原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

都心の木々も既に晩秋を迎え…

2020年11月25日 | 雑記
 (冒頭写真は、本日とある場所へ向かう途中で撮影した晩秋の樹木。)



 本日私は、とある場所を訪れた。



 それに関しては、明日以降語るとして。


 私が住む都内にも子ども達のためにしつらえられた公園等々、市民の寛ぎの場所が数多く存在する。


 そんな場所にて、本日撮影してきた映像を公開させて頂こう。


        




        




        




        




        




       

「移ろいゆく抽象の世界」 ー vol.2 ー

2020年11月24日 | 芸術
 (冒頭写真は、美術家O氏制作 「線香立て」。)



 昨日夜公開した我がエッセイ集にて、以下の記述をした。

 「アンリ・マティス」シリーズにて取り上げた“裸婦像のヘア”に頂戴したコメント回答者であられる某美術家氏より、メールが到着していた!
 何年ぶりのことだろう。
 大変失礼ながら、“ご生存”すら危うんでいた美術家氏よりの再びのコメントに、私は大感激させられた。
 明日以降ご本人に連絡を取り、もしも我がエッセイ集にての公開を受諾していただいた暁には。
 再び、某美術家氏による「裸婦像のヘア」に関する貴重なコメントを紹介しよう!
 何と申せば良いのか。
 ブログ付き合いの“旧友”から連絡を頂戴するのは、まさにブロガー冥利に尽きる!、ということでは無かろうか。😭

 (以上、昨夜公開した本エッセイより最後部分の一部を引用したもの。)



 実はその後、未だ当該美術家氏(O氏とするが)へメール返答をしていない。

 と言うよりも、“別案”を思いついたのだ!

 「原左都子エッセイ集」2008.04.29付バックナンバーにて、「移ろいゆく抽象の世界」と題して。
 O氏の美術家としての制作ポリシーに対し、原左都子なりの“感覚”(あくまでも“感覚”範疇だが)を綴り公開している。
 それを12年以上経過した今、私自身が振り返りたく思い、以下に再掲載させていただこう。


 先だって、某美術家の個展に足を運ばせていただいた。
 現在、抽象画を中心に描いている美術家でいらっしゃるのだが、今回の個展では紬織の独特の風合いや色合いを活かして画布に用いる等、和と洋の融合を試みられた作品や、また具象と抽象が交錯したようなCGによる作品等を拝見した。
 この美術家氏は、ブログを通してネットでもCG作品を公開していらっしゃる。氏はこのネットでの作品公開においてユニークな試みをされている。
 そのCG作品創作のひとつの特徴は、氏がめざす完成形に至るまでの過程形とでも表現させていただいてよいのか、ひとつのテーマにつき、まさに“移ろいゆく抽象の世界”の幾枚もの作品を発表されているという点である。しかも、これがいよいよ完成形かと思いきや、さらに移ろいゆきどんどん別世界へといざなう展開もあるのだ。
 さらに氏のユニークな取り組みのもう一点は、ネット上の対話による創作活動である。ネットで公開した作品に対し、ネットでの観賞者より様々な感想が入る。その鑑賞者の感想が氏にとってさらなる創作のイメージとなり、抽象の世界はどんどん移ろいゆくのである。
 私は美術に関してはズブの素人ながら、図々しくも何度か氏の作品に関する感想コメントを入れさせていただいた。そうしたところこんなド素人の感想をも、次なる展開のイメージとして作品に取り入れて下さったことがあるのだ。
 私は素人考えながら、どちらかというと具象画よりも抽象画を好む。まずは作品を購入する場合に、抽象画の方が場を選ばないというのか素人にも部屋に合わせやすいように思えるからだ。 それに抽象画というのは観賞側の感覚次第で如何なる解釈も可能であり、押し付けがましくない点が好みである。もちろん具象画とて様々な解釈が可能なのではあろうが、抽象画の方がよりフリーな想像の世界へ旅立てるように感じる。

 話は変わるが、この個展の美術家氏より美術の世界における“具象と抽象”のお話を伺ったのだが、その時どういう訳か私の脳裏にはプラトンが「洞窟の比喩」の中で説いた“可視的世界”と“可知的世界”が浮かんだ。
 プラトンの「イデア論」に関しては当ブログの学問・研究カテゴリーの記事で既に取り上げているので参照いただきたいのだが、以下に「洞窟の比喩」について私なりの解釈で簡単に説明してみる。
 洞窟の中に光が差し込む入り口とは反対側の奥の暗い壁に向かって人間が存在している。人間の背後には火が燃えていて奥の壁にはその火の輝きで操り人形の影絵が投影されている。人間はこの影絵を見て暮らしている。ここは“可視的世界”である。洞窟の入り口の外には明るい“可知的世界”が広がっている。しかし、人間は背後で燃えている火が眩しくて後ろを向きたがらない。 このように、通常の人間とは常にeikasiaの状態に陥っている存在である。(eikasiaとは、実物に対するその影、という意味である。)
 私達は何かの影を見たら、その影の元にあるものがこの影を投げていると考える。だが、確信はない。それで、私達は振り向いてその影の正体を確認する。プラトンは、自然界のすべての現象は永遠普遍のひな型(イデア)のただの影だと考えた。残念なことにほとんどの人々はその影の人生に満足しきっている。一部のソフィスティケイトされた人にしかこのイデアは見えない。プラトンはそう語っている。 

 美術の世界における“具象と抽象”。人の好みは様々であろう。私には残念ながら美術の心得もセンスもなく、ただただ観賞させていただいて楽しむしか能がない人間なのであるが。その創造の世界は人を魅了し、別世界へといざなってくれる。すばらしい作品に出会えると、まさに“イデア”が見えたような気さえする。
 美術、音楽、etc…    芸術とは実にすばらしい人間の業である。 

 (以上、本エッセイ集2008.04.公開バックナンバーより引用したもの。)



 当時、O氏の個展を訪れる都度、私は氏よりご自身の作品のプレゼントを頂戴している。

 冒頭写真は、その一つである「線香立て」。

                                 

          
 こちらは、CG作品 「無題」。 この作品に関して、“私が題を付けましょうか!”などと言いつつふざけたのを、“そうしよう!”と同意して下さった気さくなO氏でいらっしゃる。 (結果として、我が案は斬新すぎて却下となったが…)



          
 こちらは、O氏直営ギャラリーの展示物のひとつだった「湯飲み」。
 
 O氏はとにかく“制作意欲旺盛”な方で、直営ギャラリーには所狭しともの凄い数の制作美術品が展示されていた。

 O氏のご厚意に甘え、大変図々しくもこれらの美術品を私は“ただ”で頂いて帰った。😵 

 いえいえ現在尚、我が家の“宝物”としてリビングルームに展示してあります!
 

「アンリ・マティス」シリーズで取り上げた美術家氏より本日連絡を頂戴しました!!

2020年11月23日 | 芸術
 (冒頭写真は、我がエッセイ集にて公開した「アンリ・マティス」シリーズ最新版にて冒頭に取り上げたアンリ・マティス氏の絵画。)


 このシリーズ内で、私は次の文章を記載した。
 以下に復習させていただこう。


 ところで今回の美術展での絵画鑑賞において、ド素人の私が気付いたことがある。
 この年の瀬に相応しくない話題で恐縮なのだが、それは展示されている作品の中の裸婦像のすべてに“ヘアがない”ことだ。
 例えば、下段左から2番目キスリングによる「長椅子の裸婦」など、裸体が輝けるように美しく描かれた作品であるが、ご覧のように“ヘア”がない。
 この美術展には裸婦を描いた作品が数多く展示されている。例えば、シャガールの「赤い裸婦」「白い裸婦」、藤田嗣治の「2人の裸婦」「横たわる裸婦」「裸婦像長い髪のユキ」、ナルシスヴィルジル「キューピッドと戯れるヴィーナス」、ルノワール「横たわる裸婦」、カバネル「ヴィーナスの誕生」……
 これらのすべてにおいてヘアがない!!
 私がこの“裸婦にヘアがない!”事態になぜそれ程興味を抱いたのかについて、ここで正直に話そう。
 先だって訪れたインドのお土産として「カーマ・スートラ」の日本語版絵本を購入したのだが、これによると「毛を取り除いて清潔にすると女性は愛するのはますます喜んでいる」(日本語版原文のまま引用)とある。それが印象的だったためだ。
 これらの裸婦はどういう状況で描かれたのであろう。単なるモデルなのか、それとも…。 私個人的には“愛”を一身に浴びながら描かれた裸婦を見たい気もするのだ。

 そこで私は某男性画家の方に、今回のコレクション展における裸婦像になぜ“ヘア”がないのか、果敢にも尋ねてみた。
 私の無謀な質問に対し、ありがたくも頂いた回答は以下の通りである。
 クールベ(フランス写実主義の画家、1819~1877)以降はあるべきところに描くようになったが、ヘアとは目立つものだ。色の白い肌に一箇所だけ黒々と描いたのではそこだけ強調し過ぎるようにも思える。 描く側からすれば、ヘアがない方が卑猥感が消えるかも知れないし素敵に描けるかもしれない。せっかく綺麗に仕上げていったヌードもビーナスの丘を黒々と塗りつぶすと味も素っ気もなくなる。かと言って、描かないと…。 北斎の絵のようにヘアを1本ずつ丁寧に書き上げると大変な労力がいるし…、等々で“ヘア”とは難しい存在だ。 存在を保持するために黒々しているのかもしれないな…。

 芸術とは素人には計り知れない程、奥深いことを再認識である。

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより引用したもの。 参考だが、当該バックナンバーは公開して後12年が経過している今現在尚ネット上で少なからず閲覧されているようだ。)

 補足説明をすると、上記我が質問に応えて下さった男性画家氏は、当該gooにご自身の美術作品を日々数多く掲載されていた。 当時、私は3、4度都内で開催された氏の個展へ出向かせて頂き、美術に関していろいろと学ばせて頂いたりもした。 現在に至ってはご高齢化と共に、残念ながら氏のgooブログページを拝見することがない… 

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用させていただいたもの。)



 本日は、娘の27回目の誕生日だった。

 そのケーキを買ったり、料理嫌いな私なりの夕食を準備して帰宅して。
 
 下手なりに先程娘の誕生祝いを終えて、パソコンを付けたところ。


 冒頭の「アンリ・マティス」シリーズにて取り上げた“裸婦像のヘア”に頂戴したコメント回答者であられる某美術家氏よりメールが到着していた!

 何年ぶりのことだろう。
 大変失礼ながら、“ご生存”すら危うんでいた美術家氏よりの再びのコメントに、私は大感激させられた。


 明日以降ご本人に連絡を取り、もしも我がエッセイ集にての公開を受諾していただいた暁には。

 再び、某美術家氏による「裸婦像のヘア」に関する貴重なコメントを紹介しよう!


 何と申せば良いのか。

 ブログ付き合いの“旧友”から連絡を頂戴するのは、まさにブロガー冥利に尽きるのでは無かろうか。😭 


私も “謎トガリ” 人種かもしれない…?? ー vol.2 ー

2020年11月22日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、2018.11.25付バックナンバーにて掲載した表題エッセイの写真を再掲載したもの。)


 私は高齢域に達してから、午後外出しない日には“昼寝”をする日課がある。
 だいたい10分から長い時で30分程度の仮眠なのだが。
 これが何らかの理由で眠れない日もある。
 その場合はスマホを眺めたりしている内に寝入る時もあるが。

 本日つい先程も眠れず、スマホで我が「原左都子エッセイ集」をテキトーに開いたところ、表題のバックナンバーに出くわした。

 題名からして、面白い!
 読んでいる内に引き込まれたしまった。 (まったくもって“ナルシスト気質”である事実を認めるが…)😝 



 それでは早速、当該2018.11 付バックナンバーを以下に再掲載させていただこう。

 いやはや、まるで我が高校生時代を“二重写し”したがごとくの漫画の内容に一瞬にして引き込まれた。
 いえいえ私の場合、漫画の少年よりもずっとその心理状態が“悪質”だったかもしれない。
 そもそも大の集団嫌い。 特に思春期真只中の高校生時代は、その3年間をほぼ“死んで”暮らしたと表現してもよい程の学校嫌いだった。

 そんな私にとっても漫画少年同様に、「文化祭」ほど無意味で空虚なものはなかった。
 ただラッキーだったのはオーケストラ部に所属していたため、高1時は文化祭ではその舞台演奏活動に集中すれば済み、比較的自分らしい文化祭を過ごせたと言えよう。
 ところが何分過疎県内バリバリの受験校のため、部活動は高1の文化祭にて終了する。(音大・美大・体育大等を目指す生徒はもちろんその後もその活動を続行するのだが。)
 
 高2以降は必然的にクラスごとの催し物に全員が強制参加せねばならず、これ程の苦痛はなかったものだ。
 例えば、クラスで「劇」をやると“言い出しっぺグループ”が勝手に決める。 何の興味も無い私としてはまさにこの漫画のごとく、「えっ、私関係ないけど。」とでも反論したかったものだ。
 ただ私が高校生だった当時は、そういう時代背景ではなかった。 嫌でも何でも“言い出しっぺグループ”に迎合せずして済まされなかった実に不自由な時代だった。
 もしも今の時代に私が高校生であるならば。 必ずや、漫画少年のごとく「えっ、要らないけど。」と発言しただろう。

 その文化祭のTシャツに関してだが。
 これどうしたことか、現在(我が娘が中高生の頃も)の中高の文化祭に於いては全国津々浦々でクラス全員揃いの「Tシャツ」作りが“スタンダード化”している様子だ。
 娘が私立中高に通った6年間を通しても、毎年「文化祭」と「体育祭」毎にクラス全員お揃いのTシャツ負担を保護者に強制された。
 元々集団嫌いな私故、内心反発心が燃え滾ったものだが!
 それでもまさか保護者の立場で、娘が通う私立学校相手にその教育方針の是非を訴える訳にも行かず…  結局は6年間を通して合計12枚のTシャツに無意味に投資するはめとなった。
 ただ娘本人は決して私程集団嫌いでもなく、生来的に素直な性質に恵まれている事が幸いしているのだが。
 それでも生育環境面でサリバン(私の事だが)の影響を大きく受けている娘にとっても、どちらかと言えばあのTシャツは好きでは無かったようだ。

 そんな娘の中高時代のTシャツを活用したのは、この私である。 これ、寝間着(パジャマ)の上にもってこいなのだ! 娘が不要になったTシャツをもらい受けては、寝間着として有効活用して既に十数年の年月が流れた。
 ただ母娘共々、どうしても“着たくない”Tシャツが今尚一枚残されているのだ。
 それはクラス全員の名前(ニックネーム)を記したTシャツなのだが、娘自身はそれを見るのも嫌だと言う…  きっとサリバンが知らない学校クラス現場で“いじめ”を受けていた事だろう。  今となっては一体何処に収納しているのすら分からないのだが、見つけたら娘のためにも即刻廃棄処分としよう。
 それにしても現在に於いては、そんなクラスTシャツなど「要らない」と一生徒の立場で言えるまでに学校のクラス内環境が“進化”している事実自体に、私は冒頭の漫画を一見して安堵させてもらえた。

 話題を大きく変えさせて頂こう。
  
 このgooブログにて、私・原左都子側の“お気に入り”でこちらから読者登録させて頂いているブログが(2018年当時)10本程存在する。 
 (参考だが、2020年現在に至っては原左都子側からの読者登録はたったの4名に絞り込んでいる。 「原左都子エッセイ集」をお読み下さった相手側からの読者数は左欄にgooが明記している通りだ。)
 上記二者間に数値ギャップのある我がブログだが、原左都子としては、こちらから「読者登録」をさせて頂いている登録数こそをブログ画面に明記して欲しいものだ。 その旨を、gooチャットにて嘆願した経験がある。 それに対するgooの回答とは、「あくまでも貴ブログ宛の読者登録数を今後もブログ画面に表示する」との事だった。

 これ、納得出来ますか?? gooにブログを開設されている皆さん!
 我がブログのみの特質かもしれないが、読者登録をして下さった後ただの一度とて我が「原左都子エッセイ集」を訪れない方々が数多い現実だ。
 そんな方々に、「読者登録」をお返しする義務など一切無いのは歴然でしょう??
 私側とすれば必ずや、たとえネット上とは言えども今後共繋がり続けられると確信を得た方々と交信を続けたいものだ。 
 そんな我が「ブログ思想」に基づき現在はブログ活動を続行しているのだが。

 つい最近(2018.11時)、私が読者登録をさせて頂いている某男性氏が、ご闘病を乗り越え再びブログを再開された。 その事実こそ実に素晴らしく、今後共当該男性とネットで繋がることが叶った事実に私は感激した。
 その某氏のブログコメント欄に、某氏一ファンよりのコメント記載があった。  そのコメント内容を読ませて頂き、私は大いなる違和感を抱かざるを得なかったのだ。
 当該コメントを我が記憶に頼り再現するなら。 「貴方がもしも死んだ後に貴方のブログを誰が引き継ぐのか? その副管理人(要するに“後見人”という意味だろうか??)を早めに選出しておいて欲しい。」
 この文章を読んで、当該コメンテイター氏の思想の程を私なりに理解した。 
 要するに当該コメンテイター氏の思考背景に存在するのは、「某氏の読者は皆仲間」との発想ではなかろうか? 
 (別の観点から、他人のブログを誰かが“引き継ぐ”との感覚も私には受け入れ難い。 自分が死んだらブログもその生命を閉じると考えるのが自然ではなかろうか? もちろん、自分の死後もどなたかがお読み下さるのはご自由だが。)

 これぞ、原左都子が一番に勘弁して欲しい「集団意識」である。
 当該コメンテイター氏のご闘病中男性に対する思いの程は痛い程理解可能だ。
 ただ何故ここで「集団意識」感覚が登場せねばならないのかの程が、私には理解不能なのだ。
 その思いは何も某氏の読者皆を巻き込まずとて、コメンテイター氏ご自身があくまでも"個人的に”、闘病中の某ブロガー氏と1対1の関係で交渉すれば済む話と私は心得るのだが……
 もちろん私とて、自分自身が厳選し「読者登録」させて頂いた方々とは今後も是非共お付き合い申し上げたい思いは山々だが。

 すっかり高齢域に達しようとしている私にも、当然ながら好みはある。
 それだからこそ、他者からの不必要かつ無遠慮な「集団主義」に直面した場合、冒頭写真の漫画に描かれている高校男子のごとく、「えっ、いらないけど。」と反発するパワーも未だ兼ね備えてもいるかもしれない!

 (以上、2018.11本エッセイ集バックナンバーを再掲載したもの。)



 今(2020.11)現在の心境を語ろう。

 “謎トガリ”人種ねえ。 面白い造語だが。

 トガっている本人に言わせて貰うならば、十分にその理由があるに決まっているし、逆に我が心理に基づき反論させてもらうならば、
 「アンタらも、もっと自分の頭で考えて行動したらどうなの!?? 学校のセンコーに言われるままに文化祭だの体育祭だのを受身で楽しんでいる場合じゃないだろ! 点取り虫ほどセンコーに迎合するよねえ。 それで大学推薦でも貰えたらラッキーって事かい?? アホらしくてやってられねーぜ!!」

 とは誰にも一言も公開せずして、私は名門高校卒業間際にその制服を“スケバンスタイル”に大改造して、我が心の憂さ晴らしをしたとのいきさつだが…

 そんな我が時代の“目立つ反発行動”に比して。

 冒頭写真の男子生徒による“静かな反発”の方が、よほどインパクトがあるし訴える力があるのではないかと今更ながら気付かされる。 (この漫画の著者氏によれば、“だるさ”を演じていたらしいが。)


 時代を超越して、“謎トガリ”行動に出る若者が存在する世の方が健常であろうと、原左都子は結論付ける。😠 


自宅バルコニーから “バードウォッチング”

2020年11月21日 | 雑記
 (冒頭写真は、一昨日の朝自宅バルコニーから撮影した電線に停まった“鳥”。)



 鳥って、目が合うと懐く習性がある(?)ことを私は最近知った。

 都立公園にてランニング練習を終え、木陰のベンチに座っていた時の事だ。
 鳩が2羽ベンチの私の側へ近づいてくる。 
 おそらくこのベンチに座った人から餌をもらった経験でもあるのだろう。
 そのように想像しつつ、(野生の鳥に餌をやるのは控えるべきだろう。)等と“理性的に”考えつつ鳩と目を合わすと、私の側から離れない。 特段餌をせっつくでもなく、お互いに目が合ったまま穏やかな時間が流れる。 
 (何をしてあげたら喜ぶのかな?)と、目を合わせたまま微笑んだり首を振ってみたりすると、同じようなしぐさをしてくれる。
 それを10分程続けただろうか? 鳩さん2羽はずっと私に付き合ってくれるのだが。 餌もあげずに付き合って貰うのも気が引けるし😖 、私の方から先にその場を去った。



 冒頭の写真に話題を変えよう。

 これは一昨日の朝、私が洗濯物をバルコニーに干している時に電線に停まった、(おそらく)鳩の仲間であろう。
 私を見ながら停まってくれたようだ。 
 最初は前向きに停まり、洗濯物を干している私の方をずっと見ている。
 私が目を離した際に、鳩が方向を変えてあちらを向いた時に撮影したものだが、その後もまたこちらに向きを変えて私の方を見てくれる。
 20分間程、洗濯物干しをしただろうか。 ずっと私の様子を見てくれていたのだが。 
 部屋へ戻って再びバルコニーへ出てみると、鳩は既に飛び立っていた。



 次なる写真は我がエッセイ集2011.12.18付バックナンバー「名も知らぬ鳥たちの群衆が羽ばたく奇跡」にて公開した話題だが。
 以下に、再掲載させていただこう。


         


         

 いつ頃からだっただろうか?
 都心に位置する我が住居地の自治体が毎日16時半から地域全体に放送している 「遊んでいる皆さんはお家に帰りましょう」 の防災アナウンスと同時刻頃に鳥の群集が空を舞い始める姿を、私は自宅の南側ベランダの窓越しに発見した。
 一体どれ程の鳥たちの群集なのだろう?
 私が推測するに、数百羽、いやもしかしたら千羽を超える鳥の群団かもしれない… (写真を参照下さい。)
 ちょうど我が家から展望できるすぐそこの上空で、毎日午後4時半頃から約10分ほどの間、鳥軍団の “航空ショー” と相成る。
 こんな大都会のど真ん中で一体全体何処に巣を作り、毎夕群集で羽ばたいているのか大いなる興味を持って私はその鳥群集の行動習性を観察し続けてきた。
 そうしたところ、鳥群集の「巣」の在処が特定できたのである!
 まさかとは思っていたのだが、その「巣」とは我が家に間近い“竹薮”のようだ。  
 何故に我が家の直ぐ近くに結構大規模な“竹薮”が存在するのかについて説明すると、その地域は 「東京都市部計画道路 幹線街路」 の候補地となっているが故である。
 いつ着手するかもしれぬ(いずれ凍結と相成る可能性も色濃い)政府(都庁?)のいい加減な都市開発事業に巻き込まれたばかりに、開発されずに放置を余儀なくされている雑地に力強く成長した竹が、今や都心のオアシスの“林”のごとく存在するのである。
 そこに私の推測通り、数百、いや千羽を越す群集の鳥たちが「巣」を造営し大集団で生を営んでいるとして、その生態の一部を我が家から日々観察できるとするならば、こんなミラクル世界はないのではなかろうか?? 

 (以上、2011.12バックナンバーを再掲載したもの。)



 更なる写真は比較的新しく、2020.01.23日に撮影し我がエッセイ集にて公開した鳥だが。
 以下に、そのバックナンバーを再掲載しよう。
         

 (写真は、つい先だって我が家のバルコニーを訪ねてくれた“ひよどり”??)

 何とも可愛いでしょ!!
 ちょうど私がバルコニーで洗濯物を干し終わり室内へ入った時に、物干し台に停まりに来てくれました!
 すぐさまデジカメを用意して撮影した一枚目の写真です。
 こちらを向いてくれたので急いで2枚目を撮ろうとすると、ガラス越しに室内の我が気配に気づいた様子で、飛び去ってしまいました… 
 その間わずか10秒ほど。   貴重な一枚です。

 その後、ネット情報でこの鳥が何と言う名なのか私なりに調べてみました。
 その姿が一番近いと判断したのが「ひよどり」でした。 如何でしょう??

 参考のため、ネット情報より“ひよどり”に関して説明した文章を、以下に引用させて頂きます。
 
 ボサボサ頭に茶色いほっぺ
 「ヒーヨヒーヨ」と名を名乗る

 全長27.5cm。 全体が灰色に見える色彩の鳥です。 花の蜜や果実が大好物です。 これは熱帯が主生息地であった祖先ヒヨドリの名残り。 今では虫や草の葉、芽も食べますが、花が咲くと蜜を吸いにやってきます。 東京では1970年頃までは10月に渡来し、4月に渡り去る冬鳥でした。 それが、留鳥として一年中棲むようになりました。 より南にすんでいた留鳥が北上してきたものと考えられています。 また、今も秋には北海道から多数のヒヨドリが本州、四国、九州へ渡ってきます。 ヒヨドリは日本中にすんでいますが、小笠原や沖縄など南の離島では留鳥ですので、独自に色彩が変化し、茶色味の強くなった亜種がいくつも知られています。 
 その昔、一ノ谷の戦いで、源義経が平家の軍勢を追い落とした深い山あいを「ひよどり越え」というのも、そこが春と秋ヒヨドリの渡りの場所になっていたことからです。
 ヒヨドリにまつわるお話はインドから。  むかしむかし一羽のヒヨドリがワタ(綿)の木を見つけました。 まだ実が若かったので、熟したら食べようと待っていました。やがてその実はサヤとなり、まもなくサヤは破れて、中からワタがふわふわと飛び出しました。 熟した実を食べようと思っていたヒヨドリはアテがはずれて、ワタの木に文句をいいました。 しかしワタの木は、お前にゃ悪いが、おれはちゃんと人間の役に立っているのだからといいました。以来ヒヨドリは、二度とワタの木に近寄らなくなりました。
   / ひよどりの こぼし去りぬる 実の赤き 蕪村 /
 (以上、ネット情報より引用したもの。)

 参考ですが、右寄り後方に映っているのは新宿新都心超高層ビル群です。

 

 最後に我が感想だが。

 新宿新都心超高層ビル群を眺められる都心にして。
 季節毎に珍しい鳥たちの訪問を受けたり、群衆が都心の空を飛ぶ姿を観賞出来るとは何とも贅沢な事であろう。
 
 最近はこの“コロナ禍”にもかかわらず、羽田着陸航空便の飛行通路と成り下がったこの地故に。😱 😭  
 もしかしたら航空便が飛んでいる時間帯は、鳥たちが活動を控えているのかもしれないが…。

 そうではない時間帯にはどうか今まで通り鳥たちにこの地の上空を飛んでもらって、いつでも我が家のバルコニー近辺を訪れて欲しいものだ。😍