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知る事は幸福度を高める

憲法全面改正に手段選ばず見解も翻す歴史の歪曲も。その②GHQ草案を飲んだ天皇・幣原・吉田内閣の本音

2024-05-02 17:53:22 | 憲法

 1946年2月13日に外務大臣官邸で、GHQの指示で「憲法改正」についての会合を持つ事となった。日本側は吉田茂外相、松本烝治国務相、終戦連絡中央事務局長白洲次郎、外務省通訳長谷川元吉。GHQ側はホイットニー准将、ケーディス大佐、ハッシィ中佐、ラウエル中佐である。

 GHQは2月8日に松本烝治が提出した憲法草案「松本案」を拒否した。そして、マッカーサー(連合国軍総司令部総司令官)の「三原則」に沿ってGHQによって作成された「GHQ憲法草案」を4人に渡し受け入れるか否か検討して回答するよう求めた。その際、ホイットニー准将はマッカーサーの意思を伝えた(『ラウエル文書』、松本烝治『松本会見記略』)。そして、GHQは認否の回答期限を2月22日と定めた。

「あなたたちが知っているか否かは別にして、最高司令官は、天皇を戦争犯罪に関係があるとして尋問すべきだという声が他国のなかにあるが、その圧力から天皇を守ろうとしている。これからも最高司令官は守るでしょう。しかし、その努力には限界があります。さしあたりこの憲法草案を受け入れる事で、天皇制は守られるという事になります。この憲法草案を受け入れる事こそ、あなた方の唯一の生き残りの道でもあるのです日本国民はこの憲法を選ぶか、こうした民主主義の原則を包含していない別な憲法を選ぶかの自由を持つべきだ最高司令官は判断しています」(『ラウエル文書』より)

上記のGHQ側の記録に対して、日本側の記録(松本烝治『松本会見記略』)では、 

「本案は内容形式ともに決して之を貴方に押し付ける考えにあらざるも、実は之はマッカーサー元帥が米国内部の強烈な反対を押し切り、天皇を擁護申し上げる為に、非常なる苦心と慎重の考慮を以て、之ならば大丈夫と思う案を作成せるものにして、また最近の日本の情勢を見るに、本案は日本民衆の要望にも合するものなりと信ずといえり」としている。

 つまり、「日本の為政者に対して、天皇は戦争犯罪を問われている、日本の為政者が、その地位と権力の源泉である天皇と天皇制に基づく国家体制を守りたいのなら、マッカーサーが守ると言ってるから、GHQ改正草案を受け入れる事をすすめる、日本国民の要望にも応えられる内容のものだから」というわけである。マッカーサーは『スターズ・アンド・ストライプス』(1946年2月15日)に、「天皇の命を救ったのは自分だ。当時の世界の世論は、天皇は日本の侵略戦争の最高責任者であるから、当然国際裁判にかけて絞首刑に処すべしという世論が圧倒的であったけれども、自分は、天皇を絞首刑にすると、日本の労働者や学生や日本人民大衆が勢いを得て、人民主権の民主主義の徹底的実現を要求し、とても占領軍がこれを抑える事ができないであろうと考え、むしろ自分が天皇の生命を救う事によって、天皇をして占領軍に協力させる事が占領政策上もっともよろしいと判断したのだ」と述べていた。

 米国におけるギャラップ社の世論調査(1946年6月初旬)では、「戦後、日本国天皇をどうすべきであると考えますか」という質問に対し、

①殺害する、苦痛を強いる餓死……36% ②処罰もしくは国外追放……24% ③裁判に付し、有罪ならば処罰……10% ④戦争犯罪人として処遇……7% ⑤不問、上級軍事指導者に責任あり……4% ⑥傀儡として利用……3% ⑦その他……4% ⑧意見なし……12%、となっており、米国民は天皇に対して厳しい処分を望んでいた。

 また、米国だけでなく、ソ連オーストラリアなど連合国内部には天皇の責任を問う声が強かった。

 先の会合後の2月19日、松本国務相は「閣議」でGHQの「憲法草案」について詳しく報告をした。それは「彼らの作成せる原案は、この憲法は人民の名によって制定する、天皇には統治権もなければ主権もない、総理大臣は議会が任命する、任命された総理大臣は各大臣を任命して議会の承認を得る事、貴族院は廃止されて衆議院の一院となる事など、あたかもソビエト(ソ連)の言いそうな、またドイツのワイマール憲法のような、主権は人民にありというので、現行憲法を改正せんとするにあらずして、むしろ、革命的な連合軍司令部より、この憲法によって民主政治を樹立すべしと命令せらるるに少しも異ならない……」というもので、天皇主権の国家体制を否定されている事に憤慨している。

しかしすでにマッカーサー(米国政府)は、日本の占領統治を進めやすくするために、主権をもつ「天皇制」を主権をもたない「象徴天皇制」に変更し存続して利用しようとしていた(1946年1月25日、アイゼンハワー大統領あての電報)。さらに米国は、東西冷戦下で、日本を共産主義の防波堤として利用するためにも天皇は重要であると考え、象徴天皇としようとした。

 同年2月21日、幣原喜重郎首相がマッカーサーに面会した。幣原はGHQ憲法草案で天皇が「シンボル」とされているを、「元首」としたいと伝えている。その意図は、同じく「人民」とされているのを今まで帝国憲法通り「臣民」のままにしておきたかったのである。その時マッカーサーは幣原に「48時間以内に回答を持参」するよう要求した。

 同年2月22日、幣原は閣議に、「主権在民と戦争放棄は、総司令部の強い要求です。憲法改正はこれに沿って立案するよりほかにない。それ以外はなお交渉を重ね、こちらの意向を活かすように努める。そうご了承賜りたい」と報告した。天皇制の護持のためには、GHQ憲法草案を受け入れて天皇をシンボルとする事と、戦争放棄に同意したのである。そして、閣議を中止し、天皇へ報告をした。それに対して天皇は「最も徹底的な改革をするが良い。たとえ天皇自身から政治的機能のすべてをはく奪するほどのものであっても全面的に支持する」と述べた。それを聞いた後閣議を再開し、閣僚に伝えた。全員反対せず、松本国務相も「やむなし」と納得した。ここで重要な事は、米国政府と天皇と日本の支配層それぞれの思惑利害が一致したという事であり、それが日本国憲法として結実するのである。

※これより前の1月1日に、天皇はマッカーサーのすすめにより、俗にいう「人間宣言」を発表していた。正式には「新日本建設に関する詔書」詔勅)という。天皇の戦争責任追及をかわすためと、戦後の日本の国家体制も天皇が作るのであり、それは大日本帝国(天皇制民主主義)なのだという事(戦前国家の再生)、を国民に明示する事を目的としたものであった。「宣言」(詔勅)については、1977年8月22日の那須御用邸での記者会見で「あの詔勅の第1の目的は五箇条の御誓文であった。神格(否定)とかは2の問題であった。民主主義を採用したのは明治大帝の思し召しであり、それが五箇条の御誓文で、それがもとになって大日本国憲法ができた。民主主義は決して輸入のものではない事を示す必要があった。日本の誇りを国民が忘れると具合が悪いと思い誇りを忘れさせないために、明治大帝の立派な考えを示すために発表した。」と述べている。何という厚顔無恥、無責任、狡猾、傲慢な態度である事か。 

 GHQ憲法草案を受け入れた天皇や幣原政府(支配者)は、英文の草案を日本語に訳し、手直しして「日本政府草案」(英文)として3月4日にGHQ側に提示した。幣原政府の翻訳については、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』によると、

「『人民の意志の主権』を強調したGHQ 憲法草案の前文を省略し、家族制度の廃止を条文化した条項を削除、衆議院の権威を制限するような参議院の創設を提案し、中央政府による支配を容易にするように地方自治に関する条項を変更していた。さらに政府は、多くの人権保障に関する条項を、時には大日本帝国憲法を連想させるような決まり文句を挿入する事で骨抜きにした。言論、著作、出版、集会、結社の自由は、今や『安寧秩序を妨げざる限りに於いて』のみ保障され、検閲は『法律の特に定むる場合の外』には行わない事になった。労働者が団結したり、団体交渉したり、集団行動をする権利も同様に『法律の定むる所に依り』という文言で束縛された。また、外務省が準備したGHQ憲法草案の当初の訳文では『people』を『人民』(米国では当たり前)としていたが、松本らはそれをやめて、本質的に保守的な用語である『国民』という用語を採用した」とし日本政府の抵抗を暴露している。

 ※「前文」は松本らはこれを入れるつもりはなかったが、GHQは譲らなかった。

 幣原政府による「日本政府草案」は、GHQと幣原内閣の間で相互の意思を確認しながら交渉が重ねられた末に作成されGHQは了承した。幣原政府は「GHQ了承案」を3月6日に閣議で正式に承認し、国民にも発表され、天皇は勅語を発表した。その内容(部分)は、

「国民の総意を基調とし、人格の基本的権利を尊重するの主義に則り、憲法に根本的改正を加え、以て国家再建の礎を定める事をこいねがう」と納得している。

 幣原首相はこの勅語について「「わが国民をして世界人類の理想に向かい同一歩調に進ましむるため、非常なる御決断を以て現行憲法に抜本的改正を加える事を了解した」と述べている。

 マッカーサーも声明を発表し、「この憲法は、5カ月前に余が内閣に対して発した最初の指令以来、日本政府と連合国最高司令部の関係者の間における労苦に満ちた調査と、数回にわたる会合の後に起草されたものである」と述べている。

 1946年4月10日、幣原政府の下で敗戦後初の衆議院議員選挙が実施され、保守の日本自由党が第1党となった。5月22日には吉田茂内閣が成立した。第1党は自由党の総裁は鳩山一郎であったが、GHQ に反抗的とみなされ、GHQによる軍国主義者の公職追放により組閣できず(幻の鳩山内閣)、衆院の議席を持たなかった吉田茂が「大命降下」による最後の首相として就任した。石橋湛山は大蔵大臣となったが公職追放となった。

 6月2日、吉田政府は第90回帝国議会に「日本国憲法原案」を提出した。その時の吉田は「皇室の御存在なるものは、これは日本国民、自然に発生した日本国体そのものであると思います。皇室と国民の間には何らの区別もなく、いわゆる君臣一如であります。君臣一家であります。国体は新憲法によっていささかも変更せられないのであります。」と述べた。

(2016年2月9日投稿)

 

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長野県知事は時代錯誤、神聖天皇主権大日本帝国下官僚の価値観

2024-03-20 18:18:06 | 憲法

 阿部守一長野県知事が護国神社(松本市)の崇敬者会の会長になり、同神社の鳥居再建のための寄付を募る呼びかけ人として、それも宮司に次いで崇敬者総代として名を載せているため、これらの行為が憲法に定める「政教分離の原則」に違反するのではないかと問題となっている。

 県知事は「私人」として活動であるとか、「宗教活動をしている人は公職に就いてはいけないのか」「行政機関としての県や知事の活動とは一線を画しており、憲法に違反するものではない」などと述べている。

 「政教分離原則」については、憲法第20条には「信教の自由は何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」、同条3項には「国及びその機関は、宗教教育その他のいかなる宗教的活動もしてはならない」と定めているが、阿部県知事の行為はこれに抵触するものと考えてよい。

 阿部県知事の行為の基礎となっている認識は、神聖天皇主権大日本帝国政府国体としていた「国家神道体制」の下での県知事(政府が官僚から任命)の役職認識を深く帯びているものであると考えられる。護国神社とは、政府が靖国神社の地方分社として整備した各地の招魂社を1939年3月に護国神社と改称し、道府県あたり各1社を(内務大臣)指定護国神社としたものであり、府県社に準じた。それら護国神社は神聖天皇主権大日本帝国が崩壊した敗戦後も、国体継承の意志をもつ自民党系の為政者の意志により、国家神道を廃止する「政教分離原則」を現憲法に定める一方、靖国神社を頂点としたその分社としてそのまま遺されたのである。長野県護国神社はその一つである。また、神社の「崇敬者」は、帝国政府成立後「信徒」と呼ばれていたが、他の宗教の信者と紛らわしいとの理由で、1908年3月、法律第23号により、「信徒」を廃して「崇敬者」と呼ぶようにしたが、一般的には「崇敬者」を「氏子」と称するようになった。

 帝国政府内務省は明治末年から、地方制度を強化する一環として「氏子組織」を重視した。この神社中心主義は、神社を市町村ないし氏子組織の公共活動、産業、教育、思想の中心に置こうとするものであり、大正期には氏子組織の整備が全国的に進められた。氏子組織では氏子(崇敬者)総代を選出したが、府県社以下の神社では、農村や都市の経済力のある有力者が選出され、氏子総代は神職の人事に推薦の形で関係するなど、神社を翼賛する意味での関与を認められていた神社の活動を助けるとともに、神社の維持経営に経済的に尽力し、神徳の宣揚に努めるものとされた。また、神社の権威を背景に、氏子の思想統制と善導の役割を果たした。阿部長野県知事はこのような認識を強く有していると考えて良い。

 阿部県知事が「崇敬者」だという事は県護国神社の氏子である事を意味している。その上さらに「崇敬者会」の「会長」に就任したという事は、現在も健在な「国家神道体制」の「氏子総代」「崇敬者総代」に就任したという事であり、県知事としてその地位に就く事や寄付の呼びかけ人の代表を務めるという事は、現憲法の「政教分離原則」にあえて背く行為とみなすべきであり、それゆえ現憲法下の知事として不適格であり、辞めさせるべきである。

 現憲法の「政教分離原則」がなぜ定められたのかについて、明確な説明をしているのが、津地鎮祭訴訟控訴審判決(名古屋高裁)である。それは「我が国において政教分離の原則を正しく理解するためには、戦前戦中における神社神道と国家権力との結合がもたらした種々の弊害との関連で、これが憲法上明文化された事を想起しなければならない。…明治4(1871)年教部省はいわゆる三条教憲をもって、天皇崇拝と神社信仰を主軸とする近代天皇制の宗教的政治的思想の基本を示し国民を神道教化した。そして、同年政府は社格制度を確立して神社を系列化し、伊勢神宮を別として、官国弊社、府県社、郷社、村社及び無格社の五段階に定め、中央集権的に神社を再構成し、神社には公法人の地位を、神職には官公吏の地位を与えて他の宗教には認めない特権的地位を認めた」「戦前の国家神道の下における特殊な宗教事情に対する反省が、日本国憲法20条の政教分離主義の制定を自発的かつ積極的に支持する原因になっていると考えるべきであり、我が国における政教分離原則の特質は、まさに戦前、戦中の国家神道による思想的支配を憲法によって完全に払拭する事により、信教の自由を確立、保障した点にある」「過去の歴史において、…政治と宗教が対決した場面は枚挙にいとまがない。近くは先に述べたとおり、戦前における国家神道の下で、信教の自由が極度に侵害された歴史的事実を顧みると、信教の自由(無信仰の自由を含む)を完全に保障するために、政教分離がいかに重要であるか自ずから明らかである」「本件において、津市が地鎮祭を神社神道式で行ったところ、取り立てて非難したり、重大視するほどの問題でないとする考え方は、右に述べたような人権の本質、政教分離の憲法原則を理解しないものというべきである政教分離に対する軽微な侵害が、やがては思想・良心・信仰といった精神的自由に対する重大な侵害になる事を怖れなければならない」というものであり、原告住民側勝訴「違憲」。

 最高裁では、多数意見(10名)が「目的効果基準」を発明し、津市の地鎮祭主催と供物料支出を合憲としたが、その歴史認識は物足りないが「もとより、国家と宗教との関係には、それぞれの国の歴史的・社会的条件によって異なるものがある。我が国では、過去において、大日本帝国憲法に信教の自由を保障する規定(28条)を設けていたものの、その保障は『安寧秩序を妨げず、及び臣民たるの義務に背かざる限りに於て』という同条自体の制限を伴っていたばかりでなく、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、時として、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられた等の事もあって、旧憲法のもとにおける信教の自由の保障は不完全なものである事を免れなかった。……昭和21年11月3日公布された憲法は、明治維新以降国家と神道とが密接に結びつき前記のような種々の弊害を生じた事に鑑み、新たに信教の自由を無条件に保障する事とし、さらにその保障を一層確実なものとするため政教分離規定を設けるに至ったのである」としている。

 安倍守一長野県知事の行為主張は、この「政教分離原則」に対するあからさまな挑戦以外の何ものでもない

 ※1997年4月2日、愛媛県玉串料訴訟最高裁判決は、愛媛県が公費で靖国神社への玉串料支出に対して、「憲法違反」の判決を出した。

(2020年2月2日投稿)

 

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自民党憲法改正草案「公益及び公の秩序」のテキストは幣原内閣「松本烝治自主憲法案」

2023-12-26 00:32:17 | 憲法

 安倍自民党内閣は、憲法改正に意欲を見せ、今夏の参院選で憲法改正の発議に必要な3分の2以上の議席獲得を目指している。自民党憲法改正草案はすでに2012年に国民に公表しており、自らの理想とし実現をめざす国家像を堂々と明確にしてきた。その大きな特徴は、国民主権の字句は存在するものの、実質的には内閣に権限を集中する「内閣政府主権」であり、その一方で、国民の「人権を制限」するものである。「」を重視するものといわれている。

 「」の重視の背景には、経済同友会の「憲法問題調査会」が出した2003年の意見書がある。それには「『自由』『権利』の名の下に、『』の概念を否定的にとらえる風潮への懸念がある」「人権を制限できる条件として現行憲法が掲げる『公共の福祉』の概念を明確にするため、どのような条件で権利が制限されうるのか明記する」と提案している。そして、それに応えて自民党憲法改正草案も『公共の福祉』の字句は、『公益及び公の秩序』という字句に変えている。草案Q&Aでは、「意味が曖昧で、わかりにくい。学説上は『公共の福祉は、人権相互の衝突の場合に限って、その権利行使を制約するものであって、個々の人権を超えた公益による直接的な権利制約を正当化するものではない』という解釈が主張されている。『公益及び公の秩序』と改正する事により、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合だけに限られるものではない事を明らかにしたもの」とし、また、『公の秩序』と規定したのは、「『反国家的な行動を取り締まる』事をいとしたものではない。『社会秩序』の事であり、平穏な社会生活の事を意味する。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは当然の事。その事をより明示的に規定しただけで、これにより人権が大きく制約されるものではない。」としている。経済同友会の調査会委員長を務めた高坂節三・元伊藤忠商事常務は「エネルギー政策は、いわば『公』」であるという。

それでは「自民党憲法改正草案」のどこにどのように『公益及び公の秩序』の字句を使用しているのか。第2章(安全保障)の第9条(国防軍)の2項の3「……公の秩序を維持し、……守るための活動を行うことができる。」

第3章(国民の権利及び義務)の第12条(改訂:国民の責務)「……自由及び権利には責任および義務が伴う事を自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。」 Q&Aでは、「人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものである事も必要だ。現行憲法には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されているものがある、こうした規定は改める必要がある」としている。  

同じく第13条(改訂:人としての尊重等)「……。生命自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。」 Q &Aでは、「天賦人権説に基づく規定ぶりを全面的に見直した」としている。 

同じく第21条(新設:表現の自由)第2項「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害する事を目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」 Q&Aでは、「内心の自由はどこまでも自由であるが、社会的に表現する段階になれば、一定の制限を受けるのは当然。単に公益や公の秩序に反する活動を規制したものではない」としている。 

同じく第29条(改訂:財産権)第2項「財産権の内容は、公益及び公の秩序に適合するように、法律で定める。……」

ところで「公益及び公の秩序」という字句のテキストはどこにあるのだろうか。それは、「大日本帝国憲法とほとんど同様」という事でGHQが否定した、幣原内閣によって作られた自主憲法『松本烝治案』にあるのだ。これこそが、自民党のいう「自主憲法」の身近なテキストなのである。もちろんその原典は天皇制絶対主義日本風王権神授説に基づいた「大日本帝国憲法」である。

松本案』は、『帝国憲法』第8条第1項で「天皇は公共の安全を保持し又は其の災厄を避ける為緊急の必要に由り帝国議会閉会の場合に於いて法律に代わるべき勅令を発す」、第2項で「この勅令は次の会期に於いて帝国議会に提出すべしもし議会に於いて承諾せざるときは政府は将来に向かってその効力を失うことを公布すべし」とあるのを、「所定の緊急勅令を発するには議院法の定むる所に依り帝国議会常置委員の諮詢を経るを要するものとすること」と改訂。

同じく第9条「天皇は法律を執行する為又は公共の安寧秩序を保持し及び臣民の幸福を増進する為に必要なる命令を発し又は発せしむ但し命令を以て法律を変更することを得ず」の中の「公共の安寧秩序」を、「行政の目的を達する為に必要なる命令」と改訂。

同じく第20条「日本臣民は法律の定むる所に従い兵役の義務を有す」の中の「兵役の義務」を、「公益の為必要なる役務に服する義務」と改訂。

同じく第27条第2項は『帝国憲法』の字句をそのまま残し、「公益の為必要なる処分は法律の定むる所に依る」としている。

同じく第28条「日本臣民は安寧の秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りに於いて信教の自由を有す」を、「日本臣民は安寧秩序を妨げざる限りに於いて信教の自由を有するものとする」と改訂。

ここにおける「公益」や「公共」の字句の意味が何を指すかは明瞭である。それは「天皇を最高の支配者とする大日本帝国政府およびその政策」であり、「その大日本帝国政府が築いた社会秩序全般」で、「社会秩序」とは、「大日本帝国憲法」の「憲法発布勅語と上諭」(現行憲法の前文にあたる)に示された国家観臣民(国民)観である。『自民党改正草案』にも「前文」で「社会秩序」(国家観・国民観)の内容が示されているが、それは安倍政権にとっては当然の事であろうが、大日本帝国の社会秩序であった「天皇元首国家」「軍国主義の正当化」や、「尽忠報国精神」「挙国一致精神」「滅私奉公精神」「国威発揚精神」などと同様の内容である。

安倍政権は、『松本案』を現代社会に適合させるために若干の手直しをした『自民党憲法改正草案』を国民の前に、狂信的な使命と自信と誇りをもって公表しているのである。その内容が、時代錯誤で普遍的な価値観を踏みにじるものであるにもかかわらず。もしこの「野望」を実現させたとしても、「政府による人権否定」という特異性は、世界の人々から「日本政府の孤立」を導く事になるだろう。

(2016年5月5日投稿)

 

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最低投票率制定こそ憲法改正国民投票法改正の最重要事

2021-05-07 17:12:58 | 憲法

 2021年4月22日、衆院憲法審査会が開催され、国民投票法(日本国憲法の改正手続きに関する法律)改正案を審議した。自民党の新藤義孝・与党筆頭幹事の「議論は尽きている。採決の機は熟しているという事は更に明白になった」という主張はまったく論外であるが、公明党の北側一雄副代表の「早急に成立させてもらった上で、憲法本体の議論、CM規制の議論を同時並行で行いたい」との主張も詐欺的手法であり同様に論外である。

 改正案は2018年に提出され、大型商業施設への共通投票所の設置など7項目が盛り込まれている。

 しかし、国民投票法の改正すべき最も重要な点は、

最低投票率」を定める事である。ちなみに自民・公明が反対したため定められなかったのであるが。この規定がなければ、どんなに投票率が低くても、改正「賛成」が「反対」より1票でも多ければ「改正」が成立するからである。これでは国民の声の大勢を反映した事にはならず、極めて不公正というべきである。国会に関する憲法第56条「定足数、評決」においても「➀両議院は、各々その総議員の3分の1以上の出席がなければ、議事を開き議決する事ができない。②両議院の議事は、この憲法に特別の定めある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数の時は、議長の決するところによる。」と定めているのであるから、「憲法改正」の「国民投票法」においても、それに倣った適切な条件を定めるべきであろう。それはまず「最低投票率」を定める事であろう。さらには憲法第96条「憲法改正の手続き」に定める「過半数の賛成を必要とする」としているものを改めて検討し直し、それよりもさらに適切な「基準」を定めても良いのではないだろうか。それを嫌ったのが自民・公明両党であった。特に自民党がどのような憲法(国家)を目指しているかは「自民党憲法改正案」に明確である。

 憲法は、人権の保障や民主的な政治の仕組みの基本を定めており、また、国家の一番大切な法であるから、変更の手続きを厳しくしておき、簡単に変える事ができない硬性憲法の性格をもたせておくべきだと思う。

 国民投票法には改正すべき点は、公務員や教育者の投票行動を一部制限している点などほかにもある。

(2021年4月25日投稿)

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マイナンバーカード取得:国家公務員は憲法尊重擁護の義務を負うが、安倍自公政権の政治政策を尊重擁護する義務はない

2020-06-26 20:25:22 | 憲法

 安倍自公政権は、マイナンバーカード取得について、2023年3月末にはほとんどの住民が取得する事を目標にしている。2019年11月1日時点で全住民の取得率は14.3%で、交付は約1823万枚。また、2019年6月のデジタル・ガバメント閣僚会議などで、国家公務員だけでなくその家族(国家公務員共済組合員とその扶養者)による2020年度中の一斉取得の推進を決めている。各省庁は2019年10月には、全職員とその家族の取得状況も調査しているが、国家公務員約75万人のうち、取得していた職員は25.3%で、約2万人が申請中という。また、職員の家族約77万人の取得率は、申請中も含めて13.1%であったという。

 ところで各省庁が、国家公務員及びその家族に取得を強要したり、また、取得をしていない場合、個々の職員にその理由を文書で記名のうえ上司に提出させていたという事であるが、これは重大な憲法違反であり、謝罪させ直ちに止めさせるべきである

 公務員は憲法第99条で「……この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と、憲法尊重擁護義務を課されている。上記の各省庁の行為は、国家公務員にはもちろんその家族に対しても、憲法で保障する様々な権利を保障しない認めないものであり、国家公務員本人だけでなくその家族の人権さえも侵害するものであり、憲法違反そのものである。

 安倍自公政権の政治思想は、現行憲法に即したものではなく、神聖天皇主権大日本帝国憲法に即しており、国家公務員は天皇の天皇制に滅私奉公する「官吏」の如くあるべきだと見なしており、政府の政策をすべて支持し、翼賛協力すべきであるとする思想に基づいていると言って良い。

 神聖天皇主権大日本帝国憲法下においては、天皇が統治三権を総攬し、司法権(裁判所)は「天皇の名に於いて、法律により裁判所之を行う」とし、行政権(内閣)は「各国務大臣が国務を輔弼する」とし、立法権(帝国議会)は天皇の「協賛機関」と位置づけられていた。

 そして、官吏については、その養成機関として1886年帝国大学を設置(1897年東京帝国大学)し、官吏服務紀律も制定した。その内容は、天皇及び天皇の政府に忠実勤勉に職務を尽くす事を基本とし、命令に服従する義務秘密を守る義務、品位を保つ義務のほか、その家族にまで商業に従事する事を禁じ、浪費、分不相応の負債の禁止など、日常生活にまで身分的義務を規定し、天皇制の官吏の性格を示したものであった

 現行憲法では、国家公務員であろうと人権は保障されなければならないのは当然であるにもかかわらず、安倍自公政権は、それを否定した処遇をあらゆるところであらゆる形で当然の事として押し付けているのである。(2020年3月1日投稿)

 

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