世田谷八幡宮から歩いて曹洞宗の勝光院へ。
ここは山門前の雰囲気が良くて行ってみました。
世田谷吉良家の菩提寺でもあります。
所在地:東京都世田谷区桜1-26-35
宗派:曹洞宗
御本尊:虚空蔵菩薩
創建:建武2年(1335)
開山:吟峰竜公禅師
開基:吉良治家
札所:世田谷三十三ヶ所観音霊場、玉川北百番霊場
【縁起】
曹洞宗大源派で多摩郡下恩方村心源院の末寺延命山と号し、
もとは臨済宗で金谿山竜凰寺といい、のち興善寺と改めたこともある。
この寺の中興2世観堂宗察和尚の時、
天正19年(1591)に将軍家康から寺領を30石与えられた。
建武2年(1335)に世田谷城主吉良治家が開基したものと伝えている。
開山は鎌倉建長寺の吟峰竜公禅師で文和3年(1354)になくなっている。
その後、天文15年(1546)吉良頼康が中興開基で、
法名を勝光院殿脱山浄森大居士といい、院号により興善山勝光院と改称した。
明治維新によって寺の所領および所有地の大部分が没収され、
勝光院は経済面で窮地に立たされた。
住僧の人数も減少した為、明治13年(1880)には禅堂(衆寮)を売却。
昭和期に入って山門や控室などを再建し、
昭和57年(1982)に書院や玄関等が旧状を留めながら大幅に改修を実施された。
墓地には吉良氏歴代の墓の他、幕臣広戸備後正之の墓がある。
【寺号石標】
写真に写っているように山門前に車は停められます。
【山門】
福井の永平寺の雰囲気を出したいという、
お寺の意向が感じられますね。
これが世田谷の住宅街にあるのを忘れるぐらい、
これぞ曹洞宗のお寺といった良い雰囲気です。
【石段】
【鐘楼堂】
【本堂】
境内もさすがに曹洞宗といった雰囲気で、
チャラチャラした気持ちでは参拝出来ない。
本堂も曹洞宗らくし閉ざされていました。
【庫裏】
【客殿】
これにて勝光院の参拝終了。
御朱印は現在もいただけると思いますが、
拝受するのはちょっと躊躇われる雰囲気も曹洞宗らしい。
【昼食】
東急世田谷線宮の坂駅近くにある蕎麦屋さんで昼食。
東京って鰻重と蕎麦のセットって結構ありますね。
関西ではあんまり無い組み合わせなんで頼んでしまいます。(笑)
ここは山門前の雰囲気が良くて行ってみました。
世田谷吉良家の菩提寺でもあります。
所在地:東京都世田谷区桜1-26-35
宗派:曹洞宗
御本尊:虚空蔵菩薩
創建:建武2年(1335)
開山:吟峰竜公禅師
開基:吉良治家
札所:世田谷三十三ヶ所観音霊場、玉川北百番霊場
【縁起】
曹洞宗大源派で多摩郡下恩方村心源院の末寺延命山と号し、
もとは臨済宗で金谿山竜凰寺といい、のち興善寺と改めたこともある。
この寺の中興2世観堂宗察和尚の時、
天正19年(1591)に将軍家康から寺領を30石与えられた。
建武2年(1335)に世田谷城主吉良治家が開基したものと伝えている。
開山は鎌倉建長寺の吟峰竜公禅師で文和3年(1354)になくなっている。
その後、天文15年(1546)吉良頼康が中興開基で、
法名を勝光院殿脱山浄森大居士といい、院号により興善山勝光院と改称した。
明治維新によって寺の所領および所有地の大部分が没収され、
勝光院は経済面で窮地に立たされた。
住僧の人数も減少した為、明治13年(1880)には禅堂(衆寮)を売却。
昭和期に入って山門や控室などを再建し、
昭和57年(1982)に書院や玄関等が旧状を留めながら大幅に改修を実施された。
墓地には吉良氏歴代の墓の他、幕臣広戸備後正之の墓がある。
【寺号石標】
写真に写っているように山門前に車は停められます。
【山門】
福井の永平寺の雰囲気を出したいという、
お寺の意向が感じられますね。
これが世田谷の住宅街にあるのを忘れるぐらい、
これぞ曹洞宗のお寺といった良い雰囲気です。
【石段】
【鐘楼堂】
【本堂】
境内もさすがに曹洞宗といった雰囲気で、
チャラチャラした気持ちでは参拝出来ない。
本堂も曹洞宗らくし閉ざされていました。
【庫裏】
【客殿】
これにて勝光院の参拝終了。
御朱印は現在もいただけると思いますが、
拝受するのはちょっと躊躇われる雰囲気も曹洞宗らしい。
【昼食】
東急世田谷線宮の坂駅近くにある蕎麦屋さんで昼食。
東京って鰻重と蕎麦のセットって結構ありますね。
関西ではあんまり無い組み合わせなんで頼んでしまいます。(笑)