原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

格安スマホと会話文化

2021年06月15日 | 人間関係
 (冒頭写真は、昨日私がスマホ会社を変更した先のUQモバイルのパンフレット類。)


 しかしまあ、近年の格安スマホ業界の低価格競争は凄まじいものがある。

 私もこの流れに乗って格安スマホに買い替えるべきか、との課題を脳裏に抱えつつ、旧態依然と某大手モバイル会社のスマホを使用してきていた。


 ここで我が携帯電話歴を語らせてもらうに、私が初めて携帯電話を購入したのは人よりもずっと遅れてのことだった。
 我が認識によれば、世に携帯電話が普及し始めたのは、我が子が小学校へ入学した直後期、2000年前後頃のことだったのではなかろうか?

 特に娘の習い事の送り迎えをしている際に気付いたのだが。 
 同じく送り迎えをしている母親ども皆がそれぞれに携帯電話を手にして、個々がそれをいじくりまわしている。
 子供が習い事を終了して母の元に来ても、その操作を止める親はいない。 皆が皆、携帯操作をしながら子供と会話をするでもなく、そのまま車に乗り込んで帰りゆく。 
 場を電車内に変えても、光景は同様だ。
 子連れの母親皆の視線が、子供よりも携帯優先である。 その状況で押し黙りつつ各自が携帯操作をしている。
 このような“異様な光景”に既に市民が慣れ切ったまま、その風習は現在まで引き続いているという訳だが。


 この世の現象に大いなる抵抗感があった私は娘に携帯を持たせるのも、更には自分が携帯を持つのも、大きく出遅れたのは当然の成り行きだったものだ。
 ただ、娘には先に携帯を持たせた。 一人で電車に乗って習い事に通うようになって以降、その安全確認が最大の理由だった。
 片や、私はどうしても携帯電話の必要性が見いだせなかった。

 そんな折、娘が中学校へ進学した直後期に、某学習教室のフランチャイズ自営に着手する機会を得た。
 それでも私は携帯電話を持つつもりはなかったのだが。 フランチャイズ元よりどうしても携帯を持ってくれねば今後の業務に差し障る、との指令が届き即刻携帯電話を持たされる羽目と相成った。
 これがまあ、日々物凄い件数の携帯連絡が届くこと! これじゃあ、我が個人生活が成り立たないではないか!と怒り始める程の頻度だった。 (まあ要するにフランチャイズ自営とは所詮そんなもんです。 フランチャイズ側の操り人形と成り下がる実態です…)
 結局、このフランチャイズ学習教室指導者兼経営を1年経たずして赤字経営にて撤退との結論に至り…

 その後は、娘との連絡等々で我が携帯電話は役に立ったのであろう。


 と言うようないきさつもあり、私の場合は現在に至るまで携帯電話やスマホには何らの特別の思い入れもない長い時代が通り過ぎたのだが。

 最近知り合った某知人が、メールよりも通話がお好きだとおっしゃる。
 その思いに同調してメールよりも通話を優先していると。
 これ確かに人間味があって、人間として生きている実感すら沸きそうだ!
 それに味を占めた私が、通話にこだわりたくなった。

 そこで、最近ブームの“格安スマホ”情報を探ってみた。

 最初に注目したのが、楽天モバイルだが。
 これに関しては、それを既に採用している知人にメールにて話を伺った。
 それに対するご返答が、以下の通り。

 今年一杯は無料だが それ以降も1GBのデータ使用料で無料 通話はRakuten Linkでの使用で無料となっているのでずーと無料ということ。
 ただ使用していると色々と不具合が発生し出して困り出したところ。
 特に楽天モバイルの通話の不安定性が現れ出して 時々通話が途切れる状態が頻発。特に長い会話では無理な様子。
 其の様な事案のクレームを楽天に申し入れている現在です。

 (以上、我が知人による楽天モバイル情報。)

 やはり、“無料”にはそれなりの弱点がありそうだ。


 私の場合、昨日からUQへ変更したばかりの身だが。
 通話に於いても特段の不具合は何ら発生していない。

 この我が選択は大正解だったと感じさせれくれる、昨日の我が格安スマホへの変更劇だった。
 (しかも、冒頭写真の通りUQ電気に変更すると、基本料金が税込¥990-との安価です。 決して、UQの回し者ではありませんが。)


左都子の「自然科学概論」 小講座 Ⅱ

2021年06月13日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、左都子の「自然科学概論」小講座 第2回目 “無文字文化の科学” の中の一ページを撮影したもの。)



 と言う訳で、今回は“無文字文化の科学”についてのA先生による講義内容を紹介しよう。


           
 授業の一番最初に、A先生はこの項に関する参考文献を紹介して下さっている。 
 このA先生は授業内で頻繁に参考文献を紹介して下さったのだが。
 残念ながら当時既に我が専門の「経営法学」分野に於いても数々の読破するべき書物があり、特別興味深かった「量子力学的実在論」関係を除き、後回しにしたものだ。


           
 このページを要約すると。
 ペルセウスがメドゥーサを退治した神話は有名。 メドゥーサとはヘビであり、それに見られた者は石になってしまうらしい。 このメドゥーサは、エーゲ海のタコと結びつけられている。
 記憶術の一端として“連想”が用いられている。 無文字文化では重要。

 シリウスの謎。 昔から天文学の知識を持っているドゴン族により、“シリウスは重星である”と唱えられたが、この事実が最近証明された。
 仮説として、ドゴン族は大昔ETと接触した? との伝説がある。


           
 巨石文化におけるストーンサークルの研究では、古いものではBC3000年頃の測定・分析結果が残っている。
 ストーンサークルは厳密な作図法によるが、同じ物差が広い地域において1000年以上の年代で使用されている。 この背景には、大きな社会、大きな権力の存在があったことだろう。
 直角三角形はピタゴラス数より描かれる。 ピタゴラスの知識を保存し伝達するために、数学の知識表現により、ストーンサークルとの形で実際に石を並べておいたのでは? とも推測されている。


           


 とまあこんな具合で、博学かつ天才肌のA先生の「自然科学概論」授業は続きます。


 ところで、A先生の「自然科学概論」の定期試験(レポート)はどんなだったか記憶に無いなあ。
 この授業は結果として年間通じて「優」評価をもらっているのだが、それが思い出せない。
 おそらく受講学生数も多かったことだし、「科学哲学」程には難解な課題ではなかったのだろう。
         

昨夜「原左都子エッセイ集」宛に大量PVをプレゼント下さった方、ありがとうございました。

2021年06月13日 | 自己実現
 (冒頭写真は、その大量PVのグラフの一部。)



 このグラフを撮影した直後に就寝しましたが、その後もPVプレゼントは続行した模様です。


 昨日のPV数が9,000PVを超過していますが、それはこのプレゼントの恩恵に他なりません。

 我がエッセイ集は元々PV数が多いのが特徴ですが、それにしても9000を超過する経験をここ何年かは経験しておりませんでした。

 
 たかが数値ですが、それでもこれ程まとまったPVを頂戴するのは嬉しい事実であることには間違いありません。


 誠にありがとうございました。
 心より御礼申し上げます。
 

「閉経後から女性は楽しい」 に至極 同感!!

2021年06月12日 | 自己実現
 冒頭表題は、本日付朝日新聞別刷「be」トップページ記事表題より拝借したものです。

 今回のエッセイは上記のテーマのみ拝借し、あくまでも原左都子の私事や私見を述べようと志す内容です。



  それでは、「原左都子エッセイ集」2020.01.22付バックナンバー「思い起こせば私も“過多月経”だった」と題するエッセイを、以下に再掲載させていただこう。

 娘が小学校時代に、地元公立小学校よりPTAによる「下校時パトロール」との業務が課せられた。
 その時ペアになった、娘の同級生のお母上とパトロールしながら会話をしたのだが。
 お母上曰く、「小6の娘に未だ“生理”が来なくて心配している…」
 それに私が応えて「まだご心配なさる年齢じゃないと思いますけど。」
 お母上「原さんちの〇〇ちゃんはもう始まっているんですか?」 
 私 「ええ、始まっていますけど、あんなもの遅い方がラクで良かったのにと思っているくらいです。」
 それに一瞬驚いたお母上「えっ??? どうしてですか? 女の子にとっては大事な事だと思いますが…」
 おっしゃる通りであり、私が反省して、「失礼申しました。 実は私自身が“過多月経”だったため娘時代に苦労の連続で、生理に良い思い出が何も無いんです…」

 実際、我が“過多月経”ぶりはもの凄いものがあった。

 私の生理開始は中一の夏だったのだが、未だ始まって時が経たない頃にブラスバンド部の夏合宿と生理が重なった。
 合宿も後1日を残す朝方の事だ。 目覚めると、持参した布団や毛布が血だらけだ!  (こんな時に生理が始まるなんて…)と未だ12歳の私は泣きそうになりながらトイレに駆け込むと、当然身につけていた下着類のすべてが真っ赤っ赤状態! それを急いで着替えして…
 ただ、合宿も最終日だったことに助けられた。 まるで殺人事件かのごとく多量の血に染まった布団や毛布類・下着類を急いで丸め込み、そのまま家へ持ち帰った。
 それを見た母が洗ってくれたのはよいものの。  「何でここまで汚すの! だらしない!」  母とて単に無知で悪気は無いのだろうけど、これが辛くて辛くて…
 
 その後もこの失敗の繰り返しだ。 
 何故か今生理が始まったら困る時に、私の生理は始まる。😰  
 
 例えば、高校時代の“野外合宿”の時もそうだった。 全員トレパンを着用させられるのだが、どういう訳か当時そのトレパンの色が「白」なのだ! この白トレパンが真っ赤に染まったのに気づいたものの、すぐさま着替えする訳にもいかず… ついに泣き始めた私に、級友がこっそりと「泣くな! 泣くと余計に目立つ。 私が後ろについて隠してあげるからとにかく泣くな!」 (Thank you …)と思いつつ涙が止まらなかったものだ…

 あるいは医学部時代の付属病院検査室実習時にも、白衣に生理の血が滲んだことがある。 その時は既に病院職員であられた先輩が、これまたこっそりと「白衣に患者さんの検体の血がついたようですよ」とフォローして下さった。 私自身の生理出血であるのは明白だが、とにかくすぐに白衣を着替えに行かせてもらえたのはラッキーだった。

 高校までの学校の制服は紺色だったことに助けられた。 スカートを汚しても目立たずに済んだ。 あるいは私服の時は、生理中は絶対に薄色の洋服を着ない事が閉経まで身に付いていた。  昔テレビにて「あの日も白…」と歌う生理商品のCMが流行った事があるが、私には無縁の世界だった…。

 社会に出て、同じく“生理過多”の同輩と出会った事がある。 その女性とその対策に関して色々話し合えたのが収穫だったものだ。  夜間はどうする? ナプキン3枚重ね、等々…  殿方には永遠に分からない話だろう。
 現在では、生理ナプキンも場面に合わせ進化を遂げているが、当時はそうではなかった。 どれほど苦心して、出血過多状態を乗り越えてきたことか。

 私は医学関係者であり、自分自身で自分の血液像を顕微鏡で見る機会も多かった。  実際、末梢血に赤芽球が観察出来るほどの貧血状態を余儀なくされていた。 これが自己申告で“生理過多”がその理由だと主張しても、いや単に栄養不足だ、鉄分が足りていない等々の自己責任論の反応が、同じく医学関係者の同僚等から返ってくるのも悲しかった…

 その証明が出来たのは、高齢にて妊娠した時だ。 
 妊娠すると、必然的に生理が止まる。 これが何と楽ちんなのだ!  いや、人並みにつわりはあったが、何と言うのか、身体がまるで生き返ったがごとく軽やかだった。 今まで苦しめられ続けた“立ちくらみ”も一切無い。 本当に元気な妊婦時代を過ごせた。

 そして閉経後。
 私の血液のヘモグロビン値は、閉経後ずっと正常値を保っている。 (いや、現在では定期検診を受けない主義のためその値を知らないが、感覚的に生理に苦しめられ続けた現役時代の辛さが嘘のごとく一切無い。)  参考だが、我が生理があった時代のヘモグロビン値は基準値の約半分程でずっと経緯していた。 末梢血に赤芽球が出現しても不思議では無い程の貧血状態だった…
 
 我が“過多月経”失敗談義が続いたが。
 今回、このテーマでエッセイを記そうと志したきっかけは、朝日新聞2020.01.18付「ひどい痛みや貧血、病気かも」と題する女性の月経に関する記事を見たことだ。

 何故か、この種のメディア情報は昔から少ない。
 女性に特有の「生理」に関して語ることが、今尚メディア界に於いて御法度なのか???  そんな事は無いと信じたいものだが…
 よくぞまあ、朝日新聞は毎月訪れる「生理」に苦しむ女性に光を当ててくれたものだ。
 この種の記事が、我が「生理現役時代」にも公開されていたならば、どれだけ勇気付けられた事かとも思う。

 とにかく、女性陣よ。
 生理とは女性のみに与えられた、特権だ! 
 もしもご自身に毎月訪れる「生理(月経)」に関して異常感を抱いたのならば、すぐさま専門医を受診される事をお勧めする。
 今の時代は、その要請に医学・医療現場が応えてくれるはずであると信じたい。

 (以上、本エッセイ集バックナンバーを再掲載したもの。)




 私の閉経は高齢出産だった娘を産んだ後、12,3年後の事だっただろうか?

 元々“子供は一人”と晩婚夫婦間で取り決めていたため、正直言って、まだ生理が続く状態を私は鬱陶しく思いつつその日を過ごしたように記憶している。

 未だ理化学研究所にて医学関係の仕事を続行していた時期だったが。 今日は大事な仕事をこなさねばならない(と言うよりも仕事とは常に集中力を要するものだが)日に限り生理が始まる。😫 
 しかも閉経に近づきつつある時期の生理とは、不規則的であり不安定感を更に増強されたものだ。
 当時の医学業務に関しては、白衣を強要されなかった事実に助けられもした。 生理の日は必ずや濃い色の洋服を着て“汚れ”に対応したものである。


 そして更に年月が過ぎ。

 今現在の私は、すっかり生理(月経)から解放された日々を堪能している。
 過去に“過多月経”に長年苦しめられ続けた身にして、こんな恵まれた日々はないと言えるほどに。

 閉経とは、女性に実に楽しい日々をもたらせてくれるものと実感の毎日である。

 「過多月経」から完全に開放された今こそ。
 再びの青春を謳歌したいものでもあるなあ~~~😃 
 

再掲載 「コロナ禍がもたらした“新しい学び”との効用」

2021年06月11日 | 教育・学校
バックナンバーにて幾度も述べているが、この原左都子は幼少の頃からバリバリの“集団嫌い”だ。


 この“コロナ禍”により学校が休校になった際、集団嫌いの私なりに思った事がある。
 それは、もしも私が現役児童・生徒だったならば、自宅学習の自由度が上がり更に優秀度も増したのではなかろうか??、という事だ。

 学校現場に関するコロナ報道を見ていると、メディアのインタビューを受けた児童・生徒達皆が皆口を揃えて、 「学校へ行けなくて残念です。 お友達に会いたい。」……
 集団嫌いの私としては、「本心かよ??」としか思えない。
 親や学校の教師がインタビューを受けたらそう言え! と陰で児童生徒を指導しているんじゃないか?? と勘ぐっている程だ。  (実際のところ子ども達の本心の程が不明だが、もしその手の指導が実際になされているとすれば大問題だろう。)


 私の場合、幼稚園児時代からそこへ通わせらるのが楽しいと思った事などただの一度も無かった。  何分持って生まれた律儀かつ真面目な性格で、親が行け!と言うから義務感で通ったまでのことだ。
 何と言うのか、皆が皆同じ事をやらされるのに幼心に抵抗感があった。 (私はこんなことやりたくないのに、どうして…)との感覚だ。
 唯一面白くて感情移入出来たのが、「知能(IQ)検査」だったことはバックナンバーでも記載しているが。
 こんな面白い遊びがあるんだ! と実に楽しめて一人勝手にどんどん次のページへ移ってしまい、園教員に「ここで一旦やめなくてはダメ!」と怒られたことを記憶している。 


 そんな思いが“コロナ禍”以降ずっと我が脳裏にあったのだが。
 朝日新聞2020.06.08付朝刊一面記事トップが、「オンラインなら出席できた 学校を休みがちな生徒 変化の兆し」と題する記事だった。


 当該記事を、少しだけ引用しよう。


 コロナ禍による長期休校で、オンラインを使った教育を模索する動きが広がった。 普及はまだ一部の学校に限られるが、時間や場所に縛られない新しい学び方が学校での一斉授業になじめなかった子ども達に光をもたらしている。 (中略)
 オンライン化で思わぬメリットが見えてきた。 休みがちだった生徒がオンラインには参加し、学校再開後姿を見せた。 
 コロナ禍のオンライン学習で変われた子もいる。 某私立進学校に入学した中1男子生徒は、「人生で初めて」きちんと授業を受け課題を提出した。  その息子の姿を見ていた母親は、「魔法にかかったみたい」と驚く。 生徒は、画面を見ればいつ何をやればよいのか一目でわかる。 同級生の目を気にしなくてよく、学習に集中できる、と言う。
 某不登校者救済団体は、公立中学校でもオンライン授業を急いで欲しいと語る。 「学校に行きたくない子は、日によってオンラインを選べるようになればいい」
 オンライン学習は公立校で遅れが目立つのが現状。
 
 (以上、朝日新聞記事より一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私見に入ろう。
 
 欧米等先進諸外国では、既にオンライン授業は一般的なことだろう。


 我が国日本に於いては、何故これ程までにそれらの設備構築が学校現場(特に公立)で遅れてしまっているのだろう。
 それはまさに、政権(特に文科省)の旧態依然とした体質こそが諸悪の根源であろう。
 私が公立小中高校に通ったのは、5,60年前の時代だ。 我が娘がそこに通ったのが、1,20年前の時代(娘は公立は小学校のみ、中学校以降は私立だが)。 その両者間に4,50年の年月差があるにもかかわらず、(ちまちました文科省の改革らしきものはあったものの)実質問題何ら進化していない公立学校現場だったとの印象が強い。


 世界規模での“コロナ禍”との超非常事態に及んで尚、何故この国の政権は「教育改革」に着手出来ないのか??
 下手なアベノマスクを配布したり、「持続化給付金」問題で巨額の国家予算を喪失している場合ではなかろう。 
 その無駄金の一部を教育行政に回せばよい、との簡単な話だろうに…。 
 (安倍氏とは、どうしても一生掛けて自身の“お友達”好きな人種なのだろうねえ……)

 能力ある子ども達を国や自治体が大事に立派に育て上げてこそ、ゆくゆく国家が繁栄するとの観点に立ち戻って欲しいものだ。



 本日(2021.06.11)は時間不足のため、ちょうど1年程前に公開したバックナンバーを再掲載させていただきました。



 上記本文中に、我がIQに関する記載をしておりますが。
 当該幼稚園(4歳時)時代に、私は当時開園以来最高得点であったIQ168 を樹立しております。 
 通常IQは公表されないはずなのですが、この高得点に驚いた園教員が母に「自宅で何か特別教育でもしているのか?」と尋ねたとのことでした。(母の回答は、「一切しておりません」。 まさに何らの教育支援もしない親どもでした。) 故に、我がIQがオープンになっています。
 ただ、このエピソードが後々我が学業に対する自信に繋がったのは紛れもない事実です。
 いつも(私はできるはずだ!)との内心の後押しの下に、生涯に渡り学業や仕事に励んで来れているように振り返ります。