太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

忍者のおじさんからのヒント

2020-07-10 09:33:54 | 日記
日本の旅番組をみていたら(6,7年前のやつ)
場所はどこだったかは忘れたが、ご主人が忍者だという、お土産物屋さんを紹介していた。
忍者であるご主人は、50代ぐらいの、およそ忍者のイメージとはかけ離れた感じで
丸顔ぽっちゃりの、にこにこした人だ。
忍者のいろいろな技を日々訓練していて、伝授もしているのだという。

そのお店に、ぐにゃぐにゃになったスプーンがいくつも置いてあり、
『誰でもスプーン曲げができます』と書いてある。
旅をしていたタレントが、自分にもできるかと聞くと、
「もちろんできるが、コツがある」という。


目を閉じて頭の中で、何か食べたいものをイメージして、
それを、ポッと指先にもってくる


忍者のおじさんは、にこにこしながら言う。
「え?」
よく理解できなかったタレントに、

だからね、あー今、ケーキが食べたいなァーーーって思うでしょ。
それをねそのまま、指先に ポッ てもってくるのよ。
そしたらニューって曲がっちゃうから。

女性の方が成功確率が高いらしく、
女性のタレントがやってみたら、スプーンが曲がり、男性のほうは曲がらなかった。


スプーン曲げの話をしたいのではなく、
忍者のおじさんが言った、

それをそのまま指先にポッともってくる

そのフレーズが、私の心をわしづかみ。
それは、欲しい現実を創るときの、願望実現するときのヒントではないか。


欲しいことがらを思い描いてから、すんなりポッと取り出せることはあまりない。
それがどうしても欲しいものであれば、なおさらである。
そうしたいと願いつつ、そうなるはずがないという思いがそれ以上に飛び出してくる。

たとえば、
理想の男性と結婚する、と思い描くと、
イイ男なんかもう残ってない、理想どおりの男などいるはずがない、どこかで妥協すべきだ、という思いがわんさか出てくる。

楽して豊かになる、と思い描くと、
苦労して働かなければお金は稼げない、楽して金持ちになれっこない、楽して得たお金は身に付かない、と尾ひれがついてくる。

それはどんなに意地悪な小姑でもかなわないほど辛辣で、
これまた自分自身がそっちの意見を採用してしまうものだから
結局、そっちの意見を願っている、ということになってしまう。
これじゃ、どんなに願っても叶うわけがないのである。

その代わり、どうでもいいことはすんなり叶う。
たとえば、仕事の休みが飛び石連休みたいだったらいいのに、と何となく思う。
どうでもいいので、思っただけで忘れていると、気が付くと転職して願いが叶っている。

私がリーディンググラスを取り出したのを見て、「あ、なんか眼鏡ってカッコいいかも」
と思ってしまったがために、眼鏡を使うはめになってしまったという人がいた。


願いをシンプルなまま、取り出すことができたら絶対に叶う。
私たちは、欲しいものは手に入ると信じて生まれてきたのに、
欲しいものが手に入らないという体験をあまりにも重ねて、
これ以上自分を傷つけないために、
欲しいものは手に入りにくいことを理詰めで納得させるようになってしまったみたいだ。


思い描いたら、そのままポッ。

できそうでできない、と思うそのこと自体、思考の罠なんである。