恥ずかしながら、これまでボランティアなるものをしたことが無かった。この《ボランティア》という呼称も活動も、我が青春時代には聞いたことも見たことも無かった。似たようなものが《手助け》《助け合い》であったか。歳末に街角で楽器を奏でては協力を呼びかけるキリスト教系の社会活動を目にしていた程度だった。
それが阪神淡路以降、各地の災害救援活動に身を挺する若者の姿が目に見えて増加し、今では行政や国を救援に引っ張り出す大きな民衆勢力となってるのだから恐れ入る。正直なところ、身体が動いていた時代は時間も経済的余裕が無く今はその逆。あの「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」と宣うたスーパー・ボランティア小畠春夫氏の一世風靡からこのかた自然災害が報じられるたびにイジケては肩身の狭い思いをして来た。
ところが縁あって、生涯で初めてボランティア活動をすることになったのである。私にでも出来るボランティアの話が突如舞い込んで来たのだ。普段、街路樹保護運動をしている知人が、その運動仲間の「ボランティアが集まらない」とのぼやきを耳にし「暇を持て余しているのがいるから聞いてみる?」となり、働くのは2日間の午前中だけという条件に、「ならなんとか耐えられるだろう」と初挑戦になった次第である。
活動の場所は我が家から車で30分の ”遠藤笹窪谷公園” 。2年前に開園した浅い谷状の湿地・樹林・草地の生物多様性公園である。作業の中身は湿生畑地の草取りと石拾い。
初日、所定より30分早く現地着。9時前に 三々五々"仲間”が集まり、件の中心者より「今日から一緒にお願いします」と紹介される。男性6人女性1人。どうやら皆さんはお互いをよく知るボラン仲間のよう。どうやら60~70歳代。「無理はしない」「マイペース」「休み休みでいいから」「ひとのやり方を見て同じように」と大事かつ丁寧な訓示を戴く。作業道具は、用途に合ったのを勝手に使っていいと。まあ、腰痛持ちとしては、そのカヴァーに気遣わざるを得ず、肝心の作業の達成感より大過なく終えたことが何よりだった。
2日目、最終日。男性4人女性1人。前日とは違う皆さん。年齢域は同じくらい。作業衣・作業の腰つき・会話内容など相当のベテランか以前こうした仕事をしていたような頼もしい男衆。この日は石拾い。拾ってはプラバケツに入れていくのだが、土中から頭出しの石を掘り起こす作業はその石の大きさが判らず、結構な重労働。この日は婦人のボラン仲間からチョコレートを2片戴き、そのお礼に当方からは飴玉1つ。11時20分作業終了。
この両日の作業に当たったメンバーは《花菖蒲班》というらしく、この次の作業のピークは花が咲く6月頃のようで、貴重な戦力しとして登録され、招集の員数に入ったようだ。登録済みのボランティア。今後は如何なる災害救援ニュースにも怖じることなく、頭を挙げ胸を張り社会貢献の最前線を我がこととして創意工夫に励んでいこう。