ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

昨日と続けて、ロッキード

2016年07月24日 22時14分30秒 | 日常

 いやー、NHK、やりましたね、すごく面白かった。

 昨日は、ドラマでロッキード疑獄を描きました。今日は、ドキュメンタリーです。やっぱり、と思いました。当時は、解明が無理だったのも、わかるような気がします。

 田中角栄が今、再評価されていますが、やはり、金権政治はそのままですから。そして、自民党という組織は、戦前からそのままずっと、その体質を持ったまま、つまり闇を抱えたまま、今も同じような体質なんですよ。だって、昔は、自民党といえば、闇社会つまり暴力団関係と密接につながっていたんですから。

 私の母方の遠い親戚に、どうも闇関係の人がいたようです。私は会ったことはありません。下町でその人の葬式の時には、自民党の政治家の名前の花輪がずらっと並んでいたそうです。

 今も同じじゃないですか。それが、献金とか賄賂だとか贈収賄と言われたために、例の政治資金?の税金投入でしょ、金権政治が税金権政治になっただけ。まるで体質はかわらない。

 児玉誉士夫が秘書に命じて知人に証拠書類を渡して焼却させたように、証拠はみな、闇に葬られるんですよ。日本が先の戦争に負けたときも、軍部の書類はほとんどすべて焼かれました。慰安婦の証拠なんて、あるわけないじゃない。

 東京大空襲を計画時実行したルメイは、戦後、自衛隊の前身を作ったことへの褒賞として勲章が授与されました。そうなんです、そこですよ。こんなこと、あっていいわけないのに。P3Cの件も、そういうことです。

 自民党は体質は全然変わらないままです。私たちは、知らされていないし、騙され続けているのです。たまりませんよ。いまも、闇社会とつながりはあるはず。まさに、それが自民党なんだから。私は大嫌いです。

 大富豪のトランプ氏が大統領になるのって、土建屋からのし上がった田中角栄と似ていませんか?金があればなんでもできると思っているんですよ。

 自衛隊の軍備の詳細なことも、すべて、機密事項だと言って隠されちゃいます。そんな法案が、どんどんできてきているじゃありませんか。そして、知らないうちに、私たちはとんでもない社会に生きていくことになる、まるでデジャブ・・・、あの戦争の前みたいにね。悔しい!

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ぶぶぶぶ・・・

2016年07月24日 19時50分45秒 | 日常

 昨日は、2か月ぶりに義母に会いに行きました。次男夫妻も現地の介護施設で会い、4人いっしょにランチに出かけました。義母は、普段もあまり運動しないので、すっかり筋力が衰え、次男の車の乗り降りも大変でした。それでも、外出時は大好きなビールを喜んで飲んでいました。

 最近はテレビも見ないしZ(理解できていません)、携帯電話も出ないので、何をしているのかわかりませんが、もしかしたら今回が最後かもと思い、家の売却の同意をお願いしました。

 案の定、長男が死んだことも忘れ、心配しましたが、私が戸建の家をもう一人では管理できないことを理解してくれたようでした。

 外房線の特急の本数が減ってしまい、帰りは2時50分の「わかしお」に乗るのですが、昨日は昼間はかなり暑くなってきて、締め切った家に残した飼い猫が心配で飛んで帰りたいくらいでした。ところが、中央線で新宿に着いた時のホームのアナウンスでは、小田急線も京王線も遅れが出ているとのこと。

 いつもなら、百貨店でポイントをつけるところ、それどころじゃないからとあわてて京王線のホームに行くと、もう人混みがすごくて。特急が1本運休になり、さらに遅れた電車でなんとか帰路につきました。車内では、車掌さんのアナウンスが、どうもおかしい・・・。「ぶぶぶぶ・・ぶばいがわらです」なんて言うので、思わず笑ってしまいました。さらに、「でででで・・・、電車が遅れましたこと・・・」と続きました。「だだだ・・大丈夫?」と思いました。高幡不動で、その車掌さんは後退したようで、その後はきびきびとアナウンスの声が流れました。マニュアル通りに行かない不測の事態で、ちょっと大変だったのでしょう。

 ほぼ一日中私がいなかったので、ハッチはとても不機嫌でした。

 義母のさらなる老後は、家を売ればまだまだ十分安心ですが、私の老後は、お先真っ暗です。とても介護施設に入るお金はありません。老後は訪問介護を受けてなんとか最後まで生活するしかありませんが、義母のようには長生きしたくないですね。

 長男が58歳で亡くなるなんて、だれが予想できたでしょうか。本当に悔しい。母の愛情をしっかりもらえないまま、孤独な人間として亡くなったのです。だから、私は義母を恨んでいます。

 母親の愛を感じられないままゆがんで育つなんて、想像できますか?夫が最後まで子供嫌いだったのは、そういうことだったのかもしれません。私の父も夫の父も、若いころに母親を亡くしていますが、私の母は、愛情深い女性でした。深すぎて困るところもありましたけどね。

 その分、もっと愛せばよかったと、今になって後悔しています。だから今、私が一人ぼっちになっちゃったのかな~。でも、彼も私も実は孤独が大好きだったんだと思います。

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