つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

斎藤隆夫反軍議会演説の速記録削除部分と新聞発表部分の各要旨

2024-10-01 14:53:51 | 斎藤隆夫

 1940年2月、第75帝国議会立憲民政党斎藤隆夫議員が行った、米内光政首相(1940.1.16~

1940.7.16)に対する、いわゆる「反軍演説」は、帝国議会が速記録から大部分を削除し、新聞内務省・警察からの通達により削除部分は報道できなかった。

 内務省・警察からの新聞社への通達内容を先ず紹介しよう。

一、二日衆議院本会議における斎藤代議士の演説で(首相或は興亜院総務長官に質したい)以下全文は速記を取消されたる旨議院当局より通告有之候に付きこれを新聞に掲載せざるよう。

一、

 (イ)議会における斎藤問題は対内的には種々の疑惑を生ぜしめ、また対外的には国内輿論の分裂せるやの印象を与える虞あるをもって、本件に関する記事は時局柄特に慎重に取扱い相成り度し。

 (ロ)社会面に斎藤代議士を英雄視するが如き感情を与えるものの掲載は不可。

 (ハ)斎藤代議士の記者との談話中自己の演説を、悪くない、国民の代表として論じたものなどと言ってい  るのは具合が悪い。

 (二)新聞取扱に関して斎藤代議士の所説に対し、支持共鳴するようなものは不可。

一、所謂斎藤問題に関し、さきに発せる禁止通牒に追加し、四日斎藤代議士が同盟通信を通じ発表せる声明書を新聞に掲載せざるよう、同代議士の声明書が別に各社宛に届いたときは掲載前検閲を受けられたし。

一、斎藤問題についてはさきの氏の談話ならびに声明書を紙面に掲載し、または社会面に写真を掲載して「自分の言ったことは正しい」「自分にはこうこうした支援者がある、手紙などたくさん来ている」といったようなことが現れぬようお願いしたが、当局の希望するところと逆になってすでに発禁処分になった例もあり、右様のことは今後といえども御取扱は慎重に願いたいと思います。但し議会における委員会本会議などで秘密会ならざる場合、懲罰そのものに関する記事は従来通り差支えありませんが、斎藤氏の議論を是なりとするようなことになると一応御連絡願いたい。

一、衆議院本会議における斎藤代議士懲罰に対する賛否投票数は、秘密会議事の内容につきこれを新聞紙に掲載せざるよう御注意相成度し。

一、さきに電話をもって申入れ置き候代議士懲罰に関する衆議院本会議における出席者数欠席者数、並びに賛否の投票数を表す多数少数相当数等の用語を使用せざるよう御注意相成度し。     

以上が通達であるが、これに沿って、新聞が報じた内容の要旨を以下に紹介しよう。

「(米内首相の)施政方針演説に就いても相変わらず抽象的なものに過ぎない。事変処理に於ては全国民の関心の的であり、一体事変は何時まで続くか、一体どうなるか、支那事変処理の範囲と内容の二点に就いて質し度い、事変処理に当たって忘れる事のできぬものは、国民が払った多大の犠牲であり、十万の英霊とこれに数倍する傷病将兵、この犠牲を忘れて事変処理の内容はあり得ない、米内首相の方針は近衛声明を出発点としているようだが、私は近衛声明に些かの疑いをもつのである。近衛声明には、一、支那主権の尊重 二、領土、賠償を求めず 三、経済提携 四、在支第三国権益を制限せず 五、内蒙を除く地域の撤兵 の五項目を含んでいるようである、支那独立の主権を尊重する以上、支那の内政外政に干渉がましい事は出来ぬこととなり、領土、賞金をとらぬとすれば、今日迄消費した軍費と更に将来どの位かかるか判らぬ膨大な軍費を日本国民が全部負担せねばならぬのであるか、撤兵に付いても汪声明によれば、日支共同防衛を目的とする内蒙その他の特定区域以外、日本の駐兵が無い事になる、之等について米内首相は如何に考えられるか、近頃至る所で『東亜新秩序建設』と云うが、その具体的内容は如何なるものであるか、昨年十二月十一日付で興亜委員会の答申案として発表されたものは中々難解であるが、一体東亜新秩序建設原理原則或は精神的基礎を委員会まで設けて研究に着手せねばならぬとはどういう訳か、首相或は興亜院総務長官に質し度い(以下大量削除)」

次に、速記録から削除された部分の要旨を以下に紹介しよう。

「(政府はこの戦争は従来の戦争とは全く性質が違うという)。政府は飽くまでも所謂小乗的見地を離れて、大乗的な見地に立って、大所高所より此の東亜の形勢を達観して居る、そうして何事も道義的基礎の上に立って国際正義を楯とし、所謂八紘一宇の精神を以て東洋永遠の平和、延いて世界の平和を確立するが為に戦って居るのである故に、眼前の利益などは少しも顧る所ではない。是が即ち聖戦である、現に近衛声明の中には確かにこの意味が現れおるのであります、其の言は誠に壮大である、其の理想は高遠であります、併しながら斯くの如き高遠なる理想が、過去現在及び将来、国家競争の実際と一致するものであるか否やということについては、退いて考えねばならぬのであります、(世界平和などは断じて得られるものではない)現在世界の歴史から戦争を取除いたならば、残る何物があるか、そうして一たび戦争が起こりましたならば、最早問題は正邪曲直の争いではない、是非善悪の争いではない、徹頭徹尾の争いであります、強弱の争いである、強者が興って弱者が亡びる、此の歴史上の事実を基礎として、吾々が国家競争に向かうに当たりまして、徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ、此の現実を無視して、唯徒に、聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、斯くの如き雲を掴むような文字を並べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば、現在の政治家は死しても其の罪を滅ぼすことは出来ない、私は此の考えを以て近衛声明を静かに検討して居るのであります、彼の近衛声明なるものが、果たして事変を処理するに付いて最善を尽くしたるものであるかないか、之を疑う者は決して私一人ではない、(さらに重慶政府と、近く生まれんとする新政府との関係をとりあげ、新政府は兵力を有せざる以上は威令が行われないであろうと前途の困難を指摘し、この点に関して、支那事変処理の根本方針について、政府と軍部の間に意見の相違があるようだと述べ)蒋政権を撃滅するにあらざれば断じて矛は納めない、蒋介石の政府を対手としては一切の和平工作はやらない、此の方針は動かすべからざるものでありまするが、一方に於ては何処までも新政権を支持せねばならぬ、此の二つの重荷を担って進んで行かねばならぬのでありますが、是が我が国力と対照して如何なる関係を持って居るものであるか。私共決して悲観するものではない、悲観するものではないが、是が人的関係の上に於て物的関係の上に於て、又財政経済の関係に於て如何なるものであるかということは、全国民が聴かんとする所であると思うのであります、(新政府には力がないとすれば、中国の将来はどうなるのか、『近衛三原則』のために日本は重慶政府を対手にせず、また新政府も同様であるとすれば)そうすると支那の将来はどうなるものでありますか、何時まで経っても此の現状をば清算することは出来ないと思われるのであります、国民は政府の命令に従順であり、政府が事変を解決すると期待しているが、然るに若し一朝此の期待が裏切られることがあったならばどうであるか、国民心理に及ぼす影響は実に容易ならざるものがある」

(2024年10月1日投稿)

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『週刊朝日』(1948年5月16日... | トップ | 国民党政権が台湾で生き延び... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

斎藤隆夫」カテゴリの最新記事