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『ベルツの日記(1904年10月9日)』:大隈重信・憲政本党総裁は韓国併合をどう考えていたか?

2021-10-11 20:09:27 | 朝鮮問題

 日露戦争(1904年2月~05年8月)下、韓国併合について、当時、憲政本党(1898年11月~1910年3月)総裁であった大隈重信がどのように考えていたのかという点について、『ベルツの日記(1904年10月9日)』興味深い内容を伝えているので以下に紹介しよう。

 「進歩党(憲政本党)総裁大隈伯は、銀行業者の集会で、一場の演説を試みた。伯は日本の戦費(日露戦争)を、十二億ないし十三億円と見積もっている。従来は、約六億円と称せられていたにすぎない。ところが今では、来年度のみで、その程度の戦費を要し、うち四億円は公債、二億円は租税により、それぞれ賄うというのだ。だが、どういう風にして? 議会で第二の勢力を有し、最も活動的な党派である進歩党(憲政本党)は、仮面を脱ぎ捨てた。政府の韓国における政策を、あまりにも軟弱だと称するのだ。そして、直ちに行政、財政、司法ならびに対外代表権を、日本自身の手に収めるよう要求している。換言すれば、韓国をさっさと併合せよというのだ。日ごろ、「われわれは、韓国の独立のために戦うのだ」と立派な口をきいていたではないか。」

(2021年10月11日投稿)

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『ベルツの日記(1904年9月11日)』:第2次日韓協約(韓国保護条約)締結と欧米列強の反応

2021-10-11 10:26:21 | 朝鮮問題

 韓国併合をめざす神聖天皇主権大日本帝国政府は1905年に、大韓帝国(1897年)に対して第2次日韓協約(韓国保護条約)を強制的に締結させたが、メディアはそれをどのように報道したか? 又それに対して欧米列強はどのような反応を示したのか?ベルツは日記(1904年9月11日)にどのように書き残しているのかを以下に紹介しよう。

「日本人は韓国人の感情を、全然意に介しないように見える。彼らは平然と自己の道を進み、自己の意志を韓国人に押しつけている。一週間前に『日日新聞』の掲げた報道によれば、日本は諸外国に駐在する韓国公使の召還を目論んでいるが、「これにより、もちろん外国公使の京城(現ソウル)駐在も無用となるだろう」と。しかしこれは、あまりにもはっきりと内幕をさらけ出したものだ。その翌日、『ジャパン・タイムス』は強硬な否認記事を掲げていわく、そんな事をすれば、日本の最も誠実に尊重する韓国の主権を奪う事になるからであると。ところで、実際はどうであろうか?日本は、韓国政府の外国との交渉全般の監督を要求しているではないか。だが、どの強国も、こんな事を容認しないだろう。そうなれば、本当に外国公使は引き揚げるかも知れない。」

第2次日韓条約の内容については、別稿を参照してください。

(2021年10月11日投稿)

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