日露戦争(1904年2月~05年8月)下、韓国併合について、当時、憲政本党(1898年11月~1910年3月)総裁であった大隈重信がどのように考えていたのかという点について、『ベルツの日記(1904年10月9日)』が興味深い内容を伝えているので以下に紹介しよう。
「進歩党(憲政本党)の総裁大隈伯は、銀行業者の集会で、一場の演説を試みた。伯は日本の戦費(日露戦争)を、十二億ないし十三億円と見積もっている。従来は、約六億円と称せられていたにすぎない。ところが今では、来年度のみで、その程度の戦費を要し、うち四億円は公債、二億円は租税により、それぞれ賄うというのだ。だが、どういう風にして? 議会で第二の勢力を有し、最も活動的な党派である進歩党(憲政本党)は、仮面を脱ぎ捨てた。政府の韓国における政策を、あまりにも軟弱だと称するのだ。そして、直ちに行政、財政、司法ならびに対外代表権を、日本自身の手に収めるよう要求している。換言すれば、韓国をさっさと併合せよというのだ。日ごろ、「われわれは、韓国の独立のために戦うのだ」と立派な口をきいていたではないか。」
(2021年10月11日投稿)