足立康史衆院議員(比例近畿ブロック、日本維新の会)は、2017年11月15日の衆院文部科学委員会で、学校法人「加計学園」獣医学部新設問題についての審議で質問した際、自民党の石破元幹事長、希望の党の玉木代表、立憲民主党の福山幹事長の名前を挙げ、証拠や根拠を示さず、「犯罪者だと思っている」と発言した。
16日には、当然の事であると思うが、3党の国会対策委員長は事の重大性に鑑み、それぞれ維新の遠藤国対委員長に抗議した。それを受けて、維新の片山共同代表は早々と足立議員に対し「表現には気をつけてもらいたい」と厳重注意した。それに対し足立議員は、誰が聞いても明らかに確信的発言としか思えないにもかかわらず、白々しく「自分では限定したつもりはない」と言い逃れをしたうえで、「陳謝し、撤回したい」と述べたという。また、片山氏は記者団に議事録からの削除は「やむを得ない」と述べたという。
名前を挙げられた人たちやその議員の所属政党、当該委員会の委員長と委員たちはどのように対処するのか強い関心をもって様子をうかがっていたが、同月17日、足立議員は維新の遠藤国会対策委員長と国会内の3党の控室を訪れ、各党の国会対策委員長に「つたない表現だった。当事者や国民に不快な思いをさせた。深く反省し、撤回し、謝罪を申し上げたい」と述べたという。
しかし、片山氏に対して「自分では限定したつもりではない」と、グダグダと言い逃れをしているところからみて、また、これまで何度も問題発言をしてきている(懲罰は科されていない)事からも、発言の重大性を真に認識しているとは到底思えないし、謝罪も形式的に行っているだけとしか思えない。このままでは再犯の可能性が高い。
にもかかわらず興味深いのは、今回の発言に対する各党の対処である。発言直後においては、「懲罰動議」を含む厳しい対処を思わせていたが、結果的に、立憲だけが「懲罰動議」を衆院に提出し、自民・希望は足立議員の謝罪を受け入れ、同調しなかった事である。自民・希望には厳しく対処できない後ろめたさが存在するのであろうか。そのように思われても仕方がないであろう。
また、もしそうでないとしても、自民・希望は国民に対して支持者に対して、「これくらい大した問題ではない」と表明した事になっているが、それでよいという事であろうか。たぶん、自民・希望は足立発言が国民にとって重要な大問題であるがために、それを故意に矮小化して国民に受け取らせようとしていると考えるべきである。
足立議員の話法(論法)は、大日本帝国議会においてよく行われたものと同種同レベルのものであり、戦前の権力者側の常套話法(論法)である中傷による「印象操作」であり、戦後の人権を重んじる民主主義の下では時代錯誤の話法であり、決して許してはならないものである。
足立議員の発言、話法(論法)は、憲法尊重擁護の義務を負う国会議員としては失格である。
足立議員の発言を謝罪で決着させる国会議員や政党の意識、メディアの意識は、これまでの曲がりなりにもなんとか守られてきた日本国の常識もついに変質させられや崩壊させられる動きが露わになったという事である。
今回の足立発言を謝罪で決着すれば、今後は国会議員が何を言っても、国民が主権者として、問題として指摘し糾弾する事は不可能となるであろう。