慈眼院の参拝と国宝の多宝塔を見終えてから、
隣に鎮座する日根神社を約10年振りに参拝です。
<2012年5月4日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/09114993a1444c544f31a7d3de3cbdd4
所在地:大阪府泉佐野市日根野631-1
御祭神:鸕鷀草葺不合尊・玉依姫尊
創建:不明
社格:式内社、和泉国五宮、府社
【由緒】
創建の時期は明らかではないが、社伝によると神倭伊波礼毘古命による東征の際、
命が河内から大和に入る時に長髄彦と戦い敗れた。
その際に野原が広がる当地まで退却した命はここで、
「日」(天)の神である天照大御神と「根」(黄泉)の神である須佐之男命を祀った所、
戦に勝って大和を平定した。
それによりこの地を日根野と名付け、社名は日根神社とされたとする。
霊亀2年(716)に制定された和泉五社のうちに数えられており、
延喜式内社日根郡十座のうちに列せられていることから、
1200年以上前であると考えられる。
天武天皇2年(673)には境内に隣接して神宮寺の無辺光院(慈眼院)が建立されている。
聖武天皇の御代、天平14年(742)の大旱魃の際には500石を朝廷から賜っている。
天正年間(1573-1593)に兵火によって焼失し、
天正13年(1585)には羽柴秀吉により社領が没収されたが、
慶長7年(1602)には豊臣秀頼によって社殿が再建されている。
明治時代になると神仏分離により隣接している無辺光院と分離し、
明治6年(1873)には郷社定則により郷社に指定され、
大正13年(1924)に府社に昇格した。
【三之鳥居】
【鳥居】
【比賣神社】
重要文化財。
【丹生神社】
【恵毘須宮】
【岡前神社】
【赤之宮】
【参道】
【四之鳥居】
【神門】
【拝殿】
パンパンとお参り。
【狛犬】
【新道宮】
御祭神:菅原道真公
【本殿】
これにて日根神社の参拝終了。
雰囲気や社殿も10年前と全く変わらず嬉しかったね。
もっとも神社の歴史に比べれば10年なんて大した年月じゃないんだろうけど。
隣に鎮座する日根神社を約10年振りに参拝です。
<2012年5月4日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/09114993a1444c544f31a7d3de3cbdd4
所在地:大阪府泉佐野市日根野631-1
御祭神:鸕鷀草葺不合尊・玉依姫尊
創建:不明
社格:式内社、和泉国五宮、府社
【由緒】
創建の時期は明らかではないが、社伝によると神倭伊波礼毘古命による東征の際、
命が河内から大和に入る時に長髄彦と戦い敗れた。
その際に野原が広がる当地まで退却した命はここで、
「日」(天)の神である天照大御神と「根」(黄泉)の神である須佐之男命を祀った所、
戦に勝って大和を平定した。
それによりこの地を日根野と名付け、社名は日根神社とされたとする。
霊亀2年(716)に制定された和泉五社のうちに数えられており、
延喜式内社日根郡十座のうちに列せられていることから、
1200年以上前であると考えられる。
天武天皇2年(673)には境内に隣接して神宮寺の無辺光院(慈眼院)が建立されている。
聖武天皇の御代、天平14年(742)の大旱魃の際には500石を朝廷から賜っている。
天正年間(1573-1593)に兵火によって焼失し、
天正13年(1585)には羽柴秀吉により社領が没収されたが、
慶長7年(1602)には豊臣秀頼によって社殿が再建されている。
明治時代になると神仏分離により隣接している無辺光院と分離し、
明治6年(1873)には郷社定則により郷社に指定され、
大正13年(1924)に府社に昇格した。
【三之鳥居】
【鳥居】
【比賣神社】
重要文化財。
【丹生神社】
【恵毘須宮】
【岡前神社】
【赤之宮】
【参道】
【四之鳥居】
【神門】
【拝殿】
パンパンとお参り。
【狛犬】
【新道宮】
御祭神:菅原道真公
【本殿】
これにて日根神社の参拝終了。
雰囲気や社殿も10年前と全く変わらず嬉しかったね。
もっとも神社の歴史に比べれば10年なんて大した年月じゃないんだろうけど。