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白石、福永両氏(世界遺産推薦者)は、軽薄で無責任、宮内庁と結託し考古学界の常識倫理に背く:安倍自公政権に利用され、自らも売名目的に利用した

2024-03-28 21:59:54 | 世界遺産

 2019年7月6日、「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録された。その推薦作業に関わった考古学者に、白石太一郎氏(大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長)と福永伸哉氏(大阪大学教授)がいる。安倍自公政権が世界遺産登録に推薦する動きを進めてきた中で、様々な点に関して、日本考古学協会など考古学・歴史学の13学会が登録推薦に対する見解や抗議を行ってきたが、彼ら両人のその見解や抗議に対する反論主張を分析してみると、彼ら両人はまったく学者として説得力のある常識や倫理を有していない事が明白である。彼らは、真の学者としての立場からではなく、自己の売名目的で推薦作業に関わっていたのであり、安倍自公政権はそのような彼らの体質を見透かして彼らを利用したのである。彼ら両人の考え方は、共通しており、軽薄で無責任そのもので、そして、彼らの専門とする考古学界はもちろん歴史学界の常識や倫理を否定無視したものであり、学者としての倫理に背いたものである。彼らは、ただ単に考古学に関する「物知り」に過ぎず、アマチュアにも劣る体質というべきである。

 彼ら両人は「売名体質」を有していたので、安倍自公政権が彼らの「売名体質」や「肩書」(日本国民は肩書に弱い習性をもつ)を利用して、特に「大山古墳」をその代表としてその被葬者を確定するという宿願を、「世界遺産に登録される」という手法を使って達成しようと試み、実現させたと言って良い。彼ら両人は、神聖天皇主権大日本帝国政府において伊藤博文がすでに捏造し正当化してきた「神武天皇に始まり、万世一系とする神聖不可侵の天皇制支配」を、敗戦後の日本で否定されたにもかかわらず、安倍自公政権が今日再び真実として捏造しようとする(歴史捏造)目論見に加担したといえる。

 白石氏の考え方は、極めて自己中心的独善的で軽薄で無責任である。たとえば、「「陵墓」の祭祀自体は国民に理解されている」と言うが、それは極めて非科学的で乱暴な判断であり実態を表していないし、彼がそうあらねばならないあるべきだと決めつけ国民の意識を誘導(洗脳、刷り込み)していると言うべきである。そして、「陵墓のあるべき姿に国民的な議論が起こり、バランスの取れた国民合意が形成できればいい」と言うが、そんな事ができるくらいなら今回の遺産登録推薦の経過の中でとっくにできているはずである。できていないから異議を唱えたり抗議したりしているのである。学者として白石氏自身が進んでそのような手順を踏むべきであったにもかかわらず、責任放棄し他者にその後始末を押し付けているのである。異議や抗議の声を無視したうえに、自分が学者としての常識や倫理に背いて推薦作業をした責任をまったく認識していない言い草はあまりに非常識である。白石氏の言うような国民合意は、これまでの自民党政権の政治姿勢を振り返っても、容易にできる政治環境ではなかった事は明白である。 

 彼の年齢からしても彼が専門とする分野からしても、彼はそれを故意に知らぬふりをしているのである。メディアも報道しないため国民の多くが知らないが、1972年4月の衆院文教委員会で超党派で「陵墓」の発掘に関して宮内庁に要求した事があった。自民党・中山正暉が「宮内庁は数多くの陵墓を管理しているが、その中身は学者によって調べられた事がない。我々の先祖の歴史を調べるうえでも、古代の陵墓を発掘すれば貴重な手掛かりが得られるのではないか。科学者天皇も、それを望んでおられるのではないか」と、また、社会党・小林信一が「陵墓の発掘調査は国民の意思なのだ。発掘していけないというのは天皇のご意思なのか」と追及したが、宮内庁は「陵墓は皇室の先祖の御陵であり祭祀もしている。発掘は考えられない。陛下のご意思は発掘したくないのだと思う」と答えたのである。1977年4月の参院内閣委員会でも社会党・秦豊が、陵墓を公費で賄っているなら発掘させるべきだとして、「天皇陵は国民共通の文化財だが、宮内庁は陵墓としておさえ、学術調査の対象にはなり得ない、として拒んでいる。今後ともずっと拒否するのであれば、天皇陵の維持管理に関する予算は、宮廷費で認めるわけにはいかない。内廷費に加えるべきだ。国民の共通財産的な、歴史的価値あるものについて調査の対象にしてもらいたいと言うと、それは拒否する、予算は国家のものを使います、天皇家の私的なものは守り抜きます。これでは憲法88条「皇室財産・皇室の費用」に定める「すべて皇室財産は、国に属する。すべての皇室費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない」に誠実に対応しているとは、とても思えない」と追及すると、宮内庁宇佐美長官は「この問題について私は(かつての委員会で)ウルトラ保守主義者であるといわれたが、それで良いと答えた事を思い出した。陵墓の文化的価値を知らないわけではないが、代々のご祖先のみたまを祀る静謐な、神聖な所と考えて、ご命日にはちゃんとお供えをしてお祀りしている。陵墓は古墳という一つの文化財というだけではない事を、基本的に考えている」と答えている。しかしこれは、憲法違反の私見に過ぎないと言って良い。つまり、宮内庁は、日本国憲法で定められている皇室用財産として管理しているにもかかわらず、明治初期(神聖天皇主権大日本帝国下)に伊藤博文が「陵墓」として治定(特定)した姿勢を変えず、「静謐と尊厳の保持」を理由に原則非公開とし、科学的な調査を認めようとしない姿勢を持っているという事を示すものである。大日本帝国政府下において、天皇の支配の正当性を保つため、天皇の古墳を天皇の「陵墓」として「神聖不可侵」として祀り上げ、一般大衆はもちろん学者であろうと、近づく事研究する事を許さず(早大の歴史学教授・津田左右吉は古事記・日本書紀など古代史の科学的解明を行い、神代説話が客観的史実ではない事を論証したため、皇室の尊厳を侵害したとして有罪とされ、著書『神代史の研究』などを発禁とされた)、発掘調査も禁じたように、敗戦後も大日本帝国政府を継承する自民党系政府が、今日に至るまでその態度をほとんど変えていないという事なのである。

 現在の安倍自公政権においてはこれまで以上に期待する事は不可能である事は誰にでも推測できるにもかかわらず白石・福永両氏は上記のように公言しているのである。このうえ、安倍自公政権が憲法改悪し、日本の政権が再び敗戦前のような体質の政権に回帰したならば、国民的な議論や合意など到底できるわけがないのである。白石氏はそんな事態が迫っているにもかかわらず、そんな心配などあり得ないとするような無責任な認識を示しているのである。また、被葬者の研究についても、遺産推薦の名称と大きな関係があったが、白石氏は「宮内庁や自治体、学会も含め、可能な限り共同で進めてほしい」と言うが、登録推薦の前に発掘調査をせず、推薦には根拠なくその被葬者を決めつけ「仁徳天皇陵古墳」とした無責任さを棚に上げ、共同研究が安易にできるはずがないにもかかわらず、あまりにも楽天的楽観的に「是正すべき事があればそうする事も必要だ」というが、何時どのようにするのかについては他人任せで責任放棄をしている。

 白石氏は遺産推薦の名称についてはまた、「宮内庁が乗ってくるギリギリの線が今の呼び名だった。現状を考えればやむを得ない」としているが、この言葉は、宮内庁が被葬者として特定している名称である「仁徳天皇陵」(宮内庁は科学的研究の成果を認めようとしない。ローマ字表記であろうと特定している事に変わりはない)をそのまま登録推薦する事に「取引」として同意しているもので、そこには学者としての常識倫理やそのような「捏造」をしてまで登録推薦し登録してもらうという姿勢について、責任のかけらさえも感じさせない。自身が真の学者であるならば、こだわらなければならない「名称」と「被葬者」について、登録推薦に関わった当事者でありながらその決定の責任を感じさせない「いい加減さ」を表している。

 「名称」については福永氏も同様の姿勢が見られ、「(「仁徳天皇陵古墳」などは被葬者が確定したかのような誤解を与えるなど)呼称の問題もあるが、過渡的なものとして後世にゆだねたい」としており、学者としての常識や倫理に重大な問題を有しており無責任この上ない。福永氏は、おまけに「私は考古学者なので、長期的に考える。先ずは本体を残す事。そうすれば後世に託せる。新しい保護体系ができて、将来きっと課題を解決できると楽観的に思っている」としているのであるが、「考古学者なので、長期的に考える。先ずは本体を残す事」などと言う事はまったく意味がない言葉である。課題があると考えているのであれば、今何も、国民はもちろん世界中の人々に対して欺瞞的な屁理屈をもって「捏造」し、遺産登録を急ぐ必要はなかったのではないだろうか。自身の発言や行為は「後世に託せる」などと無責任な考え方をせず、自身が責任を取れる時間的範囲内の仕事をすべきである。「将来きっと課題を解決できると楽観的に思っている」という事であるが、これも国民意識に対する「刷り込み」(洗脳)が目的であり、「楽観的に思う」事はそのまま彼の「無責任」な考え方を表している。上記の福永氏の考え方は白石氏と同じで、学会に背を向け、学者としての常識と倫理を具えない人間である事を表し、そのような考古学会を代表して推薦作業を担ったわけでもない人間が、考古学会の代表であるかのように、明治の捏造を補強するために再び新しい手法で捏造を重ねたのである。捏造の上塗りである。どんな手を使ってでも今遺産登録される事だけを目的としたもので、登録後は「あとは野となれ山となれ」とする無責任な考え方そのもので、彼ら両人の主張はまったく自己を正当化するためのもので、国民意識に刷り込むための「屁理屈」というべきもので、であるから彼らと同じ考古学者たちの多くが抗議する事態を招いたのである。

 安倍自公政権宮内庁の狙い通りに、「仁徳天皇陵古墳」の名称を疑う事なく頻繁に使用するようになる事態が発生するのではないかと心配したが、すでにこれまで以上に、テレビ番組やメディア、商魂たくましい国民大衆の間ではもちろん、学校でも軽薄な校長や教師が児童生徒を巻き込み利用して行われている。彼ら両人にとっては予想していなかった事であろうがこれが想定内の現実である。この事態にどのように責任を負うつもりなのだろう。

 また、福永氏は「古墳に樹木が生い茂っているのは、適切な保存・管理にとっては良くない。木を間引いて切る事でシルエットが分かるのが望ましい」としているが、「木を間引いて切る事でシルエットが分かるのが望ましい」という「見栄えを良くする」意味での「保存・管理」を奨めているだけであって、真の考古学者であれば、発掘調査を行い、恐らく本来の姿がそうであったように、現在生えている樹木を伐採し、「葺石」を敷くべきであると主張すべきところをしていない。そして、その事は「お金もかかるし宮内庁だけで対応できない。国民合意のうえで、「令和の大修復」をしなくてはならない」としているが、自ら進んでやろうとする気持ちはなく、上記のような「妄想」を描いているのである。彼ら二人は、真の考古学者とは言えない、幼稚で軽薄、無責任な考え方で、安倍自公政権の求めに応じて常識や倫理を打ち捨てて何が何でも登録推薦の作業を果たしたという事である。それはまた自己の売名目的のためであった。

(2019年9月12日投稿) 

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「百舌鳥・古市古墳群」世界文化遺産登録記念シンポジウム:研究成果を無視した宮内庁・徳田誠志氏の発言はいち公務員の地位を逸脱したもので憲法違反

2024-03-28 21:25:08 | 世界遺産

 2019年7月28日、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録を「記念」したシンポジウム「世界文化遺産へのあゆみ 百舌鳥・古市古墳群と関西大学」(関西大学・堺氏共催、朝日新聞社など後援)があった。

 今回のような形で世界遺産に推薦し、また、それが意外にも登録された事が「記念」すべき事といえるかどうかという問題が早速起きている。それは、徳田誠志・宮内庁書陵部陵墓調査官の発言である。それは、

 『皇室の先祖を葬った陵墓は、今も「まつり」が行われている「生きたお墓」だ。保護・保全のために宮内庁は調査を行っているが、「仁徳天皇陵」については第1濠での浸食などが課題』という内容である。推薦時点で抗議を受けた呼称「仁徳天皇陵」をそのまま使用している点である。それも、徳田氏はどんな肩書であろうと、いち公務員に過ぎない人間である。憲法第15条には、1項に「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とあり、2項には「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とあり、主権者国民のために奉仕する存在として位置づけられている。にもかかわらず、主権者国民であり、専門家でもある「日本考古学協会など歴史・考古学系の13団体」からの抗議を受けておりながらも、なおも事実に基づかないまま「皇室の先祖を葬った陵墓」と決めつけ、その「呼称」として「仁徳天皇陵」を公の場で使用し発言する(欺く)というのはどういう態度なのであろうか。主権者は国民であり、その国民を冒瀆する発言態度を決して許してはならない。徳田氏は処分の対象とすべきはもちろんであるが、彼の言動を認めている宮内庁長官責任をも問うべきである。

※これに関連して別稿「百舌鳥・古墳群:『イコモス』の世界遺産登録勧告の判定は信用できない。安倍自公政権は科学的研究を無視し歴史を捏造する歴史修正主義者集団」を参照してください。

(2019年9月12日投稿)

 

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百舌鳥・古市古墳群世界遺産登録祝賀提灯行列は神聖天皇主権大日本帝国政府下の戦勝祝賀集会と同じ発想感覚

2019-07-27 12:00:30 | 世界遺産

 2019年7月14日、堺市などの主催で、堺市堺区の大仙公園で、百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産に登録された事を祝って「提灯行列」が行われた。公募した市民ら約2千人が「祝賀世界遺産登録」と書かれたLED照明の提灯を持って、大山古墳前を練り歩いた。夜には公園内の広場で、永藤英機市長と市民が「万歳三唱」を行った。

 私は、祝賀の「提灯行列」と知って、大変驚いた。そして、自治体とその市民によるこのような企画と行動に恐怖を感じた。

 なぜなら、敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国政府下の姿とあまりにもそっくりであったからだ。

 戦勝祝賀集会での「提灯行列」は日清戦争を皮切りに、敗戦まで続けた。1937年12月13日には中華民国(現中華人民共和国)国民党政権の首都であった南京を陥落させた際には、日本国中が戦勝気分に沸き、全国各地で連日連夜、「提灯行列」や行事を実施した。東京では40万人が参加した。主催は、行政、新聞社、地域の自治組織(町内会など)、学校、青年団などなど。「帝国の「上から」も「下から」も、「南京陥落」を「祝賀」する行事を組織した。

 この「南京陥落」に至るまでの日本軍の言語を絶する悪逆非道については、すぐさま世界中に知れわたっていたにもかかわらず、帝国政府は報道管制を敷き国民を言論統制下に置いていたため、日本国民はメディアからはまったく知るすべはなかった。その事実を初めて知ったのは敗戦後の東京裁判においてであった。

 ちなみに、1937年7月28日付陸軍省新聞班「新聞掲載事項許否判定要領」では、「我軍に不利なる記事、写真」「支那兵又は支那人逮捕訊問等の記事、写真中虐待の感を与える虞あるもの」「惨虐なる写真」はすべて掲載不許可としている。

(2019年7月27日投稿)

 

 

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ユネスコ分担金支払い保留の傲慢手法による歴史書き換え(歴史修正主義)は戦前同様の力こそ正義の外交

2016-10-16 21:16:24 | 世界遺産

 ユネスコ分担金安倍政権が支払わないという問題が起こっている。菅官房長官は支払いを保留している事について、10月14日の会見で、「昨年、政府が知らない中で様々な事が決められた。こうした事が正常化されるかどうかを見ながら対応を考えたい」と、中国が申請した「南京大虐殺の記録」を記憶遺産に登録した事を理由とする発言をした。また、審査過程で関係国の意向を聞くなどの見直しを求めている。この発言は、ユネスコの登録審査が「異常な状態」にあるかのような印象を与える事を狙ったものであり、安倍政権の極めて傲慢な姿勢を表した発言であるというべきであり看過すべきではない。

 また、支払いを保留している理由はそれだけではないのである。メディアは意図的に大きく取り上げていないのであるが、それは今年6月、日中韓などの民間団体が旧日本軍の慰安婦に関する資料の遺産登録申請をしたからである。

 金を積んだり、金を積まなかったりで、自己の意思要求を適える、目的を達成する、つまり金を使って金にものを言わせてあらゆる事柄を解決するという発想があり、適法であるかどうかではなく、公平公正かどうかではなく、正義に適っているかどうかではないのである。もちろん普遍的な理念などカケラも持ち合わせていない。この手法はこれ以外のあらゆる事柄に対する対応に表れている。そして、このような手法を正当なものであると考えているのである。これが新自由主義というものであり、安倍政権の体質なのである。

 このような体質を露わにし出したのは、上記のような日本の「侵略戦争」に関する内容が登録申請される動きが出てきてからである。この事は安倍政権が、余程アジアの人々の主張が信用できないという事を訴えたいのか、それとも、余程後ろめたい公けになっては困る認めたくない内容であるという事なのか、という事になると思うが、間違いなく後者であると言ってよい。安倍政権は、学問的には非科学的で恣意的な解釈(捏造)に基づくものであるが、彼らにとっては死守すべき重要な「美しい国」という日本歴史のイメージをそこねる内容を否定したいのである。これは歴史修正主義であり、これを黙認したり許すならば、この先彼らは、これまでの科学的研究で明らかにされた日本歴史のすべての内容を彼らの歴史観によって書き換えていく事だろう。すでに始めているが。また、現在起こっている様々な場所での様々な事象についても彼らの恣意的な解釈がなされていくであろう。これもすでに始めているが。

 なぜこのような傲慢な姿勢や手法をとる事ができるのかというと、手本とする前例があるからである。それは、安倍政権の親分である「米国政府」が、パレスチナ加盟に反発して2011年秋から分担金の支払いをやめているのである。

 「力こそ正義の外交」の一つの例は「国際連盟脱退」の歴史にも見られる。

「中国は、満州事変が起こると国際連盟規約に基づき連盟に提訴。日本政府も調査団派遣を提案。これを受けて1932年イギリスのリットンを団長とする調査団(英米仏独伊代表の5名)を現地と日本・中国に派遣。調査中に関東軍は「満州国」の建国を宣言させ、斎藤実内閣は日満議定書で満州国を承認。

 リットン報告をもとに、連盟は1933年2月の臨時総会で、日本の「満州国」承認の撤回や日本軍の満鉄付属地内への撤兵などの勧告案を、42対1で採択。日本全権松岡洋右はこれを拒否し、総会会場から退場。翌月に連盟からの脱退を通告。さらに1936年のワシントン・ロンドン両海軍軍縮条約失効で、日本の国際的孤立は決定的となった。」

これ以後の日本の歩んだ歴史は周知のとおりである。

 

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