つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

ヘボン式ローマ字綴り方の「ヘボン」とは?朝日新聞「天声人語」が書かなかった事

2024-03-26 17:34:13 | 教育

 朝日新聞2024年3月25日付記事「天声人語」が「ローマ字の綴り方に関して、1954年の内閣告示改定される」と書いていた。

 「ローマ字綴り方」は、明治から「ヘボン式」に、日露戦争頃からは「訓令式」に、アジア・太平洋戦争敗戦後にはGHQの要求で「ヘボン式」に、1954年内閣告示で「訓令式」にと変遷があった。

 「ヘボン」とは、1959年に妻クララとともにキリスト教伝道を目的に米国から横浜へ来日した「ヘップバーン」、ジェームズ・C・ヘップバーンの事である。「ヘボン」は日本語研究に打ち込み、8年の歳月をかけ日本で最初和英辞典である『和英語林集成』を編集した。語数2万語、最初に日本語をローマ字で書き、同じ意味を漢字横書きにし、英語語義を書き、最後に同義語までつけた。「ヘボン式」とは、この辞典に使用されたローマ字の綴り方をいうのである。又、文書の横書き表記は、この辞典がきっかけとなっている。

 妻クララも、英語塾を開き日本人に英語を教えたが、この塾は日本で最初の男女共学の学校でもあった。政治家高橋是清など知名人もここで学んだ。

 神聖天皇主権大日本帝国政府が、キリスト教を解禁すると、布教活動を開始した。1887年には、東京の芝白金に明治学院大学が創設されると、「ヘボン」は初代学長となった。島崎藤村はこの学院の卒業生である。

(2024年3月26日投稿)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育勅語に関する山県有朋談話

2024-02-20 12:11:07 | 教育

 教育勅語は1890年10月30日、神聖天皇主権大日本帝国第1次山県有朋内閣が、第1回帝国議会開会の直前に発布した「忠君愛国」を基本とした敗戦までの学校教育の原則である。アジア太平洋戦争敗戦後の1947年3月31日公布施行(教育勅語は1948年6月19日、衆院で排除に関する決議、参院で失効確認に関する決議)の、「個人の尊厳を重視し真理と平和を希求する人間を育成し、普遍的で個性豊かな文化の創造を目指す」事を基本とする教育基本法にとって変わった(2006年12月22日安倍内閣により「改正教基法」公布施行)。

 さて、2023年12月11日、松井一実広島市長が2012年度から毎年、市の新規採用職員研修資料生きていく上での心の持ち方」と題して、「我々の先輩が作り上げたもので良いものはしっかりと受け止め、また、後輩に繋ぐ事が重要」と記載し、「教育勅語」の一部「爾臣民 兄弟に 友に 博愛 衆に及ぼし 学を修め 業を習い 知能を啓発し 進んで公益を広め 世務を開き」との文言を恣意的に取捨選択し繋ぎ合わせて引用し英訳と共に掲載している事が明らかになった。

 松井氏は「教育勅語を再評価すべきとは考えていないが、その中に評価してもよい部分があったという事実を知っておく事は大切だ。今後も使用を続ける事にしております。全体を画一的に捉えて良い悪いを判断するのではなく、中身をよく見て多面的に捉える事が重要である事を説明する中で、一例として教育勅語を紹介した」という。

 憲法第99条「憲法尊重擁護義務」には、「……その他の公務員は、この憲法を尊重擁護する義務を負う」と定めている。松井市長は「再評価すべきとは考えていない」というが、これまで研修で一例として紹介使用してきたという経緯や「今後も使用を続ける事にしている」との発言からは、松井氏が認めなくとも松井氏が教育勅語を「再評価」し「復権」を目論んでおり、憲法を意図的に「否定蹂躙」していると見做されても仕方ないだろう。市長(公務員)失格である。直ちに辞職すべきである。以下に教育勅語がどのような意図で作られたのか、「教育勅語発布に関する山県有朋談話抜粋」(1916年11月26日)を紹介しよう。

「1890年の事(同年2月の地方官=知事会議)と記憶す、地方官中に教育の目的を一定する必要ありとの要求起れり。内閣の中にも同様の意見を懐くものもありしが、如何にすべきかの案なし。……而して余は軍人勅諭の事が頭にある故に教育にも同様のものを得ん事を望めり。時の法制局長官井上毅なども同論なりしが、……芳川顕正(元田永孚)に至りて案が出来たり。此には芳川井上毅とが内閣を代表せる形にて立案に当たれり。案成りて内閣より陛下に差し出せり。……」

 教育勅語発布は、第1次山県有朋内閣の軍国主義的国家主義に基づいた施策であった。徳目を貫いているものは、神聖天皇主権を支える総合家族主義国家観である。日本社会に伝統的に存在してきた村落共同体秩序を重んじる考え方と、儒教的な封建主義の考え方を、日本にあった家族主義の考え方とヨーロッパから取り入れた社会有機体論とで理論づけたものである。国家における君臣関係は、家における父母と子孫の関係と同じであり、天皇の臣民に対する指揮命令は、一家の父母が慈悲の心をもって子孫に物事を言いつける事と同じであるとし、富国強兵という国家目的を遂行していくためには、天皇の命令を心とし、国民全員=億兆が四肢百体のようにそれに服従し、一つの総合家族・有機体とならねばならないとするのである。個々の人間は、ここでは一個の主体的人格などは問われず、臣民として国家目的を遂行する有機体の一細胞とならなければならない。このような考えに基づく教育勅語を具体化したものが「修身科」であった。

(2023年12月12日投稿)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育勅語は、神聖天皇主権国家体制の正統性と愛国心を学校教育で生徒に刷り込む(洗脳する)ために作られた。

2024-02-20 12:09:51 | 教育

 教育勅語が制定された意図はその当時、明治天皇が大日本帝国憲法を発布し、自由民権運動が総選挙や国会開設をきっかけに再び盛り上がりを見せていたため、大日本帝国政府は憲法を定着させるため、学校教育の目的をそれに沿うように画一的な内容に統制しようとした事と、山県首相が、神聖天皇主権大日本帝国政府が帝国主義政策(侵略戦争)をおし進めていくためには軍事力の強化とともに、国民に愛国心を教育によって培養する必要があると考えたからである。

 勅語は、神聖天皇主権(神である天皇が家来である国民を支配する国家神道に基づく)の国家体制(具体的には大日本帝国憲法、皇室典範、諸法律)の正統性を主張し、その天皇が、生徒国民のあるべき「生き方」「人生の処し方」として、この国家体制に対して挙国一致して絶対服従し、身命を捧げて守り、外国にも押し広める事(侵略戦争)を示し、それを教育の目的として、身につけるよう命じたものである。

 ところで、大日本帝国憲法では、憲法は天皇によって定められ、憲法改正は天皇の発議によってのみ可能であるとされていた。また、国民の人権は天皇の恩恵として「法律の範囲内」で認めるとされ、国民はそれを押し付けられ絶対服従を要求された。国民みんなの生活に直接関係する民法を見てみると、ドイツ法を模範として作られたものであり、家制度・家父長制度・国家主義に立った内容である。たとえば、①強力な戸主権を認める。戸主は一家の長であり、扶養の義務を負う。②妻は無能力者とされ、親権は父親にある。夫は妻の財産を管理し、無償で使用する。③家族の婚姻または養子縁組は、戸主の許諾を要する。ただし、男が満35歳、女が満25歳に達した後はこの限りではない。④家族の居所は、戸主が指定する。戸主とその家族はその家の氏を称する。⑤家督相続人は、嫡出長子(正妻が産んだ長男)とする。⑥廃家を禁止する。⑦子は、父の家に入る。⑧遺産相続は、直系卑属(直接血がつながっている子、孫など)にあり、それがない場合にかぎり配偶者に認める。⑧妻の姦通は離婚理由になるが、夫は姦通罪の適応がないと離婚理由にならない(1933年4月、滝川事件)。(天皇は国民すべての戸主の上に立つ戸主の長と位置づけられていた)。

など、家柄・金持ち優遇(特権付与)、人間不平等、男尊女卑などの特徴があり、敗戦後の日本国憲法の内容とは全く異なるものであった。そして、このような社会・家庭での生活を国民に受け入れさせ、絶対服従する意識を植え付け定着させるために作られたのが教育勅語であった。それが「父母に孝行をつくし、兄弟姉妹は仲良くし、夫婦互いに仲睦じく……」と命じる言葉なのであり、その念を押すために上記の内容を持つ「(大日本帝国)憲法を重んじ、法律(民法など)をよく守り」と命じているのである。これが教育勅語の果たした役割に対する正しい解釈理解なのである。

 しかし、安倍首相や菅官房長官や松野文科相など、行政権のトップにある人間たちは、その地位を務める者として有すべき常識とは全く異なった常識の世界におり、その地位を務める者として示さなければならない見解立ち位置について意図的に国民に対し明らかにする必要はないと考えている。それは、明確にしないでおく事が、安倍自公政権自民党の政治目的の達成(教育勅語の復権)には都合が良いからである。

 安倍自公政権は、学習指導要領や教科書検定制度を制度として否定せず、それを自己の政治目的を達成するための道具として変質させる戦術をとり、国民に対し偏向した自己の主張や価値観や歴史観などに基づく内容を安倍自公政権の思うままに押し付けてきているが、近い将来教育勅語(の内容)も取り入れるために、国民に反対させずスムースに受け入れるよう意識環境づくり(慣れさせる)をしようとしているのである。そして、それらすべてが「自民党改憲草案」を具体化した内容で占められるよう仕組んであるのである。

  2017年3月13日には安倍首相は参院予算委で「すでに喪失している教育勅語について首相としてコメントする立場にない」、つまり「判断を公表しない」と答弁したが、森友学園塚本幼稚園がこれまで実施してきた勅語奉読指導ともからんで、安倍首相の対応が国民の大きな関心事となっていたにもかかわらず、この答弁は国民にとってまったく誠意がうかがえないものであり、行政権のトップをあづかる首相としては国民に対する自己の職責の自覚が乏しく無責任そのものであるといえる(稲田防衛相は確信犯として論外であるが、他の閣僚や松井大阪府知事なども勅語についての見解を明らかにする事を避けており、森友学園の勅語奉読指導教育方針に対しても問題視していない)。この答弁は今後、学校教育やその他の教育機関において敗戦までのような勅語指導が黙認される効果を生むものであり、主権者である国民を侮った態度であり許されるものではない。また、この答弁は憲法を無効にする効果を生み、憲法尊重擁護義務を科された首相としては、その資格がない事を示す答弁であった。

 また、2017年3月31日、安倍自公内閣は教育勅語について、「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いる事までは否定されない」とする答弁書を閣議決定した。この内容も極めて曖昧な答弁で、教育勅語を学校教育を中心としたあらゆる教育の場で復権させるため、法的根拠としてすでに改訂した教育基本法を利用しようとする安倍政権にとっては都合の良い答弁になっているのであろうが、国民生活や教育現場などにおいては国民や教師を分断させ混乱を導くだけの効果しか持たず、憲法を尊重した答弁ではないし、憲法尊重を求める主権者国民の期待した答えにはなっていない。安倍政権にとっては、教育勅語復権途上においての分断混乱は織り込み済みという事で、勅語復権派にはとってお墨付きとなりこれをきっかけに同調圧力も作用し復権派が増加する事を計算しているのであろう。 

 また、松野文科相は4月4日、「教育勅語を道徳教材に用いる事を肯定したものでも否定したものでもない」「どの部分が憲法に反する反しないに関しての判断を文科省でするものではない」と述べているが、安倍政権は学習指導要領や教科書検定では偏向した政策主張価値観歴史観などを積極的に実現させるための内容を一方的に国民に押し付けているにもかかわらず、教育勅語に関しては「判断を論理明確に説明せず曖昧にしている」というのは、国民を欺瞞ゴマカスもので筋が通らない手前勝手なご都合主義である。この対応は、沖縄県での大阪府警の「土人、シナ人」発言に際し、鶴保沖縄北方相の発言に見られる姿勢と同じものである。そこには安倍政権の目論見がある事を感じさせる。このように、明確な説明をしない文科相は、国民のためには何の利益もないから辞めてもらうべきだ。安倍首相の任命責任も問うべきである。安倍首相の指示でそのような答弁をしていると考えられるが。

  また、松野氏は「適切な配慮の下であれば問題ない」「教え方が憲法や教育基本法に反するのであれば、所管庁(都道府県)が適切に指導する」と述べているが、森友学園塚本幼稚園の奉読指導に対する見解も示さない文科相が、こんな事をよく言えたものである。「適切な配慮」についての明確な説明をせずに「適切な配慮の下であれば問題ない」とするのはどういう事なのか意味不明である。どのようにしてチェックできるというのか。誰かが何らかの方法で監視するという事か。また「教え方が憲法や教育基本法に反するのであれば……」としているが、「適切な配慮」が明確に示されていないのに、「反する」事がどのような事なのかどのようにして判断するつもりなのだ。そして、それを判断基準に「所管庁(都道府県)が適切に指導する」とまた「適切」の字句を使用して答弁しているのであるがまったく意味不明である。「禅問答」か?全く中身のない答弁である。

 教育行政のトップにありながら、教育勅語について文科相としての見解を明確にしないのは職責放棄であり大臣失格である事はもちろんであるが、森友学園塚本幼稚園に対して大阪府が適切な指導をしてきていない事について、文科相が明確な見解を示し大阪府を指導をしていない事こそ重大な問題で、文科相がどのように責任を果たしているのかについてもまったく国民に明らかにしないのは問題である。故意に無視しているのであろうが。

 今回の教育勅語事件は、文科相が憲法に基づいた教育勅語についての指導能力を有していない(必要としていない)ため、大阪府知事に対する指導能力も有していないし(指導する気もないし)、松井知事も森友学園に対する指導能力はない(する気もない)という事実が公けになったという事でもある。つまり、安倍政権自民党やそれに近い人間(大阪維新の会)はすべて憲法尊重擁護義務を果たすという心構えは元々持っていないという事が公になったという事である。

安倍政権は憲法尊重擁護義務について、現行憲法下においてはまったく無視しておきながら、「自民党改憲草案」では、国民に対し強圧的に押し付ける形をとっている。

(2017年4月8日投稿)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉野作造の学生たちに望んだ学問研究への姿勢

2024-01-10 20:23:06 | 教育

 吉野作造(1878~1933)は政治学者・思想家。東大卒。民本主義を提唱。民主主義と区別して、主権運用の実際的な方法として規定し、政治の目的民衆の福利に置き、政策決定は一般民衆の意向によるべき事を内容とした。政党内閣制普通選挙法の実現を目標とし、主権論の欠如を欠点としていたが、大正デモクラシーの指導理念となった。吉野は東大の政治学教授として学生たちに望んだ学問研究の姿勢を以下に抜粋して紹介したい。

「何よりも第一に現時の学生に対して希望したきは、真理に対する従順な態度です。真理を求めてこれを我が主張とし、我が主義とせんとする熱情はなかなか盛んです。しかし一旦何物かを真理と思い込んだが最後、彼らは盲目となるのが常です。故に他により正しいものがあると教える者があっても、これに耳を傾けません。学生の真理探究の態度は多情でなくてはなりません。無節操でなくてはなりません。無節操といっては誤解を招くかも知れませんが、常により正しからんとして、いつでも態度を改めうるように用意していなくてはなりません。」 

(2024年1月10日投稿)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馳浩文科省は非常識で憲法無視。浅薄な思考による権利侵害。大臣の器ではない。罷免させるべきだ

2023-11-20 15:11:03 | 教育

 2016年2月21日、馳浩文科省は、岐阜大学の森脇久隆学長が2月17日に、卒業式などで国歌「君が代」を斉唱せず、これまで通り「旧制学校の校歌」を斉唱する方針を示した事について、「国立大として運営費交付金が投入されている中であえてそういう表現をする事は、私の感覚からするとちょっと恥ずかしい」「(下村氏の要請は)大学の自主的な活動についてああしろ、こうしろと言うものでもない。学長が(斉唱しないことに)言及する事はちょっと恥ずかしい」と述べた。普通のおっちゃんなら大目に見ても良いが、大臣それも教育をつかさどる大臣として憲法第99条「憲法尊重擁護義務」を全く理解していないという事は許されるべき事ではなく罷免に値する大問題である。こんな文科省をそのままにしておく事は民主主義を大切に思う国民にとってその人権意識を問われる問題でもある。

 馳文科省は国が「運営費交付金」を出しているのであるから「斉唱」する事は当たり前であると言いたいのであろう。しかし、「運営費」と「斉唱」を結びつけて考えるべきでない事は「常識」である。その事が理解できていないのですかね。この点で大臣の資格はありませんね。もし、理解したうえでそのように述べているのであれば「確信犯」という事になりますね。たぶん「「確信犯」だと思いますが。学長が言及する事は「恥ずかしい」という事であるが、「学長」であるからこそその「使命と責任」において言及したと考えるべきであり、大いに「評価」すべきであろう。その事が理解できない事も大臣の資格はありませんね。馳文科省自身こそ国民の教育をつかさどる大臣として、「使命と責任」を強く意識して述べるべきであろう。「恥ずかしい」という表現は不適切で軽率で人を蔑む差別的意識に基づく表現であり、表現の仕方さえも身につけていないようである。この背景には上から目線の「自己中心的な傲慢さ」が潜んでいるように思われる。人権意識が希薄であり、こういう人格の持ち主は、日本国憲法の人権規定についてや国民の思いを理解する能力は持ち合わせていないであろうから、当然、第99条の「憲法尊重擁護義務」の理解も欠落しているようであるから、「大臣」には不適格であろうし、権力を持たせる事は国民にとって危険である。安倍ワールドに共通する

 さて、「日の丸」「君が代」についてであるが、「日の丸」は1945年9月にマッカーサーの占領軍により、その掲揚が禁止された。「君が代」については、軍国主義教材に対して墨が塗られたいわゆる「墨塗り教科書」では消去されなかった。国民学校6年生「国語」の最後の教材「国語の力」には「君が代」が引用され、「この歌を奉唱する時は、我々日本人は思わず襟を正して、栄えます我が皇室の万歳を心から祈り奉る」と書かれていたが、この教材は墨を塗らせなかった

 「君が代」はその後も演奏や斉唱は禁止されず、斉唱する機会もあり、政府主催の「日本国憲法施行記念祝典」でも斉唱された。また、吉田茂首相の発声で「天皇陛下万歳」が唱えられた

 1949年には「日の丸」掲揚が許可された。その際、マッカーサーは「この国旗が人間の等しく深く求めてきた正義と自由の不易の観念に立脚した平和の象徴として永久に世界の前にひるがえらん事を願う」と述べた。

 1950年には、天野文部相が「国民の祝日に学校で国旗を掲揚し、「君が代」を斉唱する事をすすめる」と発言し通達した。

 1952年には、サンフランシスコ講和条約発効の4月28日から、NHKラジオ放送終了時に「君が代」演奏を流すようになった。その理由は、その翌日の29日が「天皇誕生日」であったからだ。

 1953年、テレビ放送が始まると、「日の丸」がはためく場面にあわせて「君が代」を流すようになった

 敗戦後、「君が代」を復活させたのは文部省であり、それを敗戦後の日本社会に普及させたのは「NHK」であった。

 1998年8月に成立した「国旗国歌法」についての「小渕恵三首相」の発言を以下に紹介する。

「政府の見解は、政府としては、今回の法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行う事は考えておらず、したがって、国民の生活に何らの影響や変化が生ずる事とはならないと考えている旨を明らかにしたものであります。なお、学校における国旗と国歌の指導は、児童生徒が国旗と国歌の意義を理解し、それを尊重する態度を育てるとともに、すべての国の国旗と国歌に対して、等しく敬意を表する態度を育てるために行っているものであり、今回の法制化に伴い、その方針に変更が生ずるものではないと考えております」「法制化に伴う義務づけや国民生活等における変化に関するお尋ねでありましたが、既に御答弁申し上げましたとおり、政府といたしましては、法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務付けを行う事は考えておらず、したがって、現行の運用に変更が生ずる事にはならないと考えております」

当時の文部大臣の国会答弁を以下に紹介する。

「本当に内心の自由だ嫌だと言っている事を無理矢理する、口をこじ開けてでもやるとかよく話がありますが、それは、子どもたちに対しても教えていませんし、例えば教員に対しても無理矢理口をこじ開ける、これは許されないと思います。しかし、制約と申し上げているのは、内心の自由である事をしたくない教員が、他の人にも自分はこうだという事で押し付けて、他の人にまで色々な事を干渉するという事は許されないという意味で、合理的な範囲でという事を申し上げているのです」

(2016年2月22日投稿)

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする