太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

チキンシチュウの夜

2018-01-24 08:33:42 | 日記
夫の叔母が、チキンシチュウを作ったというので集まった。

叔父叔母とも海洋学者で、ボートで世界中の海をまたにかけていたが、

7年前にボートを売り、我が家から10分ほどの海が見える高台に家を買った。

夫が十代の頃は、週末の早朝暗いうちに、停泊している叔母のボートに友人とサーフボードを持って行き、

お昼と夕飯の時間だけ叔母のボートに戻って食べ、一日中サーフィンをしていたのだという。





叔父と叔母、夫の両親と私たち、叔母の友人夫婦が集まった。

料理好きな叔母は、こんなふうに人を呼ぶのが大好き。




叔母の家からの眺め





夫の両親や叔父叔母は、私の両親よりもずっと若いけれど、

いつまでもこうしてみんなが笑顔で楽しく過ごせるわけではないのだと、最近とくに思うようになった。

それは私の親がめっきり年をとったからだろう。

できれば私の親の近くにいて、こんなふうに過ごせたらといいのだけれど、

それができないことは私が選んだことなので仕方がない。




叔母が焼いたモラセスクッキー


夫の両親と叔母の故郷はインディアナ州だ。

1度だけ訪れたことがあるが、日本人は滅多に見かけない。

土地も家も驚くほど安く、夫の従兄弟達は広々とした芝生の庭付きの立派な家に住んでいる。

ハワイじゃワンルームのアパートメントも買えないような値段で。

しかし冬は大雪の厳寒、夏は日本並みの高温多湿。

醤油や味噌を知らない人がほとんどのこの場所では、やっぱり楽しくないかもしれない。


モラセスクッキーは、インディアナ州で両親達がよく食べた懐かしい味なのだという。

モラセスとは、砂糖を精製する過程でできたもので、匂いも味も 黒蜜 そのもの。

ミネラルや鉄分など、砂糖のほとんどの栄養素が含まれている。

それを廃棄して白い砂糖を作る。


「モラセスの匂いを嗅いだら、その瞬間いろんな思い出が押し寄せてきたのよー」

叔母が言う。

匂いと思いではいつだってリンクしているのだな。

思ったよりも甘くなく、美味しい。



家族で過ごす時間が、年々大切に思えてくる。







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B型 女性

2018-01-23 19:14:27 | 日記
常々、おもしろくないと思っていることがある。

集団で食中毒事件というニュースで、インタビューされる被害者は

かなりの確率で女性で、その女性はかなりの確率で血液型がB型だというのである。

インタビューされるということは、その人は他の人と同じものを食べても元気だということだ。

生命力の強さから言えば、男性よりも女性のほうが丈夫にできているかもしれない。

それは納得しないでもないが、なぜ血液型がB型なのか。

なぜか知らないが、良いことをあまり言われないのがB型であり、

私はそれにも腹を立てているのである。



仕事から帰ってきて、さあ夕食というときになってシュートメが

「体調はどう?」

と聞く。

「元気だけど?」

シュートメと夫の父は、夜中からお腹の具合が悪いのだという。

「実はボクもなんだ、ゆうべから下痢で」

と夫。

昨夜、夫と私、夫の両親で食事に行った。

そこで食べた何かが、よくなかったらしい。

「よかったねぇ、シロは丈夫で」




B型、女性。





まったくそのとおりで腹立たしいことこの上なし。

丈夫でよかったし、感謝もしている。

しかし、わけもなくおもしろくないのである。












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高層コンドミニアム都会の暮らし

2018-01-23 07:42:08 | 日記
日曜日、夫の友人の、9歳の子供のベビーシッターをした。

アメリカでは、13歳以下(11歳だったか?)の子供が一人で家にいることが禁じられているので、

ベビーじゃなくても、誰か大人が必要なのだ。

私が子供の頃、首から家の鍵を下げている『鍵っこ』といわれる友達が何人もいた。

小学生の子供が、弟や妹の面倒をみながら留守番しているなんてことは普通にあった。

それだけ日本は平和ということだろうか。



友人の家は海を見下ろすコンドミニアムにある。

入り口のインターフォンでドアを解錠してもらうのは日本のマンションと同じ。

ホテルのようなロビーには、24時間セクレタリーとガードマンがいる。

ゲストが使えるエレベーターは1基だけで、これが呼んでもなかなか降りてこない。

友人に電話をしようとしても、外に出ないと電話が通じない。

セクレタリーにエレベーターを呼んでもらい、ようやく乗り込む。

エレベーターは各部屋の専用だ。








ラナイ(ベランダ)には、庭がわりの緑がある。



14階からの眺め。1番上の41階の眺めはどんなんだろう?







夫が子供担当





シングルマザーの友人は、フリーのカメラマンで、部屋には彼女の写真がたくさん飾ってある



トイレの窓から(外からここは見えないんだろうか

居住者が24時間利用できるフィットネスルームやプールもある。



歩いてチャイナタウンに行く。

路地いっぱいに品物を並べて売る店が軒をつらね、アジア独特の活気に満ちている。

白菜とほうれんそうとみかん、香草を買った。

生臭い、混沌とした店の中でプレートランチを買い、吊るし売りのチャーシューを買った。

チャーシューなら、チャイナタウンに限る。

こってりとして、油が少なくて、表面がカリッとしたチャーシューは、いくらでも食べられそう。










窓からは、空とビルが見える。

普段、地べたに限りなく近い場所で暮らし、窓の外は山と空と緑だけの私にはここは異質の空間だ。

便利な場所にあって、セキュリティも固くて近代的。

買えば、億単位の物件だろう。

でも、大理石の壁に囲まれたロビーでエレベーターを待っていたとき、

「こういうところには住みたくないかも・・・」

と夫が言った。同感である。

どのみち、買えやしないけども。

私たちが住む田舎は、歩いて行ける場所になにもない。

ガードマンはいないけど、ドアに鍵をかけるのを忘れても、ガレージを閉め忘れても、1日ぐらい問題ない。

雨上がりには、山ひだを落ちる滝が見え、庭からは土の清浄な香りが部屋に入ってくる。

庭ではさまざまな果物が実り、風と、木々がたてる音だけがある。





年をとったら、街中の便利なところで鍵1本の生活がいいんだよと言う人がいる。

車を運転できるうちはいいけど、車がなかったら買い物ひとつできない、

あなたたちには助けてくれる子供もいないんだし、と。

それはそうかもしれない。

だけど、子供がいても近くに住むとは限らない。

実際、物価が高いハワイは、かなりの確率で子供たち世代は本土に拠点を移す。

年をとったら・・・・

そのとき考えよう。

じゅうぶんに年をとるまで生きるかもわからない。

もしうっかり長生きしてしまったら、そのときはそのときだ。







虹が出た。

たまになら、こんな暮らしもいいかもな。

買ってきたランチを食べながら、そう思う。














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チーズケーキファクトリーに行く

2018-01-22 18:48:40 | 日記
久しぶりにワイキキに行った。

できればアラモアナあたりで済ませたかったのだが、チーズケーキファクトリーのギフトカードをもらった。

というゲンキンな理由でワイキキまで出てきたわけだ。

ハワイに住んで7年、実は1度も行ったことがない。

場所が悪い(私にとって)のと、いつも並んでいるというので、行く気にならなかったのだ。


友人とはワイキキで待ち合わせた。

ワイキキに車で乗り込みたくないので、車はいつものようにヨットハーバーに停めたあと、歩くつもりでいた。

しかし、車から出たらホノルルの暑いことといったらない。

私が住む地域は肌寒いぐらいで、ブーツなど履いてきてしまったのに、ここは晴天で日差しは肌を刺すように暑い。

この炎天下を20分歩くと思うとうんざりし、財布を見ると小銭があったのでバスに乗った。



6年ぐらい前に1度だけバスに乗ったことがあったが、それ以来だ。

2ドル50セントを料金箱に入れ、ぎんぎんに冷えた車内で一息つく。



待ち合わせにやってきた友人が、

「知らない間にバス料金が変わっていて焦っちゃったよ」と言う。

「えっ!2ドル50セントじゃないの!?」

「違うよ、2ドル75セントなんだってよ」

「6年前は2ドル50セントだったよ」

「それ、昔過ぎるから・・・・」

運賃が足りなくても運転手に何も言われないのはハワイだから。たぶん。

そういう友人も、あわてて25セントを出そうとしたら「いいよいいよー」と言って乗せてくれたそうだ。



友人は私よりもずっと長くハワイに住んでいるというのに、ワイキキとなると私ぐらい何も知らない。

だから私たち二人はキョロキョロしながら歩く。

旅行者のほうが何がどこにあるか詳しいにちがいない。

和食のお店で 梅素麺と鮪とろろ小丼 という魅惑のランチを食べ、腹ごなしにショッピングをして

チーズケーキファクトリーに行く。

ノードストロームラックで、一目ぼれしたブラウスを買った。

ハワイではなかなか欲しいものに出会えないと思っていたけれど、それはやはり田舎に住んでいるからなのかもしれない。



ようやくチーズケーキファクトリー。



まったく並んでいないじゃないか。

すんなり入れた。



私が頼んだオリジナル。



友人が頼んだバニラビーンズ。

アメリカンサイズのケーキだが、味はそんなにしつこくない。

オリジナルはニューヨークスタイルで、上にかかったヨーグルトクリームがさっぱりしていて

チーズ部分がしっかり冷えていて美味しかった。




お腹が一杯になりすぎて、帰りは炎天下を車まで歩いたのは言うまでもない。








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忘れることをゆるしたら

2018-01-21 07:49:41 | 日記
85歳になる実家の父は、1年ほど前から、肺炎になったり軽い脳梗塞になったり、

なにかというところが出てくるようになった。

病気知らずだった父が73の時、癌になった。

70過ぎても一人で耳鼻科にも行けず、母についていってもらうような人が「癌です」と言われたら

ショックで死ぬんじゃないかと家族は心配したが、存外本人はケロリとしていた。

退院したら着るのだといって、入院する前にスーツをオーダーし、

入院するときには旅行用のスーツケースを持って「じゃ、旅行に行ってくるからね」と笑って手を振った。

手術室に入るのにも自分で歩いてゆき、何度も振り返って笑顔を見せた。

手術後も、手鏡で髪に櫛をいれて、シャンとしてからでなければ誰にも会わなかった。




祖父が始めた事業を父が継いだ。

新しもの好きで前向き、アイデア豊富で天真爛漫な父と、すべてが正反対の祖父はいつも喧嘩ばかりしていたが

事業をここまで大きくしたのは父の功績だ。

父のあとは叔父、今は従兄弟が継いで、父はすっかり及びではなくなったのだが、

肺炎になっても脳梗塞をしても、毎日会社に行くことをやめなかった。

仕事は父の生きがいだった。




今回、心臓がよくないということがわかり、また入院をして(これまたわがまま患者で大騒ぎ)

3週間ほどで退院したものの、会社に行くのをやめた。

10分歩くのもやっとで、会社に行きたい気持ちはあるが、行けなくなった。

退院して数日後、姉に会社に送ってもらい、「おわかれかい」をしたそうだ。

電話口で父は

「85歳でやっと定年したよ、あはは!」

と笑った。



会社に行かなくなって刺激がなくなったからなのだろうか、時々、記憶が曖昧になる。

「シロはどこに住んでいるんだっけ?」と母に聞いたそうだ。

私は、前よりも頻繁に電話をするようになった。

父が電話口に出るのを待つ間、どうか私のことがわかりますように、と祈る。

「しかたがないよ、なるようにしかならないし、なるようになってゆくんだから」

母はそう言った。

父が私や私の夫のことをちゃんと覚えていると、安心する。

でも、電話をしない数日の間に、まだ覚えているかしら、と思う。


そうした或る日、私はふと思った。

私のことを忘れてほしくないというのは私の勝手な願いかもしれない。

父だって忘れたくないのに、自然とそうなってしまうのだったら、それは仕方がないんじゃないか。





祖母が晩年、痴呆症だった。

息子である父のこともわからなくなり、徘徊し、祖母だけの世界に生きていた。

祖母が亡くなって、祖母が1番可愛がっていた姪のおばさんが遠方から駆けつけてきた。

2月に入ったばかりの寒い時期で、仏間にしている四畳半は締め切ってあった。

仏壇の前にはいただいた生花がいくつもの花瓶に活けられていた。

「おばあちゃん、○○ちゃんが来てくれたよ」と母が仏壇に向かって言ったとき

締め切った四畳半にあった生花が一斉に大きく揺れた。

「おばあちゃんの魂は、ボケてなんかいなかったんだね、よかったね」

母と私はそう言いあった。




たとえ父の体は私を忘れても、

父の魂はけして私を忘れやしない。

私はそれを知っている。

だから私は、毎朝父にレイキを送ったあと、ありがとうと言った後で



おとうさん、忘れても、いいよ



と言う。

言ったあと、少し胸の奥がキリリと痛む。















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