先日、ロシアのフィギュアスケートのアイスダンスのペアがアボリジニのダンスを勝手に使ったということでクレームがついたとかでニュースになりましたが、バンクーバーオリンピックではカナダの先住民の協力を得て開催されたので、どうなることかと心配していました。結局、競技前にはその先住民族との和解が成立したとかで、その演技のあとは先住民族からいただいたという織物をコーチが掲げてアピールしていました。
文化の違いというのは、実は私たちも含めて、とても身近に露見しているものだと思います。アイスダンスの日本から出場した日系アメリカ人兄弟の演技も、民族をテーマにしたものは日本人にとってはちょっと違和感のあるものではありました。でも、アボリジニほど積極的に抗議する内容ではなかったけれど・・・。和服をモチーフにした衣装ですべるのは相当な苦労があったでしょうし、扇子を持ちながらも大変だったと思います。その意欲と、それほど品が悪くはならずにがんばったことには、日本をアピールする演技としてまあまあよかったのではと思いました。まあ、ありえないものではあったのですが・・。文化の違いというのは、そういうものでしょう。
戦後、日本の国宝級の家屋に占領軍が住み着いて、勝手に改築して台所やバスルームを作ってしまったことには、驚きでした。千利休が使うような茶室があるのにです。それが、文化を知らないものがする蛮行というものではないでしょうか・・。だから、アフガンでもイラクでもアメリカは嫌われるのは当然でしょう。それはともかく、そういうことは日本にもいえることなのかもしれません。今日のフィギュ女子でも、カトリックでもない人間が十字架の衣装をつけてモーツァルトのレクイエムで演技したことは、もしかしたらその文化の違いで反感を呼び、得点が伸びなかったのではと思うのは杞憂でしょうか?
欧米人がカッチーニのアヴェマリアを使うのはいいけれど、アジアの人が使うのはということもあるのかもしれません。いまだに、そういう文化の違いから来る違和感は、審査に影響していないとはいえないのではないでしょうか。その点で、キム・ヨナが選んだ007はまさに、欧米の心臓を打ち抜いたのかもしれません。裏返せば、アジア人の魅力はお色気でしか認められない・・・、なんてこともあったりして。
お互いの文化を理解することは、とても大事だしとても難しいことでもあるということなんですね。そこまで考える私がどうかしているのかもしれないけれど、でも、そこまで考えなくては納得できないことが確かにあると思います。