(冒頭写真は、朝日新聞本日2022.02.19付“書評”ページより撮影したもの。)
本日は久々に、朝日新聞“書評”ページより。
TVOD(コメカ+パンス)著「政治家失言クロニクル」に対する、小説家・温又柔氏による書評「戦後日本史 軽妙に辿るガイド」の前半部分を、以下に要約引用しよう。
今や、「フェイスブックやツイッターが媒介した膨大な量のコミュニケーションは、陰謀論やフェイクニュースの繁殖と蔓延や、フェルターバブル・エコーチェンバー内での言説の極端な過激化をもたらすことになってしまった」。 「敵を指摘して、支持を取り付けるというやり方が定着」し、現職の政治家すら「『ネット民』的な感性のツイートを乱発する」のを恥じない事態が公然とまかり通る。
多くの人にとってネット空間に「常在」するのが日常化し、誰もが容易に「発信者」になれるので「今この瞬間にどれだけアテンションを集められるか、どれだけ大きいバズを起こせるか、ってところに関心が集中」するのも、ある程度は仕方のないことかもしれない。 逆に言えば不特定多数の人に「承認」されたいといった欲望を一切持たずに「目立とうとしない」ままでいるのがひどく難しい時代をいきざるを得ない私たちにとって、地に足をつけて「自分や自分が生まれた場所にまつわる歴史を踏まえてものを考え」るにはどんな方法が有効なのか?
(以下略すが、以上朝日新聞書評ページよりごく一部を引用したもの。)
原左都子の私事及び私見に入ろう。
私の場合、今現在のネットとのかかわりは当該gooブログのみである。
少し前までFacebookも利用していたが、友達付き合いは当初よりずっと少人数にとどめていた。
現在に至っては事実上友達付き合いは実施せず、単にgooブログ上で公開しているエッセイを、Facebook上にてコピーして公開する場としているのみである。
このgooブログに「原左都子エッセイ集」を開設したのは2007年9月のことだった。
それに2か月程遅れて、当時ネット上に存在していた「某ブログコミュニティ」にも我がエッセイ集を登録したところ。
これが物凄い人気で、あっという間にコミュニティ内より400名程の読者登録が押し寄せて来た。😃
ただ私の場合、当初より友達付き合い目的のブログ公開では無かったため、こちらからの読者登録は出来得る限り遠慮させてもらっていた。
それでもその人気は続行し、2011年秋頃までそのうち気の合う人々とのネット上の交流が続行した。 実に良き関係に恵まれ、私にとっては我がブログライフに於ける“栄光の時代”であったかもしれない。
ところが時代とは世間の要望に沿って移りゆくものだ。
そのブログコミュニティは「ブロガー同士の良質な交流」というよりも、「友達登録制度」を充実して“質より量のネット上の関係を煽る組織”と成り下がってしまった…
それを機に、私は当該コミュニティを脱退したのだが。
理由は不明だが、当該コミュニティ組織はその後まもなくネット世界より消え去ったようだ。
我が記憶によれば、当時のネット世界は現在とはまた異質の“大いなる乱れ”が存在していた。
例えば「性風俗」。 一般女性が平然と自身の裸体を公開して交際相手を募ったり。
あるいは、ブログ記載内容に対する誹謗中傷。
我が「原左都子エッセイ集」はこれの恰好のターゲットになってしまい、やむなく2011年11月にコメント欄を閉鎖して現在に至っている。
現在では過去に受けたコメント欄への誹謗中傷の大いなる反省から、gooブログのコメント欄を閉鎖し。
また読者登録に関しても、こちらからの登録をごくごく少数に限らせていただいているため。
事なきを得て私が欲する理想的なブログライフが叶っていると言えるかもしれない。
そうだなあ、私の場合は「ネット空間に“常在”したい」なる願望が元々無いのかもしれない。
いつ何時も実質社会にての課題が多い人間であるようだし。 (例えば、高齢者施設入居の義母や実母に介護補助をあてにされたり。 それ以前の問題として、亭主や娘にも日々全面的に依存されたり…)
その種の課題を抱えさせられている人間とは、それになんどきも時間を割かねばならないのだが。
それって幸運なことと思えてきたりするのが、不思議でもあるなあ。