カトリック玉造教会から少しだけ離れた場所に、
とんでもなく古い歴史がある神社が玉造稲荷神社です。
その創建は紀元前12年と伝えられていますが、
2千年以上前にあったとは俄かに信じがたい程の古社です。
だって2千年前は弥生時代中期ですよ。
そんな時代に神社は存在していたのか?
仏教と違って神道は文字を持たないので、
余りにも古い年月の創建は伝承によるもので確実ではない。
しかしながら、弥生人より古い縄文人ですら、
巨石や山等を神として自然崇拝していたことから、
2千年前に神社があったとしても不思議では無い。
ちなみに日本で一番古い神社は神代の時代に創建されたとされる、
奈良の大神神社だそうです。
所在地:大阪府大阪市中央区玉造2-3-8
御祭神:宇迦之御魂大神
配祀神:下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命
創建:伝・垂仁天皇18年(紀元前12)
社格等:府社
【由緒】
社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12)に創建され、
当時は比売社と称していた。
蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子が、
この地に布陣して戦勝を祈願、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承がある。
豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。
戦国時代の戦火で荒廃し慶長8年(1603)に豊臣秀頼により社殿が再建。
慶長20年(1615)の大坂夏の陣で社殿は再び焼失し、
元和5年(1619)に徳川幕府の大坂城代や氏子らの寄進によって再建された。
社地は元々は急崖に面していたため、少しでも平坦化する為に、
寛政元年(1789)東横堀川の浚渫で出た土砂を町人らが運び込む砂持が行われた。
豊臣・徳川時代を通して大坂城の鎮守とされ豊津稲荷社と称した。
江戸時代には伊勢参りの出発点とされた。
文久3年(1863)11月の大坂大火で焼失するが、明治4年(1871)に再建。
現在の玉造の社名は鎮座地の地名によるもので、
一帯は古代、勾玉等を作っていた玉作部の居住地であったという伝承がある。
現在の社殿は昭和20年(1945)6月1日の第2回大阪大空襲で焼失した後、
昭和29年(1954)に再建されたものである。
【鳥居】

車は拝殿横に無料で停めれました。
【境内】

左手に手水舎、真ん中に拝殿、右手に社務所となっています。
【拝殿】



綺麗な拝殿で清々しい気持ちで参拝出来ます。
【狛犬】

【利休井】

千利休は玉造・禰宜町(当神社南側)に屋敷を構え、
清水谷等の地名が残るように玉造清水と呼ばれる良質の水が得られ、
利休が茶の湯に愛用したとされます。
平成18年(2006)当時を偲ぶ井戸が再掘され再建されたもの。
【拝殿・本殿】

【境内】

【厳島神社】



御祭神:市杵嶋姫神
【万慶稲荷神社・新山稲荷神社】



御祭神:宇迦之御魂神
【狛狐】


【難波・玉造資料館】


昭和61年(1986)創祀二千年を記念して開館されたもの。
資料館は閉まっていました。
拝観希望の場合は1週間前迄に事前予約が必要とのこと。
【豊臣秀頼公奉納鳥居】



阪神淡路大震災により基礎部分が損傷し、
今はこのように上部を残して保存されていました。
【千利休居士顕彰碑】

利休居士15世にあたる千宗室宗匠の筆による、
利休の茶の心「和敬静寂」が彫られていました。
和敬清寂とは茶道の心得を示す標語で、
意味は主人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、
茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にするという意味。
【胞衣塚大明神】




【豊臣秀頼公像】


何と言うか頼り無くシマラナイ顏をしてますね。(^^;
【御朱印】
とんでもなく古い歴史がある神社が玉造稲荷神社です。
その創建は紀元前12年と伝えられていますが、
2千年以上前にあったとは俄かに信じがたい程の古社です。
だって2千年前は弥生時代中期ですよ。
そんな時代に神社は存在していたのか?
仏教と違って神道は文字を持たないので、
余りにも古い年月の創建は伝承によるもので確実ではない。
しかしながら、弥生人より古い縄文人ですら、
巨石や山等を神として自然崇拝していたことから、
2千年前に神社があったとしても不思議では無い。
ちなみに日本で一番古い神社は神代の時代に創建されたとされる、
奈良の大神神社だそうです。
所在地:大阪府大阪市中央区玉造2-3-8
御祭神:宇迦之御魂大神
配祀神:下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命
創建:伝・垂仁天皇18年(紀元前12)
社格等:府社
【由緒】
社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12)に創建され、
当時は比売社と称していた。
蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子が、
この地に布陣して戦勝を祈願、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承がある。
豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。
戦国時代の戦火で荒廃し慶長8年(1603)に豊臣秀頼により社殿が再建。
慶長20年(1615)の大坂夏の陣で社殿は再び焼失し、
元和5年(1619)に徳川幕府の大坂城代や氏子らの寄進によって再建された。
社地は元々は急崖に面していたため、少しでも平坦化する為に、
寛政元年(1789)東横堀川の浚渫で出た土砂を町人らが運び込む砂持が行われた。
豊臣・徳川時代を通して大坂城の鎮守とされ豊津稲荷社と称した。
江戸時代には伊勢参りの出発点とされた。
文久3年(1863)11月の大坂大火で焼失するが、明治4年(1871)に再建。
現在の玉造の社名は鎮座地の地名によるもので、
一帯は古代、勾玉等を作っていた玉作部の居住地であったという伝承がある。
現在の社殿は昭和20年(1945)6月1日の第2回大阪大空襲で焼失した後、
昭和29年(1954)に再建されたものである。
【鳥居】

車は拝殿横に無料で停めれました。
【境内】

左手に手水舎、真ん中に拝殿、右手に社務所となっています。
【拝殿】



綺麗な拝殿で清々しい気持ちで参拝出来ます。
【狛犬】

【利休井】

千利休は玉造・禰宜町(当神社南側)に屋敷を構え、
清水谷等の地名が残るように玉造清水と呼ばれる良質の水が得られ、
利休が茶の湯に愛用したとされます。
平成18年(2006)当時を偲ぶ井戸が再掘され再建されたもの。
【拝殿・本殿】

【境内】

【厳島神社】



御祭神:市杵嶋姫神
【万慶稲荷神社・新山稲荷神社】



御祭神:宇迦之御魂神
【狛狐】


【難波・玉造資料館】


昭和61年(1986)創祀二千年を記念して開館されたもの。
資料館は閉まっていました。
拝観希望の場合は1週間前迄に事前予約が必要とのこと。
【豊臣秀頼公奉納鳥居】



阪神淡路大震災により基礎部分が損傷し、
今はこのように上部を残して保存されていました。
【千利休居士顕彰碑】

利休居士15世にあたる千宗室宗匠の筆による、
利休の茶の心「和敬静寂」が彫られていました。
和敬清寂とは茶道の心得を示す標語で、
意味は主人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、
茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にするという意味。
【胞衣塚大明神】




【豊臣秀頼公像】


何と言うか頼り無くシマラナイ顏をしてますね。(^^;
【御朱印】
