太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

きたない?

2012-10-14 09:42:20 | 日記
誕生日とか、何か決まった目的がなくて人が集まる時に、それぞれ料理を持ち寄ることが多い。

仲間同士の集まりだけじゃなく、

たとえば、時間的にお昼を挟むようなワークショップで、最初の案内に

『何かGOODYを持ってきてくれるとうれしい』というようなことが書かれていることもあって、

手作りのサンドイッチやサラダ、稲荷すしや焼き菓子などを持ち寄って、みんなでそれをビュッフェのようにして食べる。



だから、まったく見知らぬ人が作ったものを食べる、という機会が多くなる。

そしてそういうことについて、まったくおおらかな人たちに、私は安心するのだ。



なぜならば、日本にいたときに、知らない人が作ったものは食べたくないし、子供にも食べさせたくないと誰かが言うと、

待ってましたとばかりに「私も、私も」という意見が飛び交い、

どんな台所で作っているかもわからないし、人が作ったものがいかに不衛生か、という話が延々続いたことがあり、

私はその場で愛想笑いをしながら聞いているしかなかった。


その人たちの気持ちもわからないではない。

だけど、一方で、うすら寂しいような気もした。

私は案外そういうことに無頓着で、そういう潔癖な人たちの気持ちがわからないだけなのだろうか。

みんなでつつく鍋も好きじゃない、とその中の誰かが言っていた。

私だって、なんでもかんでも平気というわけではない。

たとえばハワイの道端で売っている、一般人が自宅で作った干した鯵などは、なんとなく食べる気はしないし、

大昔に旅先の屋台でラーメンを食べたら、ご主人が真っ黒になったバケツの水でお皿を洗っているのを見てしまい、

それ以来、屋台は入る気がしなくなってしまった。



昔、職場に、潔癖症なお局がいて、水切りカゴの中の自分のカップの位置が少しでもズレていると

誰かが触ったといって、それをグラグラ鍋で煮沸していた。

床のゴミは、ティッシュをきっちり2回引き出してから、かぶせて拾う。

そんなに自分はキレイなのか、と意地悪な気持ちにもなるし、汚いものばかりに囲まれて、さぞや気分が悪かろうと同情もした。



子供の頃、夕飯時に近所のおばさんが、湯気のたった煮物の鉢を持ってきて、

「作りすぎたからたべてー」と言って玄関のあがりかまちに置いてゆき、

翌日、母がその鉢に何かお返しを入れて持ってゆく、というのが日常だった。

たとえ知っている人でも、その家の衛生状態や衛生観念まではわからないのは、見知らぬ人と同じじゃないだろうか。

持ってきてくれたけど、何が入っているかわからなくて汚いね、と言うよりも、

わざわざ持って来てくれてうれしいね、と私は子供に言いたいと思う。



いっとき、なんでもかんでも「抗菌」が流行った時期があった。

抗菌靴下、抗菌歯ブラシ、抗菌ペンシル・・・・・・

見えないものに対して、見えない効果を期待するのは、むなしくもある。

顕微鏡で見たら、そこいらじゅうに菌はあるのだろう。

でも、だからって、すべてを汚いにしてしまったら、楽しい気分でいる時間が減ってしまうと思うのだ。



私の母は、ある程度の菌に対しては免疫がついてゆくから大丈夫、という考えの持ち主で、

私は今更ながら、そうやって育ててもらったことに感謝している。











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