原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

4年ぶりに理科正答率低下 全国学力調査「探求学習」に課題、と新聞報道は言うが…

2022年08月02日 | 教育・学校
 冒頭から、表題に関する朝日新聞2022.07.29付記事を、以下に引用しよう。

 
 文科省は7月28日、小学6年生と中学3年生を対象にした今年度の全国学力調査の結果を発表した。 4年ぶりに行われた理科で、中3の平均正答率が約17%悪化。学習指導要領の改訂で重視された「探求学習」に関する問題の一部で正答率が低く、指導要領の求める内容に十分対応できていない状況がうかがえた。
 もっとも平均正答率が低かったのは、中3理科で49,7%。問題の難易度を調整していないため単純比較できないが、前回調査から10,4ポイント下がった。 新指導要領でうたわれた「科学的に探究する力の育成」を踏まえた出題では、ばねにかかる力と縮み方との関係を調べる実験をもとに、足りない測定値をどんな方法で補えばよいか考察させたところ、正答率が43,8%にとどまった。
 コロナ禍で、観察や実験の授業が減っていることも明らかになった。
 文科省の担当者は、今回の調査は探究学習を踏まえた出題とし、「教科書にはない設定で生徒が対応しきれなかった面がある。 先生の指導も生徒に主体的に探究させるところまで踏み込めているかといえば道半ばだ」と分析した。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 我がエッセイ集2014.02.03付 「実験好きと理系頭脳とは相関し得るか?!」と題するバックナンバー内で、私は以下の記述をしている。
 引用させていただこう。

 私は中学3年生時点で、自分は将来理系に進む!との一応の判断を下していた。 ただしそれは決して「理科好き」だったからではなく、「数学好き」だったからに他ならない。 (中略)
 私は小学生から高校2年生の途中位まで、算数、数学が好きな子どもだった。そのため大学の進路希望では理系を選択したのであって、当時特段理科が好きだった訳ではない。
 私が算数・数学が好きな本質的理由は、数学とは哲学と表裏一体である点である。(このような数学の学問的バックグラウンドを把握したのは、ずっと後のことであるのだが。 )紀元前の古代から数学は哲学と共に研究され論じ継がれてきているのだが、数学の概念的理解を要する部分が当時の私には大いなるインパクトがあったのだ。 (以下略)
 単に数学好きで決して理科好きではなかった私にとって、実は「理科の実験」ほど嫌いなものはなかったとも言える。 小学生の頃からその思いは強かった。 
 同様に私は家庭科の調理実習や図工・美術の作品制作もずっと苦手で、出来るならば避けて通りたい思いだった。
 それでも何故、私が若かりし時代に「理系」を志向したのかというと、それは頭脳面で理系志向だったからと結論付けられる。 (敢えて悪く表現するならば「机上の空論好き」とでも言うべきか…)
 その後私が更なる学問に励み36歳時点で「経営法学修士」を取得するに至った背景に関しても、頭脳面で「理系志向」だったからに他ならないとの結論を導けそうだ。
 冒頭にても記述したが、今現在の科学・学問とは「理系・文系」が大いに融合していることに間違いない。 
 その一例が元々存在する「経営学」であり「法学」でもあるのではないかと私は考察する。(法の解釈論など、まさに数理思考に基づくのではないかと分析して楽しんだのだが…。)
 すべての学問の基本にあるのが「哲学」及び「数学」であることに間違いないと、私は今尚信じている。
 現在「リケジョ」なるある意味“差別用語”で奉られている女子達に私は提言したい。
 学校の理科実験になど満足して「リケジョ」を目指してもよいのだろうが、もっと理系を目指すための柔軟な“基礎頭脳”を磨いては如何かと。
 それは大学入学後でも遅くはない。 必ずや大学とは「哲学」を筆頭に、貴方たちに基礎教養学問講義を用意しているはずだから、それを惜しみなく受講して、自らの「理系頭脳」を今一度磨こうではないか!!

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)



 そんな私は医学部の“実験”を必要とする分野へ進学することとなり、否が応でも日々各種実験を課される事態となった。
 今思い返しても、特に大学入学直後期は未だに「実験」に抵抗感があった。ただその分野で国家資格を得るためには、日々の実験が欠かせない。
 ところが、私は大学にて素晴らしい教授(最近我がエッセイ集内でよく登場する観音寺・マチ子さんのご亭主だが)と巡り合うことが叶い、その類まれな天才性のある指導力により実験に没頭する学生と相成ったのだ!
 それはそれは、卒論研究の一環としての実験に熱心に励んだものだ。 その甲斐があって私の卒論は、卒業後当該教授により医学雑誌である「Biomedical Journal」(現在は残念ながら廃刊の運命を辿っているようだが)にご投稿頂き、日の目を見ることと相成った!

 そんな私のその後の医学者としての就業後の活躍ぶりは、語らずとてお判りいただけることであろう。??



 そのような道程を歩んだ私が、結論付けるに。

 まさに小中生レベルの実験能力を取り上げて、「探求学習」どうのこうのを議論すること自体がナンセンスであると豪語させていただきたい!
 
 子どもたちが小中生時代にやるべきこととは、はやり“基礎学力の育成”ではあるまいか?

 それを身に付けた上で、各自が自分の将来の進路を決定するに至るとの話であろう。

 小中学校では、とにかく基礎学力を子どもたちに重点的に指導することこそが果たすべき使命と、私は結論付けたいのだが…