原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「一方的に“ノーベル賞”やるから受け取りに来い!」と言われてもねえ…

2020年11月20日 | その他オピニオン
 今夜も、我がエッセイ集バックナンバーを再掲載させていただこう。


 今夜紹介するのは、2016.11.17付で公開した冒頭表題のエッセイだ。

 早速、以下に紹介しよう。

 
 もしも私がボブ・ディランさんだったとしても、授賞式出席を拒否したいなあ。
 だいたいねえ。 誰が「ノーベル賞」が欲しいと言った? 少なくともディランさんは言っていないと私は思うけど。

 あんなもの欲しいのは、過去に多少の業績を上げた事を鼻にかけ、その業績にいつまでも依存し名誉欲にどっぷり駆られている奴らばかりじゃないの??
 ノーベル財団がどれだけお偉いのか私の知った事じゃないが、ノーベル賞が欲しい奴らが世にうようよしている事を利用して、上から目線で「ノーベル賞をやったんだから、それを喜ぶのはもちろんの事、授賞式に来るのは当然」と言わんばかりのその横柄な態度一体どうしたの?! 
 まあ、受賞者に講演をやらせるのは賞の価値を判断する手段として有効かもしれないけど…。

 そもそもノーベル賞など、国家間の力関係、あるいはそれを受賞させる事で利益を得る背後組織の圧力で決まる事は予想が付くし、それが欲しい奴らがノーベル財団にコネをつけて順番待ちをしているとの事も耳にした事があるよ。

 今回のディランさんの場合、まったくそうではなかったからこそご本人が一番困惑しておられるのだろうし、ましてやヘラヘラと授賞式になど行く訳もなかろうに…
 そのディランさんに、周囲が圧力をかけてどうする?? 

 ずっと前に「ノーベル化学賞」を受賞した日本の化学者 田中耕一さんも、私が見聞した限りでは特にノーベル賞が欲しくも無かったような感じだったよ。
 彼が成し遂げた研究自体は、既に世界規模で多大な経済効果を上げている素晴らしい研究だった事は確かだ。 それにもかかわらず田中氏が受賞直後に「島津製作所の一下っ端科学研究員としていつまでも科学研究に携わりたい…」とボソッと言ったのが、私は印象的だなあ。

 (ここで、田中耕一氏に関するウィキペディア情報より、氏に関する情報の一部を紹介しておこう。
 田中 耕一(たなか こういち、1959年(昭和34年)8月3日 - )は、日本の化学者、エンジニア。 東北大学名誉博士。ソフトレーザーによる質量分析技術の開発で文化功労者、文化勲章、ノーベル化学賞を受賞。受賞以降も、血液一滴で病気の早期発見ができる技術の実用化に向けて活躍中である。
 株式会社島津製作所シニアフェロー、田中耕一記念質量分析研究所所長、田中最先端研究所所長。東京大学医科学研究所客員教授、日本学士院会員などにも就任している。)


 2年程前だったかなあ。
 日本人3人がノーベル物理学賞を連名で受賞した時の授賞式に、その中の1名の一家が4名総出で授賞式にしゃしゃり出て、奥方が場違いに浮かれた事例があったよねえ。
 ああいうのを傍で見せられると、私など「何を勘違いしているの? ノーベル賞を取ったのはご亭主でしょ? ご亭主一人で授賞式へ行かせたら済む話だよ。 家族として嬉しい気持ちは分かるけど、少しは恥を知ったらどうなの?」と言いたくなる人種だ。

 さて、2016年の「ノーベル文学賞」を受賞した 音楽家 ボブ・ディラン氏がノーベル賞授賞式欠席を決めたとのネットニュースを以下に紹介しよう。
 ノーベル文学賞の選考に当たったスウェーデン・アカデミーは11月16日、今年の受賞が決まった米シンガー・ソングライターのボブ・ディランさん(75)が授賞式欠席を決めたことを明らかにした。
 アカデミーによると、15日にディランさんから書簡が届き、先約があるため、12月10日にストックホルムで行われる授賞式には出席できないと伝えてきた。 一方で、受賞は大変光栄と強調し、賞を直接受け取りたい考えを示したという。
 アカデミーは、授賞式欠席は「まれではあるが、例外的ではない」と指摘。 過去にもさまざまな理由で欠席した受賞者がいると説明した。
 アカデミーは、授賞式から6カ月以内の講演が受賞の条件であり、ディランさんに実現してもらいたいと期待を表明した。 
 (以上、本日発見したネット情報より引用したもの。)

 引き続き、音楽家 ボブ・ディラン氏に関するウィキペディア情報より一部を引用しよう。
 ボブ・ディラン(英語: Bob Dylan、1941年5月24日 - )は、アメリカのミュージシャン。
 「風に吹かれて」「時代は変る」「ミスター・タンブリン・マン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「見張塔からずっと」「天国への扉」他多数の楽曲により、1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたり多大なる影響を人々に与えてきた。 現在でも、「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれる年間100公演ほどのライブ活動を中心にして活躍している。
 グラミー賞やアカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たしている。 また長年の活動により、2012年に大統領自由勲章を受章している。そのほか、2008年には「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた」としてピューリッツァー賞特別賞を、2016年10月に歌手としては初めてのノーベル文学賞を授与されることが決定。発表からしばらく沈黙を守っていたが、同月28日に授賞を受け入れると発表した。
 (以上、ボブ・ディラン氏に関するウィキペディア情報のごく一部を引用したもの。)

 ここで、原左都子の私事に入ろう。
 大の音楽ファンの私だが、実はボブ・ディラン氏に興味を抱いた歴史は無いに等しい。 と言うのも、元々ロック系を好んだ私の耳には、彼の音楽は素通りして行ったとも言えよう。
 加えて、音楽を「詩」として聞くより、体に響くリズムやビートとして受容するDNA体質だった私の場合、特に小中学生時代には「詩」が素通りしてしまっていたのが事実だ。 
 そんな私も、もちろんボブ・ディラン氏の楽曲はよく知っている。 
 私が高校生になった後に、日本のフォークバンド ガロが「学生街の喫茶店」との楽曲を発表したが、その歌詞の中に以下のフレーズがあった。
 「君とよく この店に 来たものだ ♪ (中略)  片隅で 聴いていた ボブ・ディラン ♪ …」どうのこうの…    この歌詞には、私も実に思い出深いものがある。
 あの頃の日本の喫茶店文化に、まさにボブ・ディラン氏の楽曲がはまっていた記憶が鮮明だ。
 私の好みはともかく、ボブ・ディラン氏が我が国内でも十分に受け入れられたことは事実だ。

 
 最後に、テーマを「ノーベル賞」に戻そう。
 今回のボブ・ディラン氏「ノーベル文学賞」受賞は、ある意味では世界中の人民が許容可能な業績に的を絞ろうと志した、ノーベル財団としての斬新とも言える “粋な計らい” だったのかもしれない。 
 そうであるならば尚更、その受賞後の対応に関しては受賞者の意向に任せようよ。
 たとえディラン氏よりの対応が遅れようが、授賞式欠席通知が届こうが、それこそがディラン氏の偉大さと評価すれば済む話だろう。

 ディラン氏ご本人は、後に「ノーベル賞受賞を誇りに思っている」と発信しておられる。 それで世界中の万人にとっても必要十分ではなかろうか。

 (以上、我が バックナンバーを再掲載したもの。)
 

眞子さまと小室氏に “駆け落ち能力” など無い!

2020年11月19日 | 恋愛・男女関係
 (冒頭写真は、本日の朝日新聞 週刊誌広告欄より転載したもの。)



 表題に関して語る前に。

 本エッセイ集2013.06.10付バックナンバー「『プリンセス雅子さま』論」の一部を以下に再掲載させていただこう。

 実は私は雅子さまが皇太子とご結婚される以前より、雅子さま(当時は未だ“小和田雅子さん”でおられたが)に少なからぬ興味を抱いていた。
 何分、一女性にして類稀な経歴をお持ちのスーパーレディであられる方だ。 そのご経歴の一部を以下にウィキペディアより引用しよう。
 1963年に外務省職員小和田氏ご夫妻の長女として東京都で誕生した後、父の仕事の関係で幼少期をソビエト連邦・スイス連邦で過ごす。 1971年(昭和46年)目黒区立原町小学校第1学年に編入後、1972年から田園調布雙葉小学校に編入して卒業。その後同中学校を経て同高校に進学するも、父の仕事の関係で米国ボストンへ移住。 米国ハイスクールを卒業後、 1985年6月、ハーバード大学経済学部を卒業。 86年帰国後4月に東京大学法学部に外部学士入学するが、同年10月に外務公務員採用I種試験に合格し外務省入省が決定。この際、女性初のキャリア官僚スーパールーキーと話題になる。 87年東京大学を中退し外務省へ入省。 経済局国際機関第二課に配属された。 88年から外務省の研修留学として、オックスフォード大学ベリオール・カレッジに留学後90年帰国、7月1日付で北米二課に配属。
 徳仁親王との馴れ初めは、1986年に来日したスペインのエレナ王女の歓迎レセプションに出席した際である。 研修留学からの帰国後には皇太子となった皇太子徳仁親王の御妃候補として報道され、大きな話題となった。 
 1992年に、皇太子徳仁親王からの求婚を受諾している。
 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用)

 小和田雅子さんが皇太子妃候補としてメディア上で話題となっていた頃、私は高校教員をしていた。
 皇太子の弟君である秋篠宮殿下のご結婚にずい分と遅れをとっていた皇太子を心配してか、当時所属高校の女子高生が教員である私によく冗談を言って来たものだ。 「先生もまだ独身なんだから、皇太子の奥さんになってあげたらどう??」 (顰蹙は承知だが)この女子高生達の反応の程が何とも可愛らしく可笑しくて、「じゃあ、そうするよ♪」などと笑いながら返していたものだ。
 その裏で私は、小和田雅子さんを皇太子妃候補に祭り上げる事に関して“国政の貴重な人材観点”から何とも“もったいない”感覚を当時抱き続けていた。 
 とにかく生育環境に恵まれ、(もしかしたら父親のコネかもしれないが)類稀な才能と特権を活かし世界規模で活躍し、今後国家を第一線で支えていく「官僚」として立派にその地位を築き上げつつある和田雅子氏だ。
 何故、この人物が皇太子妃であらねばならないの?? 私はそう思い続けたものだ。
 女子高生じゃないが、何もそんな才能溢れる人材を皇太子妃になどする必要はないはずだ。(確かに皇太子妃とは“英語力及び語学力”及び“淑女力”は欠かせない要件だろうが…)  女子高生が言うように私が皇太子妃にでもなってあげた方が、小和田雅子さんとの類稀な能力を紡いで生きている女性の今後の人生が犠牲にならずに済むのではあるまいか??

 それまでの皇室の歴史に於いても、皇室妃殿下候補の選定に当たってはそれに“相応しい”人物を選定して来たのではなかったのか。
 美智子皇后に関しては、初めて民間から迎えられた(実に素晴らしい)妃殿下であられた。
 秋篠宮妃である紀子さまに関しては、弟君の好みと紀子さま側ご家族の意向が合致して結婚が即決したと私は捉えている。
 これらの事例と比較して、明らかに皇太子が小和田雅子さんと婚姻に至るまでの道程は多難を極めたと私は理解している。
 それでも、どうやら皇太子の一番の「好み」が小和田雅子さんであったようだ。 周囲皇室要人が他の皇太子妃候補女性をいくら勧めても、どうしても皇太子は雅子さんにこだわり続けた印象を私は持っている。
 そして、20年前の1993年6月にご両人はご成婚に至られた。

 皇太子殿下ご成婚後20年が経過した現時点(2013年時点)で、巷ではこの話題に関して“言いたい放題”のメディア情報が満ち溢れている。
 例えば、平成16年5月10日、皇太子さまが訪欧前の記者会見で述べられた、「人格否定発言」である。
 「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」  当時皇太子さまは44歳、皇太子妃雅子さまは40歳。 雅子さまのキャリアや人格を否定する動きとは、何だったのか。“お世継ぎ”を求めるプレッシャーや、外国訪問をなかなかさせない宮内庁への批判だと受け取られたが、皇太子さまが具体的に説明されることはなかった。(以上、メディア情報より引用)

 皇太子殿下のこの発言は私も今尚鮮明に記憶している。
 原左都子の解釈としては、皇太子殿下ご自身が「好んで」選択した妃殿下である雅子さまの経歴について外部のメディアが誹謗中傷する事態に耐えられず、思い余って発言された内容と理解している。
 それ故、私としてはこの皇太子殿下の発言に、雅子さまへの愛情を感じさせていただけたものだ。

 原左都子の私論に入ろう。
 今から遡る事20年前に、小和田雅子さんとの一女性が皇太子妃となられる決断をした時点で、一生に渡るどれだけの損失を我が身に振りかぶる覚悟をされた事であろう。
 そんな思いが庶民の皆さんに理解可能であろうか??
 小和田雅子さんの人生に於ける一番の失敗は、皇室と交流できる程の家庭に生まれ育っている中で、その交流を阻止できなかった事であると私は捉える。  
 そもそも皇太子と出会える“超特権パーティ”になど出向かなければ、小和田雅子氏はその後一生一民間人として国家の官僚を続行できたはずだ。
 ところが、小和田雅子氏は若かりし時代にそれに出向いてしまった。 それがどうしてなのかに関しては、あくまで庶民でしかない私には計り知れない……
 それでも私には、現在心身面での「適応障害」に悩まれつつご公務が限定されている「プリンセス雅子さま」をバッシング申し上げようの発想は一切ない。
 雅子さまこそが時代の犠牲者との感覚を抱きながら、聡明な小和田雅子さんが何故そんな“過酷な運命”を回避できなかったのかに関して問い続けつつ、一生涯庶民を貫ける事を幸せと感じている私である…… 

 (以上、本エッセイ集2013.06バックナンバーより引用したもの。)



 上記の雅子さまに関する出来事に比して。

 今回の“眞子さま・小室氏騒動”は、何ともお粗末だ…😨 
 失礼は承知の上での我が正直な発言だが、その“レベルの低さ”に救いようが無い感を抱かされる。
 しかもこの騒動を、眞子さま・小室氏ご両人がいつまでも国民の前でやり続けた挙げ句の果ての今回の“婚姻実行宣言”だ。

 何と申せばよいのか。 “勇気がある” というのか、2人揃ってまるで世間知らずにしての“最後の悪あがき”と表現するべきか…

 この2人が婚姻したとして、私など、“一体いつまで持つのだろう?”との不安感しか抱けない。 
 いや別に我が親族でも無ければ知り合いでも無いため、(国民の血税からの出費の“2億円とも噂されている婚姻支度金”がもったいない感を除けば)、2人の今後が如何に転ぼうが何らの関係もない立場だが。


 冒頭写真に目を移すと。

 秋篠宮家が眞子さまを勘当するはずもなければ、眞子さま側に“駆け落ち”を計画する能力も無さそうな現実が悲しい…

 紀子さまも泣いている場合ではなく、今からでも遅くないから可愛い娘であろう眞子さまの真の未来の幸せを再考してみては如何だろうか。

 小室氏とその母氏が「2億円結婚」にほくそ笑む姿は、我が眼にも映るが…😖 

 とにかく世界何処の王家や皇室でも類を見ない、今回の“眞子さま・小室氏のお粗末な婚姻騒動” ではなかろうか?

 ここは、 誰が悪い!??  と責めるよりも。

 (小室氏は放っておくとして)、今後一般人としての運命を辿る眞子さまの真の幸せこそを、私は願ってあげたい気分でもある。😶 


だから今夏、私は警告した! 必ずや今冬にコロナ禍の第3波が到来すると!!

2020年11月18日 | 時事論評
 実際それが到来してしまっては。


 既に高齢者域に達している我が身を如何に守りつつ今冬を過せばよか、との課題しか思い浮かばないのだが…



 ここで、今夏公開した我がエッセイのひとつを振り返らせていただこう。

 以下に、2020.07.10公開の「大都会東京の“新型コロナ感染”、国や都の憶測ほど甘くは無いぞ!」 を引用する。


 先程、ネットにてこれに関連する情報を見つけた。 以下に、要約引用しよう。

 東京都の新型コロナウイルスの新規感染者数が9日、緊急事態宣言下の4月17日以来の200人超えとなった。 大幅な検査数増を背景に軽症、無症状の若年層の感染確認が全体数を押し上げ、前日の約3倍にまで激増した。「一気に過去最高は想定外」(都担当者)。 医療提供体制を守るため、高齢者層などへの波及回避が急務で、小池百合子知事は感染状況を伝える都の動画配信を再開し、感染防止徹底を呼び掛ける。
 2日から7日まで100人超が続いたものの、8日は75人に落ち着いていた。 9日、200人超の一報に都庁内に驚きが広がった。
 「ある程度増えると想定していたが、200人を超えて過去最多になるとは思っていなかった」。 報道陣への説明を行った担当者は表情をこわばらせた。 ただ、4月に比べて、医療提供体制にはまだ余裕があることも強調した。
 各保健所から都に感染者情報が集まるまで、3日間程度かかることから、都では大まかな傾向を把握するために新規感染者数と3日前の検査数を比較。 今回の224人に対して、3日前の検査数は過去最多の約3700件。 4月17日に206人を記録したときの3日前と比べ、4倍以上だ。
 新規感染者の多くを占める若年層は症状が軽かったり、無症状であったりするため入院に至っていないケースが目立つ。 都担当者は「医療機関へ空きベッドの問い合わせに追われていた当時とは大違い」と語る。
 しかし楽観はできない。 224人のうち、ホストクラブやキャバクラなど夜の街関連は74人と依然高く、新宿エリアは52人、池袋エリアは4人。 このほか、クラスター(感染者集団)が発生したとみられる鹿児島市のショーパブ「NEWおだまLee男爵」を訪れていた30代男性も含まれる。
 大人数の飲み会などの参加者も目立ち、最近ではホストが40代の母親にうつすなど、家庭内で若年層から中高年の両親や祖父母の世代への感染も相次いでいる。 感染が判明した若者に保健所が連絡を取れなくなるケースも増えている。
 小池氏は報道陣に「(重症化リスクのある)既往症のある人や高齢者に感染させないことが必要」と語り、動画でも夜の街での3密回避徹底などを呼び掛け、こう訴えた。
 「会食におけるグラスの回し飲みなどをぜひ避けてください。そういったところから実際感染していることが分かっている」

  原左都子の私見に入ろう。

 都の担当者達にもの申したいが。
 行政を司る役所の担当者がまるで一般人のごとく、「一気に過去最高とは想定外」とは何事か!!
 都民の自粛を解除しコロナ感染者を野放しにしておきながら、感染拡大を想定せず無責任な発言を平然としている場合ではなかろうに。
 都庁には、“コロナ感染及びその対策”に関して専門に調査・研究する部署はないのであろうか? 
 役所の皆が集まって、「一気に過去最高になったね!」と素人もどきに井戸端会議をして驚き合っている場合ではないだろう?!?
 「会食におけるグラスの回し飲みなどをぜひ避けてください。そういったところから実際感染していることが分かっている」と他人事にように言うが、そんなことすべて分かっていて若者達はそうしてコロナに感染している実態だろうに…。
 そんな若気の至りの誤った行動に対する適切な指導法を、行政現場こそが模索し実行することが先決問題だ。

 とにかく、行政現場はもっと“科学的”な観点・姿勢でコロナ対策に臨むべきだ。
 都の担当者がこのように“素人もどき”であるうちは、日々感染者数更新に驚く日が続いてしまうことであろう。

 (以上、本エッセイ集7月公開のコロナ禍に関するエッセイを再掲載したもの。)



 まったくもって、国家は元より都政も何度も同じ失敗を繰り返すどころか。

 国家共々、「経済再生」にばかりに心がいってしまっている有様…。

 この“コロナ禍第三波” に至って尚、未だ適切な指導力が発表されない現実だ。

 既に国民の皆さんは、そんな国家や自治体の対策に「免疫」が出来てしまっているのか??? 😨 

 いやいや、実際今後我が国の“コロナ禍”は更に大変な事態に及びそうだが。

 特に高齢者の皆様。
 “コロナ禍第三波”の到来にもめげずに。

 今後も今まで通り、自己の命は自分で守ろうではありませんか!!
 

眞子さま問題に於ける “フツーの親(家庭)”って一体何なんだ!?? 

2020年11月17日 | 恋愛・男女関係
 我が「原左都子エッセイ集」バックナンバー記事が、日々各種サイトにて少なからずの数取り上げられている。 
 (そのお陰をもって、我がエッセイ集は日々不特定多数の閲覧を頂戴しているのとの事なのであろう。)

 それは大変嬉しい反面。


 昨日、某サイトの「小室圭 普通の親でも反対」なる見出しページに、我が2019.01.24付公開の「我が娘が小室圭氏と結婚すると言っても私は断固反対する!」と題するバックナンバーが、そのページのトップに取り上げられていた。

 要するに、子を持つ親である“原左都子”が、“フツーの親” 扱いとなっていたとの訳だ。😶 
 これは単に、“皇室では無い一般家庭・親”との意味なのだろう。
 別にそれはよしとして…

 
 とりあえず、当該バックナンバー 2019.01.24公開「我が娘が小室圭氏と結婚すると言っても私は断固反対する!」を以下に紹介した後に。

 “フツーの親(家庭)”に関して考察してみることにしよう。


 実際問題、年頃の娘を持つ一般人の立場で考察しても、小室圭氏程結婚相手の条件として“貧弱”な男はいないのではなかろうか?
 小室氏は「海の王子」コンテストとやらに出場して王子に選出されたらしが。
 そもそも男の立場でよくぞまあそんなものに出場したものだ。 今の時代、女子ですら“ミスコン”出場とはマイナスイメージでしかなく、それに選出されたものならば人間としての品格が下がってしまう感すらある。
 眞子さまとの婚約当初にこの話題を見聞した時から、私は小室圭氏の品格の程を疑っていた。

 そうしたところその我が感が当たったかのように、次々と小室氏に関するマイナス報道が世に渦巻くではないか。
 小室氏は「国際弁護士」になると言うが、何故「国際」であらねばならないんだ? 日本国内できちんと勉強して司法試験を受験し、“普通”の弁護士に成れば済む話だろう?
 要するに学力がそれに伴っていないのは見え見えだが、それならば自分の学力に見合う仕事を目指し、実直に頑張るべきだろう。

 この「国際弁護士」の話、どうも胡散臭い。
 どうやら母親の金銭問題で雲行きが怪しくなった頃に、急きょ米国留学を決定したようだが。
 巷の噂によれば、その費用は皇室(宮内庁?)が出しているとの事のようだが。 要するに、小室家が金銭トラブルを抱えているにもかかわらず、眞子さまの小室氏に対する“お気持ち”が変わらない事に鑑み皇室側がその対策を急いだのだろう。

 私見だが、その方策は大いなる誤りだ!
 皇室(秋篠宮家? 宮内庁?)側は小室氏側のトラブルにもかかわらず、眞子さまの小室氏に対する“お気持ち”を優先しようとの事だろうが。
 今時の世論に於いて、それが正解であるはずがない!
 今後民間人となって独り立ちする眞子さまの行く先こそ配慮するべきだ。
 婚姻時におそらく1億円を超過する「婚姻支度金」が支払われるのだろうが、1億円など、新居を購入したりその他の支出によりあっという間になくなるものだ。
 その後もおそらく小室氏はその能力の程にかかわらず皇室のコネにより何処かへ就職が叶うのだろうが、この結婚は小室氏の母親との“こぶつき”である事には間違いないだろう。 他人のカネばかり当てにしているこの母親の面倒まで公費(国民の血税)でみるつもりか?!? 国民としては、とんでもない話だ。
 しかも、小室氏本人の今後の勉学・勤労意欲の程も不確実性が高そうに思える。 育った環境によるのだろうが、母親同然に自力でこの世を生き抜こうとの意欲に欠落している人物のような感覚がある。
 
 加えて、眞子さまの“お気持ち”と言えども、それが変化したとて今時の国民にとっては何らの不都合も無いのではあるまいか?
 むしろ、ろくでもない相手(小室氏の事だが)にいつまでもこだわり続けるよりも、より適切なお相手を眞子さまに紹介し、その関係を成就させる事の方が国民説得力がある! と私は判断する。
 現に、国民間では晩婚化が急激に進んでいる。 眞子さまが晩婚であろうが、ろくでもない相手との結婚を急がせるよりもずっと国民にとって喜ばしいのではなかろうか?
 参考だが、天皇家の清子さんも晩婚だったではないか。 (中略)

 一旦、私見だが。
 小室氏の母親にお金を貸したとの男性も苦渋の思いをしている事だろうなあ。  過去に一時婚約した女性の息子が今や“時の人”となってしまい、皇室(宮内庁?)をバックに付けて、「自分達母息子は婚約者氏に借金をした訳ではなく、婚約者氏のご好意だった事で合意している」と宣言されてしまったのだから。  何とも、お気の毒に思うよ…
 もし元婚約者氏に財力がおありならば、訴訟を起こして小室圭氏母息子と徹底的に闘う事をお勧めしたいが…
 ただ、眞子さまの小室氏に対する“お気持ち”の程が変わらない限りこの婚姻が成立してしまい、貴方は闇に葬られてしまうのも目に見える気がする… 

 我が娘も眞子さま同様に、(過去によく言われた言葉を使うと)“結婚適齢期”に達しているが。 もしも我が娘が小室圭氏のような男性を自宅に引き連れて来て「この人と結婚したい」と言ったならば…
 とりあえず私は、その男性に関する情報収集に躍起になる事だろう。
 そして、小室圭氏のごとくのバック情報を掴んだものならば。 
 私は絶対的に、その結婚に反対する!
 我が家庭は学際色が強く、その環境下で娘を育てて来ている。 その観点から言わせていただくならば、正直言って小室圭氏は“学際色が貧弱”と判断せざるを得ない。
 それよりも何よりも、小室圭氏の家庭環境に於いて問題があり過ぎる。
 母親の婚約者氏の支援により教育を受けた、との事実を気にしない訳が無い!
 後は冒頭で述べた通りだ。

 再度、眞子さまの御両親であられる秋篠宮家にアドバイス申し上げたいが。
 今時、27歳など若いものだ。
 今後民間人として頑張らねばならない眞子さまご本人の立場を想像・熟考した上で、小室圭氏とのご婚姻が真に眞子さまの今後の幸せをもたらし得るのか否かを、今一度、親の立場で熟考・判断して欲しいものだ。

 (以上、バックナンバーの一部を引用したもの。)



 最後に私見でまとめるが。

 久しぶりにこのエッセイを自分で読み直して思うに。
 原左都子の言うとおりではないか!!
 眞子さまがどうしても小室氏との婚姻成就にこだわっているらしき今現在尚、我が思考はこの時のまま何らの変化も無い!

 どうも、やはり眞子さまのご両親であられる秋篠宮ご夫妻の“軟弱さ”ばかりが際立つ気もする。

 如何に考察しても、眞子さまの小室氏との恋愛物語が“未熟”かつ“”お粗末”過ぎる。
 それは皇室の一員としてのお立場上致し方無かったのだとしても。 
 その“未熟さ”“お粗末さ”を皇室の周囲の大人達が指摘して、今一度原点に立ち戻り、皇室から外部へ嫁ぐ眞子さまが真に幸せになれるべく方向性を模索しても何ら遅くはないと私など思うのだが。

 例えば天皇家清子さんのご婚姻など、晩婚にして成功していると言えるのではなかろうか。
 あるいは高円宮家ご姉妹2人も良きお相手に恵まれ、幸せに暮されている印象がある。(詳細は存じないが。)

 上記引用我がエッセイ内にも記したが、今時女30歳などまだまだ若い。
 繰り返すが、今後婚姻後民間人として頑張らねばならない眞子さまご本人の立場を想像・熟考した上で。
 小室圭氏とのご婚姻が真に眞子さまの今後の幸せをもたらし得るのか否かを、今一度、皇室の諸先輩達は熟考・判断して欲しいものだ。


 最後に、“フツーの親(家庭)”って何だ!??
 との表題のテーマを無理矢理まとめるならば。😝 

 娘(子)の将来の真の幸せにまで展望が及び、そのスタンスで我が子に適切な今後の方針を示せること。 
 これぞ、“フツーの親(家庭)”の成せる業ではなかろうか??


本日、長野県伊那市より晩秋収穫の“ブロッ娘”が到着しました!

2020年11月15日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、本日昼過ぎに長野県伊那市よりクール宅配便にて到着した“ブロッ娘”。)


 「原左都子エッセイ集」にておなじみのこの“ブロッ娘”。

 これが毎年初夏及び秋に定期便にて届けられるようになって、既に13年の年月が流れている。

 この“ブロッ娘”の贈り主は、長野県伊那市にて大規模農場を経営されている農場主のK氏だ。
 “ブロッ娘”とはK氏がまるで自分の娘のごとく毎年丹精込めて育てているブロッコリーに熱い思いを込めたブランド名だ。



 ここで、K氏が伊那市にて経営されている大農場の写真を掲載しておこう。


          

          

          

          

 これらの写真は、2017年夏に我が娘を引き連れて伊那市までK氏の大農場見学に訪れた際に撮影した中のごく一部。
 (前パソコンの壊滅的故障により現在のパソコン内にはその保存が一切無いため、我が過去のFacebookページに掲載した写真を再撮影したもの。)

 これら大規模農場を日々車で移動されつつ、K氏は従業員氏達と共に農業に励まれているようだ。

 このK氏は、元々伊那市の大地主であられる先代の3男にあたる。
 ご長男・ご次男共々先代の大地主家業を3分割して継がれているそうだが。 K氏(東京の農業系大学を卒業されている)曰く、ご自身が一番出来が悪かった故に、持ち分が一番少ないらしい。??
 (私に言わせてもらうならば、何をおっしゃるやらだ。 K氏の農業熱心さにはいつも頭が下がる思いだ。 自身が丹精込めて育てている作物に対する愛情の程は、定期的に頂くメールにて熟知申し上げている。 何せ農業とは自然現象との闘いでもある。 台風に猛暑、雪害等々、それらとの格闘の日々である事は十分に承知申し上げている。  まさに農作物に対する愛情無くして、絶対的に成り立たない生業であろう。)


 そんなK氏との出会いのきっかけは、当該gooブログである事は過去に何度も記載しているが。
 2008年初頭に我が「原左都子エッセイ集」にコメントを頂いたのがK氏との最初の出会いだった。
 いつもいつも“畑違い”の我がオピニオンブログをそれはそれは熱心にお読み下さり、適切かつ心温まるコメントを頻繁に頂戴していた。
 そうこうしていたところ、ご自身は今後の農場経営拡大に伴いブログどころでは無くなった様子だ。
 今後はご自身が育てた農作物を定期的に我が家まで宅配して下さるとの申し出を有り難く受け、それが後に13年もの長き年月に渡り続いているとのK氏との関係だ。😁 


 いやいや思い起こすに、我が「原左都子エッセイ集」開設期にはこのK氏に限らず素晴らしいブログ仲間と幾らでも知り合えたものだ。

 過去のノスタルジーを語っても埒が明かないが…。

 確実にブログ世界を取り巻く環境も急激な人間関係の希薄化現象と相俟って、“軽薄短小”時代へと変異を遂げている実感が否めない…

 せめてK氏より素晴らしい農産物のお届け物を頂戴した日には。
 13年程前の時代にK氏より我がエッセイ集宛に頂いていた心温まるコメントなどを懐かしく思い出しつつ、伊那の味覚・風味を堪能させて頂こう!😄