ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

ジェンダーフリーについて

2006年05月14日 01時12分42秒 | 社会

 予告の通り、今回は、いまも話題になっているジェンダーフリーについて書いてみたいと思います。もともと、私はこういうテーマにとても興味がありました。
 私は、父親が高校教師、母が専業主婦といいながらも近所の実家の八百屋を手伝っていたという家族に姉と両親4人暮らしで生活していました。私は小学高学年から中学時代までその実家の風呂焚き(なんと薪で焚いていました)を1回50円でアルバイトしていましたっけ。そんな、ちょっと貧しい家庭でした。が、大学までずっと男女共学、社会人になるまでまったくといっていいほど、男女差別には縁がなかったのです。
 都の教員試験を2次で落ちてから慌てて入った民間企業で、前近代的と思うほどの男尊女卑を経験して驚愕したのです。その後も、似たようなものでした。本当に、信じられない「日本の社会」の現状だったのです。まず、女子社員がほとんど個人名で把握されず、ただの「女子社員」なのです。当然、お茶くみや掃除、タオルなどの洗濯優先の仕事にあきれ果てました。
 でも、男性は、おそらく、就学後の社会でも違和感はなく社会人になっていくのではないでしょうか。つまりは、明らかに、男性中心の社会なのです、いまだに。
 もちろん、生物学的にも医学的にも、男女差はあるのは当たり前です。生殖や排泄に関係する体の器官が違っているのですから。でも、それ以外は、脳だって内蔵機能だって同じなんじゃないでしょうか。女性の能力が男性よりも劣っているというのは、偏見です。女性は、能力を発揮する以前に、家事労働に従事させられてきた歴史があるのです。いまだに、自民党などの政治家たちが画策している「男らしさや女らしさ」というのは、生物学的な習慣ではなくて、その後の男性中心の社会が作ってきた通念なのです。それをふりかざしている間は永遠に、男女同権はありえないと私は思います。
 生殖に関して言えば、絶対にタブーなのは近親相姦、それ以外は個人の自由ではないのではないでしょうか。男性が男性に惹かれても、または女性が女性と恋愛しても、それは個人の自由であって、大事なのは、お互い、一人一人がきちんと理解した上での同意の関係だということです。
 男性優位という社会では、明らかに力で女性を抑圧しています。そういう力関係での平等はありえません。恋愛や性行為に関しても、お互いの合意がなくては成立しないものです。どちらかが無理強いするということが、虐待であり、暴力ということになるのです。セクシャルハラスメントとは、そういうことです。
 男性女性の性差を無視するのではなく、さらにそれを超えて、人間として対等であるということをジェンダーフリーというのではないでしょうか。それが実現できなければ、問題ある社会ということになるんじゃないかしら。今の日本が、そうです。
 ジェンダーフリーという考えをきちんと理解していない政府や自治体が教育現場でとんでもないことをしているんじゃないでしょうか。トイレの男女別はもちろん、あって当然でしょう。男性が立小便して女性は座ってしかできないのですから。
 それを、男性も座ってしなければいけない、とうのは、どういうものでしょうか??
 それが不自由というものではないのかしら?そういう目に、散々、女性はあってきているのです。そういうことを改善して、同じように、人間として、職場や家庭で同じように人権を尊重してほしいということの、何が悪いというのでしょうか?
 有史以来、女性を「家庭」という閉鎖的な空間に閉じ込めてきた男性に、私は反抗したいです。男らしさや女らしさは、そういう「男性中心の社会の男性」が作り上げてきたものなんです。もっと、個人の自由を尊重して、お互いに理解しあって同じように譲り合って生きていきませんか?
 ジェンダーフリーという言葉、あまりに誤解されすぎています。どこかのお馬鹿さんたち、もしかして、ヒッピーの頃のフリーセックスと勘違いしていませんか?
 私が大手予備校を辞めてから、OLしながら採点のアルバイトをしていた時期があったのですが、平日は仕事をしていて、採点は夜中にやっていたから、かなりきつい仕事でした。睡魔との闘いです。あるときの日本史の採点で、思いっきり目が覚めたことがありました。日本史の解答で、正解が青鞜だったのですが、これが「ブルーソックス」と書いてあるのを私は「フリーセックス」と読み違え、ものすごく驚きましたっけ。
 ジェンダーフリーを検索したら、こんなサイトがありました。なんか、とっても誘導されている授業に感じました。こんなのも、現実にはあるんですね。だから、教育というのは、難しいのです。恐ろしいのは、自分は正しいと思って何も疑いを持たないこと。
 つくづく、あの時、教員試験に落ちてよかったと思っています。
 女性解放というのは、本当にまだ1世紀かそこらのことなんです。いまだに、イスラム社会では女性の権利が認められていません。でも、同じ人間なんですよ。男性は社会に出て大変な仕事をしていると思い込んでいるようですが、本当にそうでしょうか?家事労働がどれだけきりなく大変なことだか、理解しているのでしょうか?家政学という学問があるくらい、家庭のことは大変なんですけれどね。それに、以前NHKのスタジオパークで渡辺えり子さんが言っていましたが、男性は10秒で子どもを作るけれど、女性は10ヶ月もおなかに胎児を抱え、出産後も大変なんだって。その通りですよ。だから、その長期間の休職を考えると、演出家などでは出産する女性が少ない。これは明らかに、平等ではないと思います。男女共同参画というのは、まずこういうことから、改善しないと。小児科、産婦人科の医師を増やす努力を。託児所の完備。介護や育児を女性だけに押し付けないこと、などなど。
 男らしさ、女らしさよりも前に、人間らしさを優先してみませんか?それが私の理想です。

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