原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「36年前に日航機事故が発生した8月12日のあの日、私は…」

2022年08月12日 | 時事論評
 (冒頭写真は、24歳頃の原左都子。 中央リードボーカルが私。)


 冒頭から、ネット情報を引用しよう。

 乗客乗員520人が犠牲になった1985年の日航ジャンボ機墜落事故から12日で36年となるのを前に、遺族らでつくる「8・12連絡会」は11日夕、群馬県上野村の墜落現場「御巣鷹(おすたか)の尾根」のふもとを流れる神流(かんな)川の河原に、LED電灯をともした灯籠(とうろう)を並べた。 昨年は新型コロナウイルスの感染拡大で、神流川で例年行っている灯籠流しを中止したが、今年は代替行事で犠牲者の冥福を祈った。

 (以上、今朝見たネット情報の一部を引用したもの。)


 原左都子は、36年前に日航ジャンボ機墜落事故が発生した日のことを、あくまでも私なりの理由でだが一生忘れることはない。


 あの日の東京は朝から大雨だった。

 その日、当時付き合っていた男性とその仲間たち数人と某国内大手楽器会社が運営する、三重県の大規模音楽施設へ泊りがけで行く約束をしていた。
 その施設内で、このメンバーたちとにわか仕立てのロックバンドを組んで、演奏を楽しもうとの目的だった。

 ところがその仲間たちが集合してみて分かったのだが、私の彼氏以外のメンバーがどうやらさほど乗り気でなさそうなのだ。
 車2台の旅だったが、私と彼氏、そしてもうひとり彼氏と一番親しい男性が一台の車に乗り込み、他のメンバーはもう一台に乗車した。
 そのままの状態で、現地に到着し。

 さて、早速スタジオにてロックバンドのにわか練習に入ったのだが。
 どうも、皆の会話が途切れる。
 そりゃ無理もないのだが、立場上グループに新入りの私としては如何に振舞ってよいのか困難だ。
 
 楽曲に関して説明すると、冒頭写真の我が勤務先のバンドにて練習したナンバーを皆が練習して来てくれていて、私がリードボーカルの形で合わせることとなった。 (参考だがその楽曲とは、デボラ・ハリーの「コールミー」、リンダ・ロンシュタットやリタ・クーリッジ等々女性ボーカルもの中心だったのだが。)
 歌を歌っている時はそれで済むが、演奏が終わるとこれまた皆がバラバラになってしまう。
 (ここで注釈だが、バンドメンバーとはプロに近づく程に自己中心と言っては失礼だが、我がままになるのかと思うふしもあるかなあ…)


 そんなこんなで、2,3時間一応バンド演奏をして過ごした後。


 夕食の時間となり、このちぐはぐバンドが食事処へ再集合した時のことだ。

 彼氏であるバンドリーダーが、皆に告げる。
 「大阪行きのJALが群馬県上空当たりで姿を消したらしい…」
 未だ事故の様相がまるで判明していない時間帯だ。 
 テレビの報道番組では、各局がそのニュースで躍起になっている。

 何だか不気味な時間が流れる中、バンドのコミュニケーションがますます取りづらい雰囲気が続き…
 あの時間帯から、これは世紀の航空便大事故であることが予想できてしまい…  あの夜は皆が早めに寝ただろうか、記憶がまったく無い…

 そして翌日になり、午前中にもう一度バンドメンバーで仕上げの演奏をして。

 帰路は、彼氏と私が彼氏の車で、その他のメンバー全員が別の車でそれぞれ東京へ帰る段取りとなった。

 その頃には、日航機事故の詳細がほんの少しずつ判明し始めていて。

 何とも中途半端な音楽の旅と相成った事実よりも、私の心理状態は彼氏との関係が短命に終わるであろうとの予測しか出てこない。
 帰り道の車の中で2人でいろいろ話し合ったのだが、どうも会話内容がマイナーに傾く。

 我が家に近づき彼氏の車を降りて、室内に入った。 そうしたところ、
 私の室内の電話に何本もの留守番電話が録音されていた。

 それを再生すると、すべてが郷里の母からだった。
 「どこにいるか今すぐ電話下さい。」 「大阪経由で郷里まで帰省予定だったのではないか?」 「とにかく心配しているので電話を寄越して。」

 内容はそればかりだった。
 実は、今回の彼氏との音楽旅行脚に関しては郷里の親どもへは一切伝えていなかった。 ただ、今夏は郷里に帰省はしない、と宣言していたのに…

 「友達と一泊旅行へ行ったけど、別に私は元気だよ。」 と母に返答すると、
 母曰く、「ニュース報道で行方不明者に“〇子さん”(私と同名)が連呼されていたのよ! てっきりあなたかと思ってどれだけ心配したか!」

 “下手な心配休むに似たり”、とは母へは答えなかったが。
 
 こちらとしては当時付き合っていた彼氏と破局か?!? との心理状態時にして。
 
 まさにあれだけ暑苦しく、重苦しい夏は無かった…

 と、不謹慎にも我が身を振り返らざるを得ない、
 1985.08.12の、日航ジャンボ機墜落事故だ……



 最後になりましたが、520名の犠牲者皆様のご冥福を、2022夏の今現在心よりお祈り申し上げます。