太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

おふくろの味

2020-07-15 11:49:49 | 食べ物とか
幼稚園と、中学高校時代はお弁当持参だった。
私が幼稚園の頃は、母は父の会社の寮で寝起きしていた若い人たちのお弁当も含めて、
朝から夕飯みたいな量のおかずを作っていた。
私のお弁当箱は、チューリップの絵が描かれたアルマイトの楕円形で
その中に、卵焼きやタコのウィンナーなどが入っていて、ご飯には海苔やかつおぶしがかかっていた。

母は夕食も手を抜かずに作ってくれたけれど、なぜか深く思い出に残っているのは
お弁当のおかずだ。
その味を、今になってむしょうに懐かしく思う。
再現できるものは作って、自分のお弁当に入れている。
母が作る卵焼きは甘くて、ちょっと焼き目がついていて、白いご飯によく合った。
私は一人分の卵焼きを、母の味を思い出しつつ焼く。

甘辛く煮たジャガイモに、カレー粉をたした煮物もお弁当ならではのおかずで、
冷めても美味しいので、たまに作る。

焼きそばには、刻んだ生姜が入っているのが母流で、
これを作ると、こっちの人達がたいへん喜ぶ。

新たけのこが出る時期、夕飯の残りの、薄甘く煮つけたタケノコに
薄い衣をつけて天ぷらにしたのも大好物だった。
そのためにはタケノコを煮るところから始めねばならず、ハワイに来てからは1度も作れていない。

どうしても手に入らないものもある。
チーズ入りのフランクフルトがそれで、輪切りにしたフランクフルトの中に、チーズがぽつぽつと入っている。(グリーンピースも入っていたかも)
それをフライパンで香ばしく焼き付けるだけ。
日本でも、ハワイでも、それと同じものは見つからないのだ。
赤いウィンナーもないので、タコも作れない。

昔の夏ミカンは酸味が強かった。
母がホロから実を出したのに砂糖をからめてタッパーに入れ、冷蔵庫で冷やしておく。
夏のお風呂上りに、扇風機の前で食べる、きんきんに冷えた夏ミカンの美味しさ。

水出しの麦茶などなかったので、毎晩ヤカンで煮出す麦茶のこうばしい香り。
子供の頃のうちの麦茶には、砂糖が入っていた記憶がある。


まったく手の込んでいないものばかりで、
きっと母に言ったらがっかりするのではなかろうかと思うけれど
案外、おふくろの味というのはそういうものなのかもしれない。

もうずいぶん昔のことだが
テレビで、相撲取りの武蔵丸だったかが、実家を訪ねるという番組をみた。
武蔵丸のおふくろの味を母親が料理する場面で、
母親は缶入りのウィンナーをあけて、それをまるごと鍋に入れて温めたのを見て
私はとても驚いた。
『缶詰あけただけじゃん!』
もっとまともな料理はないのか、と思ったし、缶詰がおふくろの味だなんていう武蔵丸が気の毒にさえ思えた。

今、私はあのときの自分が恥ずかしくてならない。
武蔵丸と母親に、謝りたい。
私はまだ二十代で実家にいて、母は今の私よりもずっと若かった。
たとえそれが缶詰であろうが、それを食べたときの、言葉では言い尽くせないほどの思い出や感情が、
それを特別なものにするのだということに私は思い至らなかった。
それが若さというものだと言ってしまえばそれまでだけれど。


父が80を過ぎても、母はお弁当を作っていたから、50年以上お弁当を作り続けたことになる。
子供がいたらいいのに、と思ったことはないが、
おふくろの味を残す相手がいないと思う時、それは少し残念かなと思う。
「お母さん、おいしいお弁当を作ってくれてありがとうございました」
母の目の前で、今すぐそう言いたくてたまらない。