太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

スーパー方向音痴の気持ちとランチ

2023-06-23 07:36:10 | 日記
久しぶりに、日本人の友人と二人でランチを食べた。
彼女とは休みが合わず、ゆっくり会うことができなかったのだが、私のスケジュールが変わったので会えるようになったのだ。

友人に会う前に、カハラのギャラリーの作品補充をし、そのあとフリーウェイに乗った。
スーパー方向音痴の私は、どこかに行く道を覚えたら、その道順でしか行くことができない。A地点からB地点を行ったり来たりするのはできても、そこにC地点がはさまると、もう混乱する。


今回、ギャラリーからいつもと違うC地点(友人との待ち合わせ場所)に行くのに、ない知恵を振り絞ってカピオラニでフリーウェイを降りた。
そのままずーっとカピオラニ通りを下って、マイクロネシアンマートのある交差点を右折するのが私のプランだったが、そこに辿り着くずっと前に、うっかり右折専用レーンに入ってしまい、余儀なく右折した。
どこかで元の道に戻らねばと思いつつ走っていると、交通量の激しい道に突き当り、信号がないので右折しかできそうもなく、右折。

もう自分がどこにいて、どこに向かっているのかわからない。
手あたり次第に走っていると、カピオラニ通りに出た。
やっと元に戻れたと思って、カピオラニ通りを数分走っていたが、そこにあるはずもないレストランが右手に見えてきた。

なんと私はカピオラニ通りを逆に向かって走っていた。

なんとかして方向を変えて走っていたら、信じられないことに、私はフリーウェイを降りたあとに間違って入ってしまった右折専用レーンに、再び入ってしまった・・・なんで??
今度はすぐに方向転換して、カピオラニ通りに戻り、マイクロネシアンマートが見えてきたときには、心からホッとした。


友人にその話をすると、友人は腹を抱えて笑い、

「なんでカピオラニ通りに固執するん?ほかにいくらでも道があるやん」

と言う。
それは方向音痴じゃない人の論理だ。
私はカピオラニ通りしか知らないから、仕方がないんだ。

方向音痴じゃない人は、私に場所を説明するのに、「山側」だとか「海側」だとか、東とか西とか言う。
実際、車を停めたあと、友人と電話で会話しながら出会うまで、

「そこにいるなら、そこから山側に向かって歩けばいいよ」

などと言うので私は腹が立つ。

「あのねえ、山側って言われてもわかんないんだよう」

友人は笑いながら、

「そこから山、見えない?」

立体駐車場の中を歩いているから、見えん。
方向音痴の人には、右とか左って言ってもらわないとわからないんだ、ってことがわからないんだ。

「右左っていっても、アンタがどっち向いてるかわかんないしねえ」

それはそうなんだけど・・・・




友人と行ったカフェ。
Farmhouse

うちの村にはない、こじゃれたお店がホノルルにはたくさんある。

ハムとチーズの入ったトーストに目玉焼き

リンゴ入りのサラダに、ブリーチーズの乗った熱いトースト乗せ

笑ってしゃべって食べて、オンナの人っていくつになっても、これが1番ストレス発散なんだなあと思う。
それも日本語で話せるのだから、なおさらだ。
来月あたり、また会おうと決めて別れた。





節約しちゃダメだ

2023-06-22 08:44:53 | 日記
同僚が、1日いくらと決めて、それ以上お金を使わないようにしているのだと言う。その1日の予算以内で収まったら、それは余剰金として貯めておく。
なにか目的があってそうしているのではなく、
「入って来るお金が増えないなら、使うお金を少なくすればいいわけでしょ」
というわけらしい。
私は、言いたかった。

それは間違っている!!逆だよ、逆!

でも私がそれを言ったところで、普通は納得できないと思うので黙っている。

私も同じだったから、わかるのだ。
豊かな気持ちでいないと、豊かさはやってこない。昔の私はその真実を知らなかった。

母ゆずりの心配性で、その昔、平均よりもずっと収入があったときも、いつかなくなってしまうのではと不安で仕方がなかった。
家計簿をつけ、予算を袋に分けて、ちまちまと暮らしていた。
突然の出費のために冠婚葬祭用の通帳を作った。
それなのに、袋分けした予算が余ることはなく、冠婚葬祭通帳は入れるそばから消えていった。
こんなに節約しているのにもかかわらず、本来なら使い切れずに貯まっていくはずのお金が、いっこうに貯まらない。
やっと少し貯まるかと思うと、前の結婚相手が車を買う、家を建てる。新しい車や家にワクワクするかといえば、そうではなく、またお金がなくなってしまったと恐ろしくなる。
それで、ますますチマチマする。
そうすると、ますますなんだか足りない現実が目の前に出てくる無限ループ。



今ならわかる。

私は常に「ない、ない」と不足を唱えていたから、唱えたとおりに不足の現実を創っていたのだ。
冠婚葬祭用の通帳を作るということは、冠婚葬祭費を支払いたい、という願いを宇宙に投げたのと同じ。
作るべきは冠婚葬祭通帳ではなく、バケーション通帳にすべきだった。


当時に比べたら、私はずいぶんとおおらかになった。
その仕組みを知って、豊かさは数字ではないのだと腑に落ちた。
買い物をしたときは、これを買える豊かさがあってよかった、と思う。大きな買い物のときは、ほんの少し古い癖が出そうになるけれど、私はしっかりそれを観察できる。

1万円を手放すときに感じる抵抗の強さ。
それと同じだけの抵抗が、1万円を手にするときに伴う。
つまり、簡単に1万円を使ったら、同じ簡単さで1万円が入って来るということ。
私はお金を使うときに、いつもそのことを頭に思い浮かべている。


それでも、不安になりかけるときもある。
欲しいけど、やめておこうと思うことがある。
そのたびに、心に豊かさを呼び戻し、感謝を注ぎ込む。
私はこの法則を心から信じている。信じていれば、それが私の真実になる。







「太陽と毒ぐも」

2023-06-21 10:06:28 | 本とか
角田光代さんの作品は、小説もエッセイも好きだ。
日常エッセイもいいが、一人でふらりと外国に出かけていく旅ものは、私がそういう旅をできないタイプの人間であるゆえに、憧れがあり、興味が尽きない。

「太陽と毒ぐも」は、三十代の同棲している男女の物語が11編収まっている。
たまにしか風呂に入らない女、やたらとある記念日で男を縛る女、買い物依存の男、迷信を信じている女、熱心な野球ファンの男、食事代わりにジャンクフードを食べる女、酒乱気味の女と下戸の男、初めて一緒に外国に行って険悪になった二人・・・
どの話も、若気の至りというほどには若くないが、まだ充分にやり直しができる三十代で、物語の主人公たちのジタバタを微笑ましく読めてしまう。



私は同棲をしたことがない。
それは地元の静岡では実家に住んでいて、美大時代の2年間は東京で姉と同居していたからに他ならない。
もしも私が一人暮らしをしていたなら、私は同棲を、あるいはそれに近いことをしていたと思う。私はそれほど恋愛経験はないが、いったん恋愛したら猪突猛進、毎回とことん本気で入れ込んでしまうところがある。

あ、そういえば同棲をしようとしてできなかったことは、あった。
離婚したあと、若い恋人と結婚する気満々でアパートを借り、一緒に暮らし始めた途端、相手の態度が冷たくなって、滅多に寄り付かなくなった。
だから、そのアパートで暮らしていた2年間は、あっさりと振られるまで結婚を夢みて相手に縋っていた、みじめな2年間だった。



小説の中の男女を見ていて、思う。私は同棲などしなくてよかった。
私はいつだって結婚をしたかったから、結婚が延長線にない同棲は、心をすり減らすだけだ。
それに同棲は、あまり結婚のお試しにはならないと思う。
今や離婚は全く珍しくもないが、それでも勢いでできるものでなく、手間もストレスも半端ない。
いつでも解消できる同棲は、腰かけ気分の中途半端な覚悟と勢いで始められてしまう。
一緒に暮らし始める時は恋愛のピークだから、何もかもがバラ色で、この先二人に暗雲などあろうはずもないと思っているが、必ず「おや?」と思うことが起きて来る。

誰かと暮らすということは、起きて来る望ましくないことに、どう折り合いをつけていくかの連続であろう。
譲歩したり、懇願したり、責めたり、諦めたりして、じゃあなぜそんな思いをしてまで一緒にいるのかといえば、それを上回る幸せなことがあり、何かを乗り越えることが、少しずつ自信と信頼になっていくからだと思う。



この小説の中の一つに、友人たちに「あいつとは別れろ」と言われている人がいる。浮気する、甲斐性がない、ヘラヘラしている、嘘をつく、そんな男を、主人公も大嫌いだと思う。
けれど、大好きなだけではうまくない、好きなのと同じぐらい、それ以上嫌いでないとだめなのだ、と言うのだ。

『ときおり、ほんのたまにだが、仕事を終え、でろでろに疲れてアパートに帰る時、ああ、あいつが死んでいてくれないかと思うときがある。ドアを開け、そこでくたばっていてくれないか、そうしたらどんなにかすっきりするだろうかと』(小説より)

この話の結末は書かないでおく。
同棲だから、くたばってくれたらなんて思えるのだとしても、大嫌いなんだけど一緒にいる、というのは、大好きだから一緒にいる、というより余程深い気はする。



相手とまったく向き合わずに失敗した前の結婚を教訓に、今の夫とは、逃げずに向き合ってきた。
逃げずにいると、毎回同じところで躓く。嫌味を言う、嫌味な態度をとる、相手に反省させようと試みる、など、やることは姑息だが、私はそれが嫌なのだということを伝えている。
嫌なのに何も感じていないふりをし続けていると、こんなことができるのは私だけだという方向に向かってしまい、肝心なことからどんどん離れていく。
もうそんなことは繰り返さない。

そうして一緒に暮らしているうちに、私が嫌だと思うことは、悪いことではなくて、単に「違う」ということだったのだと気づいていく。
いろんな色で人が構成されているとして、その中のある色が、私の嫌いな色だというだけだ。
その色が見えるたびに、いちいち「それは嫌い、私はその色を持ってないし」と私が言う。そういわれても相手はどうしようもない。私も、相手が嫌いな色を持っているのは同じで、お互い様だ。

みんな違って、みんな、いい(みつを)

ここに落ち着くつもりはなかったけど、まあ、そういうことだ。
加えるなら、嫌は嫌でいい、かな。
嫌が平気になったらそれに越したことはないけれど、無理することはない。ああ、私はこれが嫌だと思ってるんだな、と毎回思いつつ、それでもいいんじゃないかと思っている。





カレーは平皿で食べたい

2023-06-20 08:22:49 | 食べ物とか
日本式のカレーを、月に2回は作る。
黄金のルーの組み合わせと、作り方のコツを発見してから、毎回とても美味しいのだ。
黄金のルーの組み合わせは、S&Bのとろけるカレー辛口と、ハウスのJAWAカレー辛口を半分ずつ。作り方のコツは、これはもう恥ずかしくて書きたくないぐらいなんだけど、箱の裏書にある分量の水をきっちり測って入れること。それまでの私といったら、適当に水を入れていた。

ルーを使わないカレーと、日本式カレーは別物。
特に日本人の私にとっては、カレーは子供の頃の思い出が詰まりすぎている。それはもう、カレーというよりカレーライスなのだ。
帰宅途中に、どこかの家からカレーの匂いが漂ってくる。
中学高校の時、教室内にお弁当温め器があって、10時ころになるとそこからカレーの匂いがしてきて、誰かがカレーを持ってきたんだなと思う。
幼馴染の家で遊び呆けて夕飯時になり、カレーをごちそうになり、お風呂までもらって帰る。
だからカレーは、私にとってただのおかずではない。


一昨日カレーを作って、昨日の夕飯に食べた。
器によそう段になって、夫は必ず聞く。

「ボウル?プレート(平皿)?」

私は、プレートと言い、すると夫は

「ボク ハ ボウル。ガイジン ダネ」

と言い、ちょっと申し訳なさそうにボウルにカレーをよそう。

普段の夕食にはお米のご飯を食べない私も、カレーの時にはご飯が欲しい。
ご飯をお皿の片側に盛って、反対側にカレーをよそう。
なくてはならない福神漬けも横に置く。
ご飯とカレーの分量を計算しながら食べ進む。
半分ぐらい食べると、ご飯を食べる速度を調整して、少し残しておく。そして二口分ぐらいのカレーを新たに足す。
これが、カレーを食べる楽しみでもあると私は思っている。
だから、ボウルにカレーだけを入れるのは、嫌なのだ。

夫はボウルに入れたカレーに、福神漬けも、常備菜のレンコンも、ブロッコリーもみんな乗っけて食べている。
その人が美味しく食べられれば何でもいいんだけど、カレーライスの思い出がない夫は気の毒だなあと、余計な同情をしてしまうのである。



極端に強い紫外線

2023-06-18 07:34:53 | 日記
土曜日、ランチを食べにカイルアのBUZZ’Sに出かけた。
ディナーは予約したほうがいいけれど、ランチは予約なしでも大丈夫。
オープンの11時ごろに着くように家を出た。
早朝にビーチで泳いだので、シャワーを浴びたあとで、せっかく洗った顔に化粧するのは嫌だったから、すっぴんで出かけた。
どうせ車の中だしと思って、日焼け止めすら塗らずに。

レストランに着いてみると、オープンしたばかりというのに駐車場が満杯。
夫が私を先に降ろして、車をどこかに停めに行った。
こんなに混んでいるならテーブルに案内されるまで待たねばならないと思っていたが、待たずにすぐに座れてしまった。
店内はガラガラ。駐車場は満杯。どういうこっちゃ?

「夫が車を停めにいってるから」
と言って夫の分もアイスティを頼んで、夫を待つ。
5分。
ビーチパークもいっぱいだったのか。
10分。

「駐車場探しに相当てまどってるようね。私も今朝、場所探すのに苦労したもの。カヌーの大会が明日あって、その予行練習があるのよ」

ウェイトレスが言う。
ビーチパークにたくさんのカヌーが出ている。じゃ、このレストランの駐車場は、その人たちの車ってわけか?そんなの、あり?

15分。
20分。
いったいどこまで行ったのやら。
20分過ぎたところで、「On my way(もうすぐ)」というメールが入った。
メールが来てから、さらに10分近くたって、ようやく夫が来た。
私は2杯目のアイスティを飲み干すところだ。

「大変だったねー」
「いや、そうでもないよ。日陰に停められたし」

私はどこに停めたのか聞かなかったし、夫も言わなかった。
美味しくランチを食べ終わり、夫が、

「シェイブアイスを食べていこう」

と言う。
近くに、island snowというシェイブアイスの店がある。車なら2分もかからない。
夫はその店の方向に向かって歩き出す。きっとその途中に車を停めたのだろうと思って私も歩く。
ビーチ沿いの公園を、駐車場を横目に通り抜け、住宅地を抜け、歩く。

午後1時近くなっており、私は気が気でない。
なぜなら日焼け止めはおろか、ファンデーションすら塗っていない正真正銘のすっぴんだからだ。
サングラスは車の中。帽子もない。

ハワイの紫外線の強さをご存じだろうか。
WHOによると、6~9月のハワイの紫外線インデックスは11~13で、11以上は『極端に強い紫外線』ということらしい。同時期の東京は4~6だから、日本の倍以上。

その極端に強い紫外線が降り注ぐ中を、いいお年の私がすっぴんで歩くとは、いい度胸。日頃の努力がすべて帳消し。
過去の肌に戻れなくても、せめて現状維持と思っていたのに、なんてことだ。
肌の表面がチリチリとするような気がする。
目からも紫外線は入って来るというが、サングラスは車の中なので、目を細めて歩く。
手を庇にして顔に日陰を作る。手の甲が焼けるので、手は裏返し。

10分以上は歩いたと思う。
乾燥しているので、暑いけれど汗は出ない。ただ日焼けが気になる。
いったい車はどこなんだ。
シェイブアイス屋に着いて、私はピナコラーダとピンクレモネードを、夫はレインボーを頼み、木陰で食べる。

やっぱり王道はレインボー

シェイブアイスで涼をとると、そこからさらに歩き出す。
車が通る道から住宅地に入り、静かな道を歩いて行くと公園が見えてきた。

「ね、日陰でしょう」

公園の脇の、大木の下に車があった。
軽く1キロ以上は歩いた。
極端に強い紫外線の中を、すっぴんで。
家に帰り、鏡を見る。頬のシミが濃くなっていやしないか。新たなシミができてはいないか。
さっき浴びた紫外線で、今、シミができるとは思えないけど、チェックせずにいられない。
出かけるときは、日焼け止めは必須である。