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「日露戦争勃発」報道に対する「大阪朝日新聞」と「平民新聞」の違い

2024-01-07 12:17:40 | メディア

 2024年1月6日付朝日新聞「天声人語」神聖天皇主権大日本帝国政府時代に刊行していた「大阪朝日新聞」に「天声人語」が1904年1月5日に登場し、その書き出しが「日露戦争勃発」の予兆を見たと思えるような「雲を呼び雨を起こすと云ふ辰の新年」となっていた事を紹介していた。

 その「大阪朝日新聞」と比較して、「平民新聞」がどのような主張を掲載したのかを紹介したい。「平民新聞」とは、日露戦争直前、「非戦論」を唱えてきた「万朝報」が「開戦論」に転じたため、退社した幸徳秋水堺利彦が1903年11月15日に結成した「平民社」の機関紙である。「自由・平等・博愛」に基づく「社会主義・平民主義・平和主義」を唱え、日露戦争に反対した。しかし、1905年1月、神聖天皇主権大日本帝国政府による弾圧と財政難により廃刊した。

以下にその「平民新聞」の主張を一部抜粋して紹介しよう。

不忠と呼ぶ、可なり。国賊と呼ぶ、可なり。もし戦争に謳歌せず、軍人に阿諛(おもねりへつらう事)せざるをもって不忠と名づくべくんば、我らは甘んじて不忠たらん。もし戦争の悲惨、愚劣、損失を直言するをもって国賊と名づくべくんば、我らは甘んじて国賊たらん。世は平和をとなうるを効果なしとす。しかし我らは一人の同志を得ば足る。今日一人を得、明日一人を得、三年、五年、十年、進んで止まず、我は必ず数千、数万の同志を得るの時あるを信ず。」

(2024年1月7日投稿)

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