日露戦争は、遼東半島旅順港外において、神聖天皇主権大日本帝国桂太郎政府海軍がロシア艦隊に対する奇襲攻撃を実施した事により始まったのであるが、その外相・小村寿太郎はその目的をどのように公表していたのかを『ベルツの日記(1904年11月12、16日。1905年1月10日)』より以下に紹介しよう。
「小村外相は、最近、有力な代議士連との懇談会で、日本は韓国の不可侵と独立のため戦っていると言明した。「独立」とはよく言った。」(11月12日)
「日本は不可解な失策をやった。真実、東アジアの民族の盟主たるの地位を目指していたのであれば、まず温情により清・韓両国を自己の味方につけ、その信頼を固めなければならなかった。支配するのではなく、「指導」すべきだった。」(11月16日)
「日本は韓国で、意のままに行動している。先般、同国の警察を、あっさりと接収した。全く無力であるとの理由で。事実、そのとおりではあるが、この新しい措置が韓国の独立の法外な侵害であるという事実もまた、同様に否定できない。もはやこの独立も、名ばかりのものになってしまった。」(1905年1月10日)
※補足:小村寿太郎外相の議会政治についての認識(1905年2月16日の日記)
「議会政治については、小村男爵はすこぶる遠慮のない意見を述べた。いわく『議会は単に、一種の監査、監視を行うため存在するにすぎない。政党による議会中心の政府の如きは、現実にあり得ない。日本では、そこまで行く必要がないのだ。実際の指導は、つねに少数者の手にあらねばならぬ。幸い日本では、天皇が、必要に応じて議会を解散する権限をもっておられる。この点を自分は、大隈がイギリスの議会の状態を日本に移し入れようとしたとき、彼に再三指摘したのである。日・英両国の憲法はてんで根本から違っている』……」
(2021年10月12日投稿)