韓国併合をめざす神聖天皇主権大日本帝国政府は1905年に、大韓帝国(1897年)に対して第2次日韓協約(韓国保護条約)を強制的に締結させたが、メディアはそれをどのように報道したか? 又それに対して欧米列強はどのような反応を示したのか?ベルツは日記(1904年9月11日)にどのように書き残しているのかを以下に紹介しよう。
「日本人は韓国人の感情を、全然意に介しないように見える。彼らは平然と自己の道を進み、自己の意志を韓国人に押しつけている。一週間前に『日日新聞』の掲げた報道によれば、日本は諸外国に駐在する韓国公使の召還を目論んでいるが、「これにより、もちろん外国公使の京城(現ソウル)駐在も無用となるだろう」と。しかしこれは、あまりにもはっきりと内幕をさらけ出したものだ。その翌日、『ジャパン・タイムス』は強硬な否認記事を掲げていわく、そんな事をすれば、日本の最も誠実に尊重する韓国の主権を奪う事になるからであると。ところで、実際はどうであろうか?日本は、韓国政府の外国との交渉全般の監督を要求しているではないか。だが、どの強国も、こんな事を容認しないだろう。そうなれば、本当に外国公使は引き揚げるかも知れない。」
※第2次日韓条約の内容については、別稿を参照してください。
(2021年10月11日投稿)