ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

階段下の収納

2016年07月18日 18時26分04秒 | 日常

 目に入る扉の近くしか、認識していなかったこの収納場所を、今日、久しぶりに点検しました。そこでわかったのが、どうしてこんなにたまったのか不思議なくらい大量の紙袋でした。そして、いわゆるプチプチと呼ばれる緩衝剤。

 確かに、父の絵の展覧会などで使ったりしていたので、もったいないからと取っておいたものが相当な量になっていました。それと、本体自体は入っていない空箱。この空箱も、外は段ボール、中には発泡スチロールなので、意外と仕分けが面倒でした。猛暑のこの日になんでまた、という行動をしていました。さすがに、もうへろへろです。

 紙袋は、ないものと思って、包装関係の問屋に行って、買ってきちゃっていましたし(あーあ、馬鹿な女の恨み節だね)。

 ハッチのテリトリーを紙袋で埋め尽くし、本当に今日は悪いことをしてしまいました。

 東急ハンズ、町田にいよいよオープンなんて紙袋もありました。時代ですね。

 子供のころから家族で暮らした下町には、社会人になるころまで住んでいました。23年間くらいかな。そして、その後、永福町に半年、世田谷代田には2年いたかしら。結婚してから97年まで、多摩ニュータウンの賃貸団地にいて、その後、わたしと父のネコだけ、こちらに来てしまいました。そこが、19年。

 でも、一番の故郷は、今は、結婚してすぐの多摩ニュータウンです。残念ながら、この地は、私の故郷にはなりえなかった。今度の引越し先で何年生きられるかわからないけれど、そこが故郷になれば、いいなあと思います。終の住処にするんですもの!

だから、物を整理して極力捨てて、と思うのですが、なかなか・・。それでも、諦めたものもけっこうあります。もう、パンを焼かないだろうし、編み物もしないかも。お金と時間をかけて取得した技術も、年齢には勝てません。

 そうそう、夏のマットレスの衛生面が気になって、ついに買ってしまいました。ダイソンの布団クリーナーです。あーあ、引越し前に、お金使うかなー、とほほ。

 そんなこんなで、結局、母とは23年しか、いっしょにいなかったのでした。今朝、NHKで暮らしの手帖の番組があり、本当に懐かしかったです。その雑誌こそ、母そのものみたいでしたから。不思議なことに、母の死後の発行の暮らしの手帖があったので、父が買ったんだと思います。毎回、母に頼まれて買っていたのでしょう、だから別に気にすることもなかったんですね。毎号の表紙は、なんとなく記憶に残っています。残っている分だけでも、大切にしましょう。料理だって、クックパッドでは埋められない、とても大切な宝物だと思います。

コメント
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