『週刊朝日』(1948年5月16日号)が、佐々木惣一、長谷川如是閑、三淵忠彦の鼎談を掲載した。佐々木惣一(1878~1965)は、法学者で、憲法及び行政法の権威で、天皇機関説、民本主義を主張した。滝川事件に連座し退官。アジア・太平洋戦争敗戦後、帝国憲法の改正に参画した。長谷川如是閑はジャーナリストで思想家。自由主義批評家としてデモクラシー思想を鼓吹した。三淵忠彦は、敗戦後の新憲法下での初代最高裁長官を務めた。
三淵忠彦は鼎談において、以下のような昭和天皇についての持論を主張したので紹介しよう。
「かりに陛下が道義的にお考えになって、退位されたいと考えた場合、国会だけで決めるか、あるいは国民投票に問うか、これは問題だな。僕らはね終戦当時陛下は何故に自らを責める詔勅をお出しにならなかったか、という事を非常に遺憾に思う。先例がある。この書(唐の玄宗の例を引いた)によってみんなが涙を流して感奮して、その力によって回復の緒についたという先例がある。やはり痛烈に自らを責められる詔勅をお出しになって、国民をして感奮せしめるだけの手を、なぜお打ちにならなかったかと、不思議に思うくらいだな。公人としては自分の思慮をもって進退去就を決するわけにはいかないんだ。どうしたって。だけど自らを責めることは妨げられない。だから、自分の不徳のいたすところ、不明のいたすところ、国民にかくの如き苦労をかけたということを、痛烈にお責めになれば、よほど違ったろうと思うな」
(2024年9月30日投稿)