2019年8月16日の「天声人語」は曖昧でなく適切な言葉を使用する事を心がけるべきである。この日の文章には「……先日の紙面では「隠遁型ひとりぼっち」と呼ばれる韓国の引きこもりの話が出ていた。ソウル郊外に、彼らを支援する日本の団体があるという」という部分があるが、その中の「日本の」については、「日本人の」という言葉を使用するのが適切ではないのだろうか。また、それに続いて「少子化も日本を上回る速度で進んでおり、地方の過疎化も深刻だ。学び合い、知恵を出し合える隣国のはずなのに、現状は国と国とがにらみ合い、人と人との間にも亀裂が入る。お互いの国への旅行にも二の足を踏むとすれば、あまりにも不自然である」という文章があるが、この中の「国と国とがにらみあい」については、「安倍政権と文政権とがにらみあい」という言葉表現を使用するのが適切で、意味をより理解しやすいのではないのだろうか。また、その後の「人と人と」についても、「日本国民と韓国国民と」という言葉表現を使用するのが適切であろう。
同じ16日の記事に、文在寅大統領の「光復節」式典演説についての記事が載っており、その小見出し「解決策には触れず」に中に「……日韓関係は昨年10月の元徴用工問題の韓国大法院判決以来、泥沼化している。日本政府は、判決が日韓請求権協定に反するとして、日本企業に実害が及ばない措置を要求。一方の文政権は「判決の尊重」を強調し、応じる気配を見せていない」とあるが、この中の「日本政府」という言葉については、「安倍政権」という言葉を使用するのが適切であろう。そうする事によって、「文政権」という言葉を使用している事とのバランスがとれるし、読者は理解しやすいのである。メディアは是非このような言葉表現を常に意識して記事を書いてほしい。それによって日本人の思考様式も変わるだろう。
この投稿とあわせて、私の別の投稿『「同質的国家意識」を利用した世論誘導「自虐史観」』を読んでいただければ、上記の私の主張をより正確に理解していただけると思う。
(2019年8月28日投稿)