楠䚯社参拝後、住吉大社の境内を巡ります。
【参集所】
社務所です。
【車祓所】
祈祷料は7千円からです。
【誕生石】
源頼朝の寵愛を受けた丹後局 がここで出産した場所と伝えられ、
その子が薩摩藩島津氏の始祖・島津忠久公とのこと。
【島津忠久】
島津家の誕生は源平の頃から始まります。
頼朝の寵愛を受けていた丹後局が子供を身ごもり、
これを知った頼朝の正室北条政子に妬まれました。
そのため鎌倉を逃れ、大阪府の住吉大社につき忠久を産みました。
住吉大社の境内には忠久誕生石が島津家における稲荷信仰や雨を瑞兆とする慣わしは、
この故事に由来するものであるとされています。
その後、元旦参拝のため住吉大社を訪れた摂政近衛基通に救われます。
丹後局は近衛基通の家来・惟宗広言のもとに嫁ぎ、
忠久も惟宗を名乗ることになりました。
頼朝は忠久誕生の知らせを受け三郎の名を与えました。
1185年に頼朝と初めて対面し頼朝の家臣畠山重忠の一字を得て忠久と名乗る事になり、
その後九州をおさめるようになりました。
【反橋】
現在の石造橋脚は慶長年間に淀君が豊臣秀頼公の成長祈願の為に、
奉納したと伝えられております。
【角鳥居・幸寿門】
【市戎大国社】
【五月殿】
御田植神事に用いられる建物です。
【猿回し】
猿回しといえば浅草神社を思い出すのですが、
大阪では珍しく猿回しを見れました。
【神館西門】
文政11年(1828)に建立された気品のある門です。
【船玉社】
摂社。
【幸福門】
江戸時代前期に建立されたもの。
【石舞台】
慶長12年(1607)建立された重要文化財。
豊臣秀頼が寄進されたもの。
四天王寺、厳島神社とともに日本三舞台と称されてるそうです。
【神館】
【南門】
【狛犬】
慶長12年(1607)建立されたもの。
これにて住吉大社本社のめぼしい所は見てまわりました。
しかしまだこれで終わりではない。
浅澤社と大歳社は次回へ。
【参集所】
社務所です。
【車祓所】
祈祷料は7千円からです。
【誕生石】
源頼朝の寵愛を受けた丹後局 がここで出産した場所と伝えられ、
その子が薩摩藩島津氏の始祖・島津忠久公とのこと。
【島津忠久】
島津家の誕生は源平の頃から始まります。
頼朝の寵愛を受けていた丹後局が子供を身ごもり、
これを知った頼朝の正室北条政子に妬まれました。
そのため鎌倉を逃れ、大阪府の住吉大社につき忠久を産みました。
住吉大社の境内には忠久誕生石が島津家における稲荷信仰や雨を瑞兆とする慣わしは、
この故事に由来するものであるとされています。
その後、元旦参拝のため住吉大社を訪れた摂政近衛基通に救われます。
丹後局は近衛基通の家来・惟宗広言のもとに嫁ぎ、
忠久も惟宗を名乗ることになりました。
頼朝は忠久誕生の知らせを受け三郎の名を与えました。
1185年に頼朝と初めて対面し頼朝の家臣畠山重忠の一字を得て忠久と名乗る事になり、
その後九州をおさめるようになりました。
【反橋】
現在の石造橋脚は慶長年間に淀君が豊臣秀頼公の成長祈願の為に、
奉納したと伝えられております。
【角鳥居・幸寿門】
【市戎大国社】
【五月殿】
御田植神事に用いられる建物です。
【猿回し】
猿回しといえば浅草神社を思い出すのですが、
大阪では珍しく猿回しを見れました。
【神館西門】
文政11年(1828)に建立された気品のある門です。
【船玉社】
摂社。
【幸福門】
江戸時代前期に建立されたもの。
【石舞台】
慶長12年(1607)建立された重要文化財。
豊臣秀頼が寄進されたもの。
四天王寺、厳島神社とともに日本三舞台と称されてるそうです。
【神館】
【南門】
【狛犬】
慶長12年(1607)建立されたもの。
これにて住吉大社本社のめぼしい所は見てまわりました。
しかしまだこれで終わりではない。
浅澤社と大歳社は次回へ。