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『ベルツの日記(1904年9月11日)』:第2次日韓協約(韓国保護条約)締結と欧米列強の反応

2021-10-11 10:26:21 | 朝鮮問題

 韓国併合をめざす神聖天皇主権大日本帝国政府は1905年に、大韓帝国(1897年)に対して第2次日韓協約(韓国保護条約)を強制的に締結させたが、メディアはそれをどのように報道したか? 又それに対して欧米列強はどのような反応を示したのか?ベルツは日記(1904年9月11日)にどのように書き残しているのかを以下に紹介しよう。

「日本人は韓国人の感情を、全然意に介しないように見える。彼らは平然と自己の道を進み、自己の意志を韓国人に押しつけている。一週間前に『日日新聞』の掲げた報道によれば、日本は諸外国に駐在する韓国公使の召還を目論んでいるが、「これにより、もちろん外国公使の京城(現ソウル)駐在も無用となるだろう」と。しかしこれは、あまりにもはっきりと内幕をさらけ出したものだ。その翌日、『ジャパン・タイムス』は強硬な否認記事を掲げていわく、そんな事をすれば、日本の最も誠実に尊重する韓国の主権を奪う事になるからであると。ところで、実際はどうであろうか?日本は、韓国政府の外国との交渉全般の監督を要求しているではないか。だが、どの強国も、こんな事を容認しないだろう。そうなれば、本当に外国公使は引き揚げるかも知れない。」

第2次日韓条約の内容については、別稿を参照してください。

(2021年10月11日投稿)

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ベルツの日記(1904年9月5日)に見られる第2次日韓協約(韓国保護条約)の内容 

2021-10-10 17:08:25 | 朝鮮問題

 ベルツ(1849~1913)はドイツ人内科医で、1876年に神聖天皇主権大日本帝国政府に招かれ東京医学校・東大で内科・産科を講義した。1905年に帰国。『ベルツの日記』は長男トクがベルツ在日中の1876~1905年の日記を編集したものである。

 菅沼竜太郎訳の岩波文庫版に見られる、日露戦争中に締結された第2次日韓協約(韓国保護条約)の内容とベルツの見解は以下の通りである。

「韓国では、今や日本人はすこぶる思い切った行動に出ている。彼らは韓国政府から、軍事上の目的に土地を提供させた。つまり強制的に、そうせざるを得ぬようにしたのである。そして今度は、はなはだ重要な協約が発表された。この協約によれば韓国は、

一、日本人財政顧問を一名任命し(目賀田)、その同意なしでは、どんな方策をも取らない事。

二、日本政府の推薦する外国人外交顧問を一名任命し、重要事項は、すべてその意見を徴する事(この顧問には、旧知のステーヴンスが任じられた)。

三、外国との条約等の締結および外国人に対する特権譲与に関しては、日本政府と協議する事。

 これでいて、日ごろのおきまり文句は、韓国の主権を侵害しない!である。この協約により、韓国は日本の属国となるのだ。」

(2021年10月10日投稿)

 

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