今朝、我が「原左都子エッセイ集」編集画面を覗くと、“昨日の閲覧数ベスト50”内に 冒頭の表題 2008.09.16公開「不妊症の友」がランクインしていた。
2008.09 と言えば、当該「原左都子エッセイ集」を公開して未だ1年程の時期だ。
高齢出産にて産んだ一人娘が、中学生の頃だっただろうか。
とにかく、当該バックナンバー及び頂いたコメントに対する原左都子の返答の一部を、以下に再掲載させていただこう。
私は長い独身時代に不妊症の女性何人かと縁があった。
多くの不妊症の女性にとって何よりも辛いのが子どもの話題であるようだ。子どものある女性との付き合いにおいては、どうしても子どもの話題が中心となる。それを避けるため、当時の私のような子どものいない独身者との付き合いを好む傾向にあるようで、あちらから私に接近して来るのだ。
私自身は結婚に関しても子どもに関してもどうあるべきといったこだわりはなく、両者共にどうしてもどちらかでなければならない(結婚はするべきだとか、子どもは産むべきだとか)というような固定観念は一切なかった。 決してポリシーがない人間という訳ではないのだが、自己の人格形成と自立を常に最優先に考えていた結果、それらの優先順位が相対的に二の次となっていた。
二者のうち、結婚に関しては事は比較的簡単だ。 結婚とは単なる法的手続きに過ぎないため、たとえ結婚しても解消しようと思えば相手の合意を得て離婚という法的手続きを取りさえすればいつでも独身に戻れる。一端結婚に踏み切ったところで後の融通はいくらでも効くと言える。
ところが子どもに関してはそうはいかない。 産んでしまった以上一生母親としての人生が待ち構えている。死ぬまで子どもの母親であることを解消することはできない。女性にとって子どもを設けることは、人生における最も重大な意思決定と言えるであろう。(男性にとっても子どもの父親の立場として同様であろうが、世間を見渡すと、どうも子どもに対する責任感は母親の方が強いように見受けられる。)
不妊症の方々の苦悩は推し量って余りある。 不妊症の女性にとっての大前提は子どもを設けることである。ところが、この人生において最大とも言える意思決定が自分の意のままにならないのだ。 子どもを設ける意思決定を下しているにもかかわらず、神のいたずらでそれが叶わない。これは何とも不条理な事態だ。
そういう心情を理解した上での不妊症女性とのかかわりであったのだが、正直言って独身の私にとっても“腫れ物に触る”ように神経を使う付き合いだった。
そもそも基本的な生き方がまったく異なる。 子どもがいないという点では確かに共通しているのだが、あちらは精神的に経済的にご亭主に依存しながら何年も暮らしている人達である。(もちろんそうでない方もいるが。) 独り身ですべての事を独力で執り行っている私とは、バックグラウンドもライフスタイルもまったく異なる。どうしても話の接点が探りにくい。
その上、子どもの話は厳禁である。 私の場合、決して将来的に子どもを設けないという意思決定を下していた訳ではない。子どもを持つ夢を思い描くこともあった。そういう話題には決して触れられない。心情を理解しつつも気苦労の多いぎこちないお付き合いであった。
私は晩婚だったとはいえ子供を授かるのは早かった。 私に子どもが授かったことが判明するや否や、不妊症の女性達は皆一斉に私から遠ざかって行った。「(私が)子どもを産もうと考えていたとは思っていなかった…」と言い残して…。 私の配慮心から子どもの話題に一切触れなかったため、子どもに興味がないものと捉えていたのであろう。どうやら裏切られたような感覚があったようだ。 その後、その女性達の誰からも一切連絡はない。
感動する話もある。 職場で短期間だが一緒だった女性がやはり不妊症だった。その方は十年の不妊期間を経た後、(ご本人の表現によると)神から一子を授かった。
その女性はそもそも根っからの子ども好きで、自身が不妊症であるにもかかわらず子どもの話は禁句どころか、分け隔てなく他人の子どもを積極的に可愛がる人だった。 そして不妊症も10年にさしかかろうとしていた頃、知人の可愛い赤ちゃんのためにベビードールを編んでプレゼントしようと、心ゆったりと編んでいた時のことだそうだ。 なぜか妊娠しそうな不思議な感覚に包まれたそうである。 その感覚はさまに現実となり、まもなく妊娠が判明したという話だ。 知人の赤ちゃんのためにベビードールを編む彼女の純粋な愛情、ゆったりとした精神が彼女に赤ちゃんをもたらしたのかもしれない。 現在は子ども思いの母の鏡のようなお母様でいらっしゃる。
先だっての朝日新聞報道によると、現在各種医療機関において「不妊カウンセラー」の認定を行い、不妊症女性の様々な精神的ストレスを解消するべくカウンセリングを実施しているそうである。
女性にとって人生最大の意思決定である「子どもを持つ」という選択肢の入り口で苦悩する女性達…。
う~ん、「子ども」に対してさほどの執着がなかった私が議論に加われる立場にもないのだが、「子ども」とはかけがえのない存在である反面、持ったら持ったで親としての責任は地球よりも重く、苦悩の連続の日々でもあるのだが…。
このエッセイに頂いたコメントに対する、原左都子よりの返答の一部を紹介しよう。
私の場合、子どもを授かるのはタイムリーで何の苦労もなかったのですが、バックナンバー「医師の過失責任」でも少し述べましたように、出産に関しましては不運でした。
幸い「死産」には至っておりませんが、仮死状態で産まれた子どもを育てるのは大変でした。今でこそいい子に育ってくれていますが、ここまで来るのに親子で二人三脚の日々でした。
でもMさんがおっしゃるように、子どもは親を選んで生まれてくるように私も思います。
たまたま医学的、教育学的バックグラウンドがあった私だから、この子をここまで導けたと自負しています。(個人情報保護の観点から我が子の事情に関しましてはブログ本文では一切触れておりませんので、おわかりになりにくい話だとは思いますが。)
(原左都子)2008-10-14 16:30:50 Mさん、バックナンバーまでお読み下さって感激です。
いえいえ、私はちっとも立派ではないです。
でも親が子を思うパワーは凄いですよね。 ただそれだけなのですが、とにかく「絶対にこの子に後ろ指はささせない!」覚悟だけは母として絶対的にありました。
本当にずっと付きっ切りでした。
見よう見真似で育つということが難しい子でしたので、すべてを教え込むのですが、例えば、食べ物を噛むという動作が出来ないのです。これには難儀しました。 他の子よりずっと遅れましたが出来るようになりました。(でも未だに噛むことは苦手のようですが…)
それから、字が書きにくい子でした。これに関しましては私は元教員と致しまして教育力を発揮しました。でも、小学校入学前の学校説明会時に「保護者の方は、入学までに子どもさんが自分の名前くらい書けるようにしておいて下さい。」と学校の教員から軽く言われた時には、私も頭がぶち切れる思いでした。 それをするのに3年かかる子の存在を教育者たる者が知って言っているのか!!と…。
今でも忘れられない思い出です。でも、入学までにちゃんと間に合わせました。
そんな我が娘もすっかり成長してくれておりまして、(2008年当時)私立中高一貫校で勉強に励む子どもに育っています。
(以上、長くなったが「原左都子エッセイ集」2008.09 バックナンバーより引用したもの。)
つい最近の現在の話題だが、我が一人娘の幼稚園時代の“お弁当箱”を片付ける機会がありその写真を撮影したのだが。
これらのお弁当箱に日々弁当を作って幼稚園へ持たせていた頃は、まさに上記コメント欄にて記載の通り、娘に未だ発達の“遅れ”が十分目立つ時期だった。
それでも特にキティちゃんのお弁当箱を気に入ってくれて、完食はできなくとも、真面目にきちんと毎日(おそらく娘の居場所が無く、娘なりにつらい思いを沢山した時期だっただろうが)通園してくれたものだ。
そんな娘も、この春には家から出て独り立ちしていった。
さすがに私の教育力の賜物か(??)。
特に娘に対する指導上主眼とした “健康に留意しつつ日々きちんと生きる” との人間にとって一番本質的で最重要項目において、娘は誠実に守ってくれているのに我ながら感心する。
おそらくこのまま我が娘は、今後もIT技術者として独り身で日々真面目に頑張り通してくれることであろう。
表題の「不妊症」からは大幅にテーマがずれてしまったことを、お詫びします。