Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

蟻通神社(2022年5月3日参拝)

2022年08月21日 | 神社
本日最後の参拝となるのが蟻通神社という変わった名前の神社です。

昔、食い扶持を減らす為に姥捨山に老人を捨てるという習慣があり、
ある中将は老いた両親を捨てきれず隠して孝を尽くしていたが、
ある時に唐帝が日本を攻めんとして、種々の難題を課し、
その中に「七曲の穴のある玉に紐を通せ」という課題があった。

中将は両親の知恵によって蟻に細糸を結び、玉の出口に蜜を塗って、
通すことができたので攻められずにすんだ。

棄老習俗は廃され、この老人を神として祀ったと枕草子にある、
というのが蟻通という名前の由来です。


所在地:大阪府泉佐野市長滝814
御祭神:大国主命
創建:弥生時代中期
社格:郷社
勧請:開化天皇


【由緒】
神社の創祀は旧記不詳ですが、社伝によりますと第9代開化天皇の御宇勧請とされています。

鎮座地の長滝を含むこの地域は古くから人々が住み、
開拓された所で早くから農耕も始まったとされています。
そういった風土、歴史の中で、地域を守る神社として、
国土開発・五穀豊穣の神様をお迎えしたのではないかと考えられます。
その頃は今のようなご社殿はなく鬱蒼とした杜の中の簡素な佇まいの神社と思われます。

万治2年(1659)岸和田藩主岡部宣勝公の命により、神宮寺宗福院も建立され、
神職と社僧が祭祀する南泉州地域有数の神社としての陣容が整いました。

歴代藩主の保護厚く時にご社参され祈願を為し、数々の神宝・祭具・土地をご寄進されました。

明治維新の国家神道の神仏分離令によって宮寺宗福院は廃寺となり取り壊されました。
明治40年からの神社合祀により村内にあった神社が合祀され祀られています。

大正6年に村社から郷社となりました。
昭和16年(1941)第2次世界大戦勃発。翌年、長滝村にまたがる一帯は、
陸軍明野飛行学校佐野飛行場が建設され、田畑、一部集落も強制移転を余儀なくされました。

この時蟻通神社も移転の運命にあり現在地に移ることになりました。

昭和43年(1968)明治100年記念として、鳥居、弁財天社、仏足石、八百万の神等を整備し、
また併せて紀貫之冠之渕を境内に整えました。


【南鳥居】




10台以上停めれる無料駐車場は参道左手にあります。


【狛犬】





【石灯籠】





【参道】



【紀貫之ゆかりの冠の渕】






紀貫之が蟻通神社の社前を通りかかったところ、突然馬が病に倒れ、
その時に貫之が過って冠を路傍の渕の中へ落としました。

冠を落とした池なので冠之渕と呼んだことが由来とのこと。


【子安地蔵】





【足神神社】







【仏足石】





【南手水舎】


元禄7年(1694)に造られたもの。


【弁財天社】





【表門】


嘉永4年(1852)建立されたもの。


【狛犬】





【境内】



【舞殿】






江戸時代(1815-1868)に建立されたもの。


【拝殿】






江戸時代(1630-1661)に建立されたもの。


【社務所】



【絵馬堂】


万延元年(1861)に建立されたもの。


【本殿】




寛文9年(1669)に建立されたもの。


【御神馬】





【六社明神】







【牛神祠】





【石の祠】







【北鳥居】


これにて参拝終了。

蟻通神社の御朱印はあります。