太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

信仰

2012-10-19 17:08:38 | 日記
特に何の宗教にも属さない私にとって信仰とは、遠藤周作の「深い河」や、

三浦綾子の「塩狩峠」にあるような、命をかけた何か壮絶なものでしかなかった。

人生のすべてを、命すら喜んで捧げる人たちを見ると、

そこまで強く信じられることに、ただ圧倒される。

そんな私の、信仰に対する見方が変わったのは、バリ島に行ってからだ。



何年か前、バリ島に行った。

バリ島の大地を踏んだ瞬間、荒々しくて、まったく洗練されていない自然のエネルギーを感じた。

それは観光地化されていない奥地に入ると、ことさらだった。

人々は、朝晩、神と悪魔に捧げ物を欠かさない。

新鮮な花と食べ物を、小さな器に入れて家の前に置く。

神が善で、悪魔が悪というわけではなく、両方あって当たり前。

神と悪に守られながら、バリの人々は生きているかのようだった。



声高に自分が信じるものについて語るのでもなく、誰かを説得するのでもなく、

ただ日々、静かに信仰とともに生きている。



そういう人たちが、ハワイにもいる。

私が考えたこともなかっただけで、日本にもたくさんいるに違いない。

海で泳ぐ前に、波打ち際で手を合わせてから入る人を時々見かける。

木の幹に手をあてて祈る人もいる。

私が勝手に決め付けた壮絶な信仰は、単にひとつの形でしかなくて、

こんなふうに自然に生活の一部として、宗教にかかわらず何かを大切にして生きることも、信仰なんじゃないかと思うようになった。




私にも信じているものはある。

それはただ、生きていく上で私が信じたい事柄というだけだ。

自分にとって信仰なんか、永遠に縁のないものだと思っていたけれど、

私が、私が信じるものを大切にして生きるのならば、それも信仰なんだろうなと思うのだ。








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DEPARTURE

2012-10-19 12:12:12 | 勝手な映画感想
やっと見た。ようやく見られた。



DEPARTURE(おくりびと)


DVDを、夫と、夫の父と3人で観たのだが、

朝が早い義父は、いつも映画の途中で眠くなって寝室にあがってゆくのに、

このときは最後まで観ていた。



アメリカでも、遺体をきれいにして棺に納めるけれど、その過程は人には見せない。

遺族の前で、それを行うことも興味深いし、

またその動作のひとつひとつが、まるで茶道のように無駄がなく美しく、静謐だ。



魂が去ったあとの肉体は、ただの物質だと私は思っているけれど、

それでも長い間、私として生きてくれたその身体を、こんなふうに大事にしてくれたら、

魂となった私も、それを見て嬉しく思うに違いない。

本来なら、使った私自身が、古い家を出る前のように、きれいに拭き清めていきたいところを、

代わりに誰かがやってくれるのだ。




地球上には、死は恐ろしく、忌み嫌われる不浄なものだと捉える文化と、

死を回帰(おおもとに戻る)や旅立ちとして祝う文化がある。

魂の世界からみれば、肉体をもって生まれることのほうが「旅立ち」なのだという人もいる。

死を祝えないのは、別れることの悲しさ、寂しさ、やりきれなさだったり、

否が応でもやってくる死に対する恐怖や怒りからだろう。

もし私たちが、何度も生まれ変わっているのだとすれば、何度も死んだことがあるはずなのに、

死ぬことも、そのあとのことも、きれいさっぱり忘れて、また舞い戻るのはなぜだろう。







きっと、この映画を観たすべての人が、

映画の中の遺体に、それを見守る遺族に、自分を、身近な人を重ねてみていたのではないだろうか。

死と向き合うと、生きていることの価値に気づく。

必ず来る別れを思うと、今は生きているその人との時間が、いっそう大事に思えてくる。

「そのとき」は明日かもしれないという現実を知ると、

今日どれだけの真心で接することができたか、と振り返る。



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