赤坂の盛り場の真っ只中にある蕎麦屋。
随分と昔から営業をしていそう。
素朴で気どりがなく、熟年と中年のおばさん二人が割かし大きな声で客対応。なんだか安心。
この日は、ちょっと遅いランチ。気張って天そば。美味でした。
段々、こうした大衆食堂が消えてゆくのは寂しい。
この立派なマッチ。請うてすぐさま出てきたのは嬉しかったですね。なんか老舗の矜持が伝わってきた。
場所がら、飲んで騒いで最後の〆はこの店でという飲兵衛が多いのでしょうね、きっと。
赤坂の盛り場の真っ只中にある蕎麦屋。
随分と昔から営業をしていそう。
素朴で気どりがなく、熟年と中年のおばさん二人が割かし大きな声で客対応。なんだか安心。
この日は、ちょっと遅いランチ。気張って天そば。美味でした。
段々、こうした大衆食堂が消えてゆくのは寂しい。
この立派なマッチ。請うてすぐさま出てきたのは嬉しかったですね。なんか老舗の矜持が伝わってきた。
場所がら、飲んで騒いで最後の〆はこの店でという飲兵衛が多いのでしょうね、きっと。
四ツ谷駅から2分のジャズ喫茶店の老舗《いーぐる》
付き合いはかれこれ40年以上になろうか。通い始めの頃、モダン・ジャズ は隆盛の一途。ジャズ喫茶も雨後のタケノコのように増加していた。それが今は絶滅危惧種。この間、変わらずに営業してきている。奇跡に近かろう。
というのも、オーナーは名高いジャズ評論家。そうした面でのコアのファンも支えているのかも知れない。かかる曲は全部LPだったものが、いつの時代からかCDになった。片面を最後まで回せばよかったものが、今は、音盤を途中で終わらせる景色に変わっている。
ランチ時、マスターはパスタを作りながらのCD交換をしている。ご苦労様です。
私には、パワー・スポット。ストレスから身を守るため、時折籠っている。
5月初旬、北海道の桜の季節に札幌を訪れた。
所用が終わり明日は帰京という夜、地元の友人に案内されて入ったすすきののスナックが「黛」。
「なんじゃこれは?」 昭和のレトロ感覚溢れた店内。壁・棚・窓にあの時代の歌謡曲のジャケットが一杯。聞けばここでママが先生となって歌を教えているとか。客の歌合戦のイベントも定期開催という。
帰り際に、マッチを所望したら出してくれました。失礼ながら、この程度の規模の店にはまずありません。客が忘れて行った100円ライターが一普通です。昭和を売りにする矜持からでしょうか。恐れ入りました。
私の勤める会社がこの3月に創業55年を迎えた。
とはいえ、記念のイベントとか出版などとかく物入りの行事は、現状の業績からしてちょっと無理。結果、ブランチ別の記念食事会で祝うことになった。
東北支社の会場は仙台・国分町の《花はん》。
なかなかに落ち着いた日本料理のお店でした。
マッチを所望して、こうした箱型を戴ける店というのは、全部が全部高級店。
床の間のはお雛様。旧暦なのでした。お陰でとても雰囲気の良い昼間の祝宴になりました。
ホテル・ニューオータニ長富宮。
ホテル、マンション、オフィスで構成する北京の長富宮センターにある。
王府井商業区、大使館区、人民大会堂に隣接し、天安門広場へはわずか3キロ、北京駅へはおよそ1キロ、首都国際空港へはおよそ30キロの地点にあり至便この上ない。
この”長富宮”という名前は、中日両国のシンボル的な存在である「万里の長城」と「富士山」から付けられている。
現在のようにホテルが林立する前、何といっても一級ホテルは北京飯店。国が威信をかけていたし、得も言われぬ優越感を感じたものだった。
利用者が多くなるにつけ、予約しにくくなったことと相俟って、この長富宮が多くなったのだった。
言葉に不自由しないし、食べ物は口に合うし、日本人の穏やかな顔と会話が普通に行き交う安心のホテルだった。
果してどの程度のホテルなのか?グレードは?
この名前とマッチの映像からは、全く判らない。大体が、「貴都」という語は日本語には見当たらない。
英訳は ” HOTEL EQUATORIAL SHANGHAI ”
同名のホテルは現存し、その画像を見たが全く思い出せない。印象に残るものがなかったホテルなのか、あるいは交流団の運営に忙殺されていたからか。
これも三つ昔も前のマッチ。
当時、この首都賓館は、現在のように四つ星・五つ星というランク分けや言い方はなかったのでよくはわからないが一流のホテルではあったように思う。
地方の高級幹部や華僑が多く利用していた。
それだけに気取らず庶民的だが、中国旅行に不慣れな外国人には使い勝手は悪かった。
100名程度の青年交流団で多用したのだった。
今は首都大酒店と呼称しているのがそれだろうか。急な国際化と資本の流入、系列の乱立などで、よく判らない。
その昔、利用していた頃は、ホテル・トロントとも呼んでいたように思う。カナダ系資本のホテルと理解していたが、改めて調べてみたら現在は日航傘下のようだ。
それも2014年12月31日をもって、日航が経営から撤退するとの告知も散見した。
かつて自らを発展途上国とした中国は、今やGNP世界2位を自負する強大国。
国際舞台における相互の関係も政治・経済の進展に伴い刻々と変わるのだろう。世界一のマーケットに相応しい国造りが忙しい。格差は広がるばかり。
胡同、四合院の北京が懐かしい。