太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

たまごやきとお弁当

2018-01-28 09:33:22 | 食べ物とか
毎日お弁当を持ってゆく。

作りたいわけではなく、あいにく職場の近くには何の店もないのだ。

山と緑と海だけで、1番近いコンビニですら車で10分以上かかる。

実家の母や姉が作るお弁当は、それはちゃんとした『日本のお弁当』だ。

母や姉がお弁当用におかずを作るのに比べて、ほぼ夕食の残りを詰めるだけの私のは

お弁当とはいえないシロモノであろう。


そんなお弁当ではあるが、たったひとつ、お弁当のためだけに朝作るものがある。

たまごやきだ。

母は、卵焼き専用の四角いフライパンを使っていたけれど、そんなものはないので

18センチぐらいの小さいフライパンで作る。

卵1個に少々の塩と、砂糖を少し。

フライパンに半分流してくるくると巻いたら、残りの半分を流して重ねて巻いてできあがり。

幼稚園の時のお弁当に入っていた、ちょっと焦げ目がつくぐらいに焼いたたまごやきの味は

何十年たっても忘れるものではない。


娘達がみんな嫁いでしまったあと、母がふと言ったことがある。

「あんたたちはいったいどんなおかずを作っているんだろうねぇ」

「そりゃ、お母さんが作ってくれたようなものだよ」

と私が言うと、母はちょっと困ったような顔をして笑ったものだ。

教えてもらったわけでもないが、実際、母が作っていたものを、母の味付けで私も作っていて、

姉や妹もそうなのだと思う。

いつだったか、妹の家に行ったとき、妹が夕食を作っていた。

揚げ物をしていた妹は、揚がった食材を、鍋の蓋を逆さまにして紙を敷いた上に乗せていたのだ。

鍋の蓋だから、安定が悪く、ぐらぐらしながらも乗せている。

それはまさに母がやっていたことだ。

雑多なものが並んでいる料理中は、バットを出す場所もないし、洗いものが増えるという理由だとは思うが

なにもそこまで真似しなくても、と指摘すると、妹は無意識にやっていたようで、二人して大笑いした。



母は多忙だったけれど、50年以上もお弁当を作り続けた。

にんじんのポタージュだとか、当時としてはハイカラなものも作ってくれたけれど

私の記憶に深く深く残っているのは、たまごやきであったり、

薄味で煮たタケノコに衣をつけててんぷらにしたものだったり、

甘辛に煮たじゃがいもに、カレー粉を入れたものといった、お弁当のおかずである。

今はもうなくなってしまったが、静岡市に小饅頭の老舗があって、

祖父の好物だったことから、出かけると誰かが買ってきた。

その一口サイズの饅頭が、薄い衣をつけて揚げたのがお弁当に入っていることがあって

姉と私は学校から帰ると「今日、小饅頭だったね」と言い合い、母はそんな茶目ッ気もあった。






記憶は数珠つなぎ。

昔、実家が大家族だった頃、洗い終わった全員分のお箸を拭くときに、

全部を布巾に包んでジャラジャラと両手でこすりあわせていた。

父の会社の若い人達も入れたら10人以上いたから、1本ずつ拭いていられなかったのだろう。

占い師みたいだなァ、と子供心に思っていた。

私が実家を出てからはずっと一人か二人だったから、そんなふうにお箸を拭くことは1度もなかったけれど。



折に触れ、何度も何度も繰り返される記憶のフィルム。

今日もちょっと強めの火加減でたまごやきを作る。











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