールな酸味とフルーツの香り。
連日の35℃に耐えて、夜、程よく冷えた軽やかな飲み口は、もうたまりません。
30年前いや20年前まで、日本の街のいたるところに”純喫茶”というものがあった。
学生時代には、コーヒー一杯80円。4人が2組向かい合って中にテーブルの形や、電車のように二席並列で同方向に向く配列のもの。いずれも天井が高く、調度品もしっかり物。
多くはクラシックのレコード流され、店内は薄暗く、ウェイトレスは白いブラウスに黒スカートという装いっだったか。ステンドグラスも印象にある。
店の名前で多かったのが ’田園’ ’白鳥’ ’古城’。この ’らんぶる’は銀座にもあり、仕事の合間に暑いと言ってはアイスコーヒー、寒いといってはレモネード、眠いと言っては30分の仮寝に、面白小説の大詰めの読書、と重宝したものだった。つまり、さぼりの拠点。
この’らんぶる’は新宿に現存する。椅子席200。男女のウェイター、ウェイトレスは昔ながらの黒白衣装。入った途端に時が止まる不思議な空間。
どこかのどなたかの”純喫茶”のブログを拝見した。都内に限らず、遭遇した”純喫茶”をエントリーしていて、実に懐かしかった。今や絶滅種。記録に残す意義大いにありだ。
あまりにやる気がないと見たのか、成人病検診後半年経って、保健師に呼ばれてしまった。
一日に減らすカロリーを計算され、その消費のためにやるべきこと、毎日の体重記録付けから駅階段の強制使用、そして食べてよいものよくないもの、など細かい指導を受ける羽目になった。
不摂生に日々を過ごして来た身では、励行しないわけにもいかず、時々実行しては、達成感に浸っている。
そのひとつが、通勤時の歩行延長。時々、新宿御苑の脇を歩く。時間にして40分。
この日は偶々早い夕方で、 まだ入口が開いており、園内を歩いてみた。
何の変哲のない緑陰だが、目にしみる濃緑とむせ返る草いきれで深山に来たよう。
苑塀に沿った道路をかなり激しく車が往来するが、その喧騒は全く伝わって来ない。
梅雨の晴れ間の夏日だが、微風が通り抜けて実に気持ちがいい。
カメラと付属品を抱えた重装備の熟年カメラマンが多い。最近は、同様の婦人も多くみかける。
白髪の女性写真家、いいですねえ。
この御苑の脇を走る道路に沿って建つマンション群。1階には洒落た店が並ぶ。テラスもあったり粋な造りで、緑が満喫できる。9階などの上階にはない。あれば、集客満点で儲かるだろうにとは、野暮天の考え。壮大な森を我が家で独り占め。手離す筈は無い。
《 クラン アロマティック 》
デンマーク産
40g
800円
世界的に有名なブランド「クラン」。「一族」とか「仲間」の意味。
デンマークの名門オーリックによって復活・蘇生したと、とあるブログにあった。
14種類の葉をブレンド。シャグ・カットなので手巻きタバコとしても楽しむことが出来る。
マイルドながらスパイシーなココアの香り。火持ちがいい。
6年前の2月、杏にまつわる気高く尊いエピソードに触れる機会があった。
いにしえの中国では、孔子と弟子たちが杏の花のもとで学んだという逸話や、慈悲深い名医が患者から治療費を受け取らずに、「代わりに杏を植えてください」と頼んだという故事。やがて、壮大な杏の林となり、その実りが人々のために役立てられたという美しい物語であった。ちなみに、医師、医院の別称を「杏林」と言い、杏林大学の由来はここにあると初めて知ったのだった。
冬を越え、春に美しい花を咲かせ、初夏には見事な実りを迎える杏の姿には、「知性」と「慈愛」、「健康」と「長寿」、そして「勇気」と「忍耐」という彩りがあると言う。
その時の感動の記念にと、即刻苗木を植えた。そして今年初めて実がなった。杏の実が2ケ大きく育った。これから毎年、杏の実が感動を甦させてくれる。ブログこの項は、杏の成長の記録。
先月このブログに、過去乗ってきた車をあげてみたが、正確ではなかった。
あれたちの前に、専ら乗り回していたが所有者は親父だった車があった。従って通算は12台となる。
それらを回顧してみることにした。
スバル360。
大学入学前にバイト代で免許証を取得、ビーチぞうりで湘南地方を乗り回していた。サイド・ブレーキがかかったまま走行し、白煙→高熱→ワイヤー切断という事態に相成ったのであった。
我が青春そのもの。カタチとオトとシンドウそしてニオイ。懐かしい。
サニー1100
所帯を持って初めての車。親しくしていた近所のご夫妻が転居することに。車は必要のない地域なのでと譲り受けることになった。
日産自動車が新しく出す大衆車のキャンペーンで、車名を公募。ジャズのスタンダード・ナンバー《On The Sunny Side of The Street》から‘サニー’がいいと決めていた。応募しなかったのだが、結果その名に決まった。悔しかったこと。
搭載しているエンジンB110は名器と聞いたことがある。
レオーネ
ボロでもいいからエアコン付がいいと求めた車。ダッシュボードから送り出されてくる空気がいつまでたってみ涼しくならない。あれほど店側にエアコンを確認したのに・・・、騙された。だから安かったのだ。
富士山五合目に上った時、エンジンルームから蒸気が噴出したのには驚いた。エンジン音がなんともいえずいい。
レオーネ・ハードトップ
エンジン音が気に入り、次もレオーネにした。リア・ウインドウにはレースのカーテン、シートは本革、細部にいたるまでラグジュアリー。シルエットは前方を除けばベンツに遜色なし。
出勤時、自宅の近くのT字路でダンプとぶつかる。奇跡的に怪我は免れたが、車はシャーシーが歪み復元不能、泣く泣く手放した。
ファミリア
当時、若者に爆発的に人気のあった赤のファミリア。年嵩がいって、チョット恥ずかしかったが、足の無い不自由な生活よりはと入手した。40歳頃だったか。
ヨーロッパを走る車につける国別認識ステッカー(白地の黒字の楕円形)の"F"をつけたのだった。もちろんフランスのFではなく、ファミリアのF。
スターレット
初めてのトヨタは、スターレット。小回りが効くし、堅牢。余分な飾りは無い。実用一点張りの印象。さすがは日本代表のブランド、ユーザーによく応えています。特段のエピソードは無し。
ミラージュ
名前は戦闘的だが、それは走りだけ。平和的、庶民的、生活的な車。なんたって、世界に誇るミツビシのファミリー・カー。
ローレル・メダリスト
ボルボのディーラーに勤めている友人が、個人的なビジネスとして出物のローレルが格安で手に入るという話を持ってきた。
車高が低いのとモス・グリーンのカラーに好印象を持っていたこともあり、即乗り換えたのだった。
室内のゆっとり感が得がたい。それに静か。これまでと違ってどこか大人の風情。あのデザインは今でも通じると思っている。
サーブ900
乗っていたローレルの何回目かの車検の時、エアバッグ装着車にしよう、どうせなら外車にしてみるのもいいかな、欧州車の小さいのがいい、ということで、ローバーの中古車を探した。
たまたま入った販売店のオヤジさんに、ローバーは殆どが実はホンダ製だと聞かされて、興味を失う。虚実は知らず。でこの時最終的に選んだのがサーブ900。これは大正解だった。
1、北欧の人間工学の見地からの設計。
2、加速の力強さ。さすが飛行機製造会社がつくる車。
3、無骨で独特なデザイン。
何から何まで目を開かせたカルチャー・ショックの一台ではあった。
色は、ルビー・レッド。
乗っても乗っても疲れない。
サーブ9-3
車のファンというか愛好家というかクラブというか、そうした集まりは数多いと思うが、サーブほど熱狂的に支持する人が多いのは他に無いのではなかろうか。20年も30年前の車種を、装甲車のようなかつてのデザインの車を意気揚々と走らせている御仁をよく見かける。
何台も乗り継いでいる。私でさえ2台続けた。サーブにはそうさせるDNAがある。10年もすると独特な振動と大きくなったエンジン音。面倒がかかればかかるほど、愛しくなる。意思をもって踏み込むと、一気に汗馬のごとく猛然とダッシュする。我が家はサブちゃんと呼び続けてきた。
実は、次もサブちゃんと決めていた。が、リーマン・ショックが引き金となって突然の閉鎖の報。これを中国系企業が経営することになった。わずか1000人も満たない職人の手造りの会社が、中国系になったらどうなるか、技術も理念も経営も伝統も破壊され続けることになる。
冗談じゃない、これがサーブをやめた理由である。