仕事を始めてから、忙しくなった。
ハワイに来てからの1年半、あまりに毎日ノンビリしすぎて、すっかり「忙しい感覚」を忘れていた。
暇が多くなると 「のんびり脳」 になり、忙しさが続くと 「忙しい脳 」になり、
「のんびり」にも「忙しさ」にも、人は慣れてしまうものなんだと思う。
忙しいといっても、日本にいた頃のほうが、よほど時間的には忙しかった。
最初の結婚時代には、相手が家事をいっさいやらない人だった上、私は家事に関しては完璧主義だったため(今じゃ考えられん)
7時近くに帰宅すると、バッグを肩にかけたまま家の中を片付けまくり、お風呂を洗い、食事の用意、片付け、ワイシャツのアイロンかけ、
家計簿つけ(そんなことまでやっていたなんて!)、など息つく間もない日々だった。
その頃は、専業主婦に憧れていて、でも働いていたのが父親の経営する小さな会社だったから、
なんとなく辞めるというのもしずらくて、
「人は、朝起きて、行かなくてはならない所がなくなったらダメになる」と勝手に決めて、自分を納得させていた。
今の夫と再婚してから、普段の食事はほとんど夫が作ったし、家事も手抜きだったけれど、
それでも仕事は毎日8時から5時まであって、隔週で土曜日も働いていた。
それに比べたら、今は、外に出かける仕事は週に3日ぐらい、なかには半日(4時間半)の日もあって、
日本語のクラスは週に2日。
ただ、仕事と、日本語クラスが同じ日になると、ちょい慌しい感じになる。
この、ちょい慌しい感じ、てのも、「のんびり脳」から抜けないからであって、忙しい人からみれば普通のことに違いない。
昔、住んでいたアパートで、隣りの奥さんが仕事をやめて専業主婦になった。
しばらくして旦那さんが「仕事をしていた時のほうが、ごはんのおかずがよかった」とこぼしていた。
そういう人はたくさんいて、
時間ができたらコレをしよう、アレをしよう、と思っていても、いざ時間ができると意外と何もしないもので、
かえって忙しい時間をやりくりしながらのほうが、いろんなことがちゃんとできたりもする。
さて、私にしては忙しくなった日々の中で、
今までは普通だった、まるまる自由な1日というのが、大変貴重に思えてきた。
仕事に出かける朝は、食事をするのも、ウォーキングするのも時間が気になって、時計ばかり見ているのに、
自由な日は、起きた時から糸がゆるみっぱなし。
今日は新しい作品の下書きスケッチをしよう、と思うのだけれど、
パソコンをやったり、思い立って買い物に行ったり、だらだらと過ごして、結局スケッチもしないまま午後3時。
これを無駄というのか、なんというのか・・
忙しさがまだ足りないのか、まだ完全に「のんびり脳」だからなのか、さらにはこの無駄が楽しいのだからあきれたものだ。
いつだったか友人が私のことを『暇つぶしの達人』といったことがあった。
彼女は正真正銘「忙しい脳」で、忙しくしているのが大好き。ぽっかりあいた日が数日続くと、かえって疲れるタチ。
そういう人から見たら、私はまさにそうなのかもしれない。
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ハワイに来てからの1年半、あまりに毎日ノンビリしすぎて、すっかり「忙しい感覚」を忘れていた。
暇が多くなると 「のんびり脳」 になり、忙しさが続くと 「忙しい脳 」になり、
「のんびり」にも「忙しさ」にも、人は慣れてしまうものなんだと思う。
忙しいといっても、日本にいた頃のほうが、よほど時間的には忙しかった。
最初の結婚時代には、相手が家事をいっさいやらない人だった上、私は家事に関しては完璧主義だったため(今じゃ考えられん)
7時近くに帰宅すると、バッグを肩にかけたまま家の中を片付けまくり、お風呂を洗い、食事の用意、片付け、ワイシャツのアイロンかけ、
家計簿つけ(そんなことまでやっていたなんて!)、など息つく間もない日々だった。
その頃は、専業主婦に憧れていて、でも働いていたのが父親の経営する小さな会社だったから、
なんとなく辞めるというのもしずらくて、
「人は、朝起きて、行かなくてはならない所がなくなったらダメになる」と勝手に決めて、自分を納得させていた。
今の夫と再婚してから、普段の食事はほとんど夫が作ったし、家事も手抜きだったけれど、
それでも仕事は毎日8時から5時まであって、隔週で土曜日も働いていた。
それに比べたら、今は、外に出かける仕事は週に3日ぐらい、なかには半日(4時間半)の日もあって、
日本語のクラスは週に2日。
ただ、仕事と、日本語クラスが同じ日になると、ちょい慌しい感じになる。
この、ちょい慌しい感じ、てのも、「のんびり脳」から抜けないからであって、忙しい人からみれば普通のことに違いない。
昔、住んでいたアパートで、隣りの奥さんが仕事をやめて専業主婦になった。
しばらくして旦那さんが「仕事をしていた時のほうが、ごはんのおかずがよかった」とこぼしていた。
そういう人はたくさんいて、
時間ができたらコレをしよう、アレをしよう、と思っていても、いざ時間ができると意外と何もしないもので、
かえって忙しい時間をやりくりしながらのほうが、いろんなことがちゃんとできたりもする。
さて、私にしては忙しくなった日々の中で、
今までは普通だった、まるまる自由な1日というのが、大変貴重に思えてきた。
仕事に出かける朝は、食事をするのも、ウォーキングするのも時間が気になって、時計ばかり見ているのに、
自由な日は、起きた時から糸がゆるみっぱなし。
今日は新しい作品の下書きスケッチをしよう、と思うのだけれど、
パソコンをやったり、思い立って買い物に行ったり、だらだらと過ごして、結局スケッチもしないまま午後3時。
これを無駄というのか、なんというのか・・
忙しさがまだ足りないのか、まだ完全に「のんびり脳」だからなのか、さらにはこの無駄が楽しいのだからあきれたものだ。
いつだったか友人が私のことを『暇つぶしの達人』といったことがあった。
彼女は正真正銘「忙しい脳」で、忙しくしているのが大好き。ぽっかりあいた日が数日続くと、かえって疲れるタチ。
そういう人から見たら、私はまさにそうなのかもしれない。
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