午前6時04分、八幡岬公園注意にマイカーを停めてスタートします。
いきなりコースポイントを迎えます。
お互い写真を撮り合って、岬公園を散策します。
昨夜は放射冷却があり、日中の暑さから比べると、ぐっと気温が落ちていて寒いぐらいでした。
展望台があり、登ってみると太平洋と断崖絶壁な海岸線が一望出来ました。
展望台の手前には『おまん像』がありました。
なんぞや?
正しくは『お万の布さらし』と呼ばれるらしく、以下勝浦市のホームページを参考に解説いたします。
徳川家康の側室で徳川御三家のうち紀州(頼宣)、水戸(頼房)2児の母養珠夫人であったお万の方は、天正5年(1577年)勝浦城主正木頼忠の姫君として生まれました。
14歳の時、勝浦城が落城し、その際、幼い弟と母を連れて八幡岬の東側約40mの断崖に白い布を垂らして海に下り小船で館山方面へ逃れたという故事にちなみ、ここを「お万の布さらし」と呼び後世に伝えています。
なんと。
つまり断崖絶壁をクライムダウンしたということですね。
謎の公務員、ここで愛妻を思い浮かべて『連れて来てあげたい』と。
前回も広大な景色を見て、同じことを思い『行ってみないか?』と誘ったところ『別にいい』と寂しく拒否されたということです。
優しい謎の公務員よ、ドンマイ。
やがてルートは勝浦灯台へ向かいました。
一般車通行可能ですが、ほとんど車は通る事なく、ウォーキングや愛犬のお散歩の方々に出会うだけでした。
みなさん気持ちよいらしく、お互い笑顔で挨拶を交わしました。
少し気温が上がり、爽やかな風が僕らを癒してくれます。
画像はその勝浦灯台です。
さらに進むと『日本海軍駆逐艦沖風』の殉職者慰霊碑がありました。
藪のような蜘蛛の巣にまみれた道を登ると、そこに慰霊碑は建っていました。
手を合わせる僕ら。
幸せな時代に生まれたことを感謝しつつ、戦争の痛ましい思いを悔いる瞬間でもありました。
さらにルートは『官軍塚』へ向かいました。
戊辰の役末期の明治2年1月3日夜、熊本藩兵350人を乗せた船が川津沖の岩礁地帯で難破し、130数人の死者を出しました。地元川津では総出で救助にあたり遭難者を埋葬供養したのがこの官軍塚だということです。
勝浦市役所の前をわざわざ通らせるルートは看板が破損しておりルートミス。GPSを使って何とかコース復帰しました。
小さな港を経由して『部原(へばら)三又バス停』へ到着しました。
ここから1日たった1本のバスに乗って勝浦駅に向かいます。
バス停の時刻表には数字が1つしか書かれていませんでしたが、バス停には立派なベンチが2組用意され、屋根まで付いていました。
その3へ続きます。
いきなりコースポイントを迎えます。
お互い写真を撮り合って、岬公園を散策します。
昨夜は放射冷却があり、日中の暑さから比べると、ぐっと気温が落ちていて寒いぐらいでした。
展望台があり、登ってみると太平洋と断崖絶壁な海岸線が一望出来ました。
展望台の手前には『おまん像』がありました。
なんぞや?
正しくは『お万の布さらし』と呼ばれるらしく、以下勝浦市のホームページを参考に解説いたします。
徳川家康の側室で徳川御三家のうち紀州(頼宣)、水戸(頼房)2児の母養珠夫人であったお万の方は、天正5年(1577年)勝浦城主正木頼忠の姫君として生まれました。
14歳の時、勝浦城が落城し、その際、幼い弟と母を連れて八幡岬の東側約40mの断崖に白い布を垂らして海に下り小船で館山方面へ逃れたという故事にちなみ、ここを「お万の布さらし」と呼び後世に伝えています。
なんと。
つまり断崖絶壁をクライムダウンしたということですね。
謎の公務員、ここで愛妻を思い浮かべて『連れて来てあげたい』と。
前回も広大な景色を見て、同じことを思い『行ってみないか?』と誘ったところ『別にいい』と寂しく拒否されたということです。
優しい謎の公務員よ、ドンマイ。
やがてルートは勝浦灯台へ向かいました。
一般車通行可能ですが、ほとんど車は通る事なく、ウォーキングや愛犬のお散歩の方々に出会うだけでした。
みなさん気持ちよいらしく、お互い笑顔で挨拶を交わしました。
少し気温が上がり、爽やかな風が僕らを癒してくれます。
画像はその勝浦灯台です。
さらに進むと『日本海軍駆逐艦沖風』の殉職者慰霊碑がありました。
藪のような蜘蛛の巣にまみれた道を登ると、そこに慰霊碑は建っていました。
手を合わせる僕ら。
幸せな時代に生まれたことを感謝しつつ、戦争の痛ましい思いを悔いる瞬間でもありました。
さらにルートは『官軍塚』へ向かいました。
戊辰の役末期の明治2年1月3日夜、熊本藩兵350人を乗せた船が川津沖の岩礁地帯で難破し、130数人の死者を出しました。地元川津では総出で救助にあたり遭難者を埋葬供養したのがこの官軍塚だということです。
勝浦市役所の前をわざわざ通らせるルートは看板が破損しておりルートミス。GPSを使って何とかコース復帰しました。
小さな港を経由して『部原(へばら)三又バス停』へ到着しました。
ここから1日たった1本のバスに乗って勝浦駅に向かいます。
バス停の時刻表には数字が1つしか書かれていませんでしたが、バス停には立派なベンチが2組用意され、屋根まで付いていました。
その3へ続きます。