原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

本日(2023.04.24)「原左都子エッセイ集」トータルPV数が 10,000,000 を突破しました。

2023年04月24日 | 自己実現
  (冒頭写真は、本日先程我が「原左都子エッセイ集」画面より転載した本日のトータルPV数の写真。)



 PV数が900万を突破したのはいつの事だったか、すっかり忘却する程に。
 我がブログへの訪問者数、閲覧者数はここのところ激減傾向を辿っている。

 そりゃそうだろう。

 何らの営業活動をするでもなく。
 コメント欄は閉鎖状態を既に12年以上貫き。
 「いいね!」ポチポチごっこ にも不参加。 (これに関しては、読ませていただき私が気に入ったブログ記事には、何の下心も無く自然な形でポチをさせていただいております。)
 極めつけは、自己紹介欄に「相互扶助目的の読者登録はご遠慮下さい」と明記する始末… 😱 

 一番下の、「相互扶助目的の読者登録……」に対しては、各方面から批判・非難のご意見を頂戴したりもした。 

 それでも、この文言を我が「原左都子エッセイ集」の目次に残す決断をしたのは。
 実際に「相互扶助目的での読者登録」を望んでおられるブロガー氏が、少数かもしれないが存在するからに他ならない。
 いえいえ、それを全面的に否定する訳でも無いのだが。

 「オピニオンブログ」として開設直後より一貫してエッセイを発信している我が身としては。 とにかくそのポリシーを貫徹したいのだ!
 もしも、相互扶助目的で私がどなたかのブログに読者登録をして、“今後共々貴方と仲よくします” なる「契り」を交わしてしまったならば。 それにいつまでも束縛されそうに感じるのだ。
  こうなると、我が「オピニオンブログ」の趣旨に歪みが生じてしまう危機感もある。 

 いつもいつも今後も永遠に、フリーの立場で「原左都子エッセイ集」は原左都子の歪み無きオピニオンを発信し続けたい!!

 そんな思いで、あえて「相互扶助目的…」の文言を表紙に明記させていただいております。



 とにもかくにも 2007.09に開設した「原左都子エッセイ集」は、16年目を迎えている本日 PV数10,000,000 を達成致しました。

 参考ですが、IP(訪問者数)はここのところ低迷を続けている我がブログです。
 これは、まさに「オピニオンブログ」の宿命かとも理解しつつ…


 それでも今後共々オピニオンブログとして我が「原左都子エッセイ集」はこの世に蔓延り、力強く生き残っていく覚悟でおりますので。

 引き続き、何卒よろしくお願い申し上げます。


“この子の親で良かった” とつくづく思える親としての幸せ

2023年04月23日 | 仕事・就職
  本日のエッセイは、完璧“娘自慢”話題となりますので、その種の自慢話が苦手な方はスルーされることをお勧めします。



 高齢出産で産んだ我が一人娘が大学新卒で入社し 8年間正社員のIT技術者として勤務した企業を退社して、4月から新たな企業に再就業した話題は、少し前の本エッセイ集内で公開させていただいている。


 その再就職の日から早いもので2週間が経過した。
 親としては、(転職先企業が娘に合っているのか? 新たな職務がきちんとこなせているか??) と日々心配が尽きない。
 そうだとしても、既に29歳を過ぎている娘だ。
 やたらとせっついて、「どうだった? どうだった??」と騒ぎ立ててることは避けたいと、我がはやる気持ちを抑えて。 娘への連絡は週一でSMSにて確認することとしている。

 さて、第一週目の週末に届いた娘からのSMS回答は、以下の如くだった。
 「仕事のおおよその流れはほぼ把握できたが、未だに各業務の細かい流れが完璧に把握できていない部分がある。 今後は更に業務が増えるが、それに備えて着実な業務への取り組みとペースアップを目指したい。」

 以上は原左都子が多少編集したものだが。
 それにしても驚かされたのは、娘の文章が我がエッセイ集の文体と酷似していることだった。
 (手前味噌ながら、この娘、いつの間にこれ程の文章力を身に付けたのだろうか??)なる感想と共に、娘の成長を心より喜んだものである。)

 そして2週目が終了して一日過ぎた昨日土曜日に、2本目のSMSにて娘の新たな業務の状況を確認してみると。 業務にはかなり慣れて来たとの返答が返って来た。 これぞ、何よりである。

 それにしても、この2週間の親の心配とは裏腹に、娘がこれ程までに成長を遂げている事実を嬉しくも思い知らされた。

 亭主ともこの喜びを分かち合ったのだが、「この子、このまま定年まで2度目の企業で勤め上げそうだね。」と糠喜びし合ったものだ。


 ところで、娘の再就職先で娘は「品質管理業務」を担当しているのだが。
 IT技術者としてのデータ入力はもちろんの事、「実験業務」も担当しているらしい。
 「実験」と聞くと、まさに母親の私が医学業務に於いて医学実験を担当していた経験がある。

 娘が「実験業務」?? と聞いて最初はキツネにつままれたのだが、その理由がすぐに判明した。
 我が娘の大学の専攻が「実験」を要する分野だったことを思い起した。 入学時に「実験着」を購入して、大学で実験がある都度、母の私がそのレポートのまとめを手伝った記憶も蘇った。
 (参考のため、娘が大学時代に取得した資格とは「フードスペシャリスト」「フードコーディネーター」「食生活指導士」です。)
 通常、それらの資格を取得した学生達のほとんどは、その専門分野へ就業するのだが。 
 娘の場合は自身の持って生まれた特質である寡黙さ等々の適性を考慮して、自らが「IT技術者」となることを急遽目指し、大学卒業までにその分野の国家資格を自主的に取得したとの経歴がある。

 この度の娘の2度目の就職先にて「品質管理」分野での再就職が叶ったのは。 大学時代に「実験経験」がある事実と、8年間の「IT技術業務経験」の両者が認められた故だったのだと親としては改めて感銘させてもらった。

 やはり資格や経験とは一生に於いて役立つものであり、親としても娘の教育指導に於いてその点を重視して来た事実が活きた!、と嬉しい限りである。

 
 いま現在は社会的に特に専門分野において、若手専門職労働者不足だと見聞したりもする。

 そんな時代背景に於いて、娘に受けさせた教育課程や我が指導が役立っている事実に触れることが叶い。
 改めて、我が娘に対する「サリバン教育」に誤りは無かったと自負させてもらっている次第だ。

 何よりも “勤勉な働き者の娘”に育っている事実に、拍手を贈りたい母の私である。
 

「マッチングアプリ」よりも、現実社会で人と出会いませんか??

2023年04月22日 | 恋愛・男女関係
 と言ってみたところで。

 私が青春を謳歌していた時代と現代では、人間関係における諸形態が大幅に変化してしまっている。

 例えば「個人情報保護法」の成立などがその最たるものであろう。
 他者の個人情報にみだりに立ち入るべからず、なるこの法制度は、明らかに自分と他者との距離感を大きく隔ててしまった感覚がある。😩 


 我が青春時代(特に上京後)は、若者の間で“ナンパ”がそれはそれは凄まじい勢いで実行されていた。

 例えば繁華街を歩いていると、「ねえ、彼女。年いくつ? 名前何て言うの? よかったら、お茶しない??」 ってな具合だ。

 この私など、電車の中で声を掛けられたこともある。
 「すみません。 少しお話していいですか? もし時間があれば、次の駅で下車してお茶しませんか?」  この時は、時間が無くてお断りしたが。

 あるいは、新宿駅で電車を待っている駅のホームで声をかけられた。
 「彼女、これからどうするの? よかったらお茶しない?」 

 当時は「喫茶店でお茶」文化も盛んで、とにかくお話ししようよ! という訳だ。
 これなど、とりあえず話し合おうとの趣旨だが、出会いの第一歩としては至って健全と言えないだろうか。

 当時流行っていた新宿や六本木の“70年代ディスコ”へ行くと、ここは要するに男女の「ナンパ」出会いの場であったともいえよう。 
 
 年月が流れて、既に30代後半だった独身時代にも私はナンパを経験している。
 高校教師だったが、仕事の帰りにバス停でバスを待っていると、車が停車して運転手の男性が「駅まで行くんでしょ? 送るよ」と来る。 さすがに教職者でもあるし自分の年齢も考慮して、丁寧にお断りしたものだが。

 この「ナンパ」で恋が成立したことも、若き頃にはあった記憶がある。
 ただ基本的に一貫して“結婚願望”に欠落していた我が身故に、付き合いが長続きしなかったなあ。



 話題を変えよう。

 2023.04.21付朝日新聞夕刊記事「取材考記」のテーマは、東京社会部記者の29歳男性による「信頼性向上を アプリで結婚 胸張れるよう」と題する内容だった。
 この記者氏は1991年のお生まれ(現在31歳か?)のようだが、ご自身がアプリで出会った相手と結婚されたらしい。
 私見だが。
 朝日新聞記者といえば「エリート」であろうし、また仕事柄、現実世界での出会いも多そうに思う(?)のだが。 その身にして「アプリ婚」とは驚いた。😲 

 さすがにご自身が「アプリ婚」故に「(結婚の)きっかけはアプリ、と胸を張れる社会になってほしいと願っている」と、締めくくられているが。



 二人の関係がうまく行くならば、出会い方など何だっていいとも言えそうだが。

 原左都子の過去を振り返ると、「ナンパ」とは、ある意味では優れた出会い方ではないかと思ったりもする。

 少なくとも声を掛ける側は、相手の何某かを気に入って声を掛けたはずだ。(少なくとも、昔はそうだった。 ナンパしてきた相手から何らかの被害を受けた事は皆無だ。 もしもその気が無くて「ごめんなさい…」と一言でお断りしても、すぐに引き下がってくれて後味は何ら悪くはなかったものだ。)


 これに対し、現在は「マッチングアプリ」による被害も多発していると見聞する。
 実に“危険性の高い”時代に変遷している事実に驚かされ、辟易とさせられるが。
 まさに、人間関係が急激に希薄になった社会を物語る現象であろう。


 「マッチングアプリ」とて、人間関係のきっかけに利用されること自体を完全否定はしないが。

 とにかく如何なる出会いであれ、二人でとことん話し合う機会を共有しては如何だろう?
 それにより、自身達で良き出会いを引き寄せることに期待したいものだ。
 

「日本学術会議」の独立性の意義を守りたい!

2023年04月20日 | 時事論評
 冒頭から、2023.04.18付朝日新聞記事「学術会議、政府に猛反発 総会での説明法改正案『恫喝に近』 海外の学者も憂慮表明 人事介入の可能性残す 独立性の意義守れ」より、以下に一部を引用しよう。


 日本を代表する科学者の組織「日本学術会議」の会員の選び方をめぐり、政府と学術会議が対立を深めている。 17日にあった会議の総会で、政府側が「透明性を高めるため」に第三者を関与させる学術会議法改正案の内容を説明すると、会議側からは「独立性が損なわれる」と反発や批判が続出した。 会議側は18日の総会で対応を協議する。 (途中大幅略)
 内閣府は、諮問委のを経済界などから選ぶことを想定。 会議は「諮問委の意見を尊重しなければならない」と定めている。
 諮問委設置の狙いについて、笹川武・内閣府総合政策推進室長は「国民から理解され続けるためには、透明性の確保が最低限必要」と選考プロセスに外部の有識者が関わる事への理解を求めた。
 これに対し、学術会議側からは「学術の得率性を脅かす」「恫喝に近い」と反発の声が上がった。
 学術会議の会員は、諮問委の委員の選び方には政府の意向が反映されるため、政府の意に沿わない人は会員になりにくくなる可能性があると指摘。2020年に菅首相が6人の会員候補を任命しなかったようなことが繰り返される、との懸念が払拭できないという。(途中大幅略)
 問題のきっかけは2020年秋、当時の菅首相が学術会議が推薦した会員の人事に介入したり、6人の任命を拒否したことだ。 反発する学術会議に対し、菅氏は理由を説明せず、学術会議の組織批判に終始した。 (途中大幅略)
 一方の学術会議は、任命拒否の理由の説明や、拒否された6人の任命を棚上げにされたまま、一方的に改正案を進める政府・与党への不信感が根強い。(中略) 内閣府は今回の法案に自民党の提案を多く取り込んだ一方で、改革の当事者である学術会議への説明は後回しにしてきた。
 学術会議の梶田隆章会長は「現会長として重大な決意を持ってこの問題に取り組む」と繰り返してきた。 進退をかける意向を示したと受け止められており、法改正を強行すれば、学術会議幹部の退陣など、混乱が広がる可能性もある。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 私め 原左都子は、この「学術会議問題」を 2020秋当時の菅首相による「6名の任命拒否」事件以降、幾度となく我がエッセイ集にて取り上げてきている。

 まったくもって、科学ド素人・菅氏の「6名の任命拒否」のやり口がとてつもなく許し難かったからに他ならない!


 その後2年半の年月が流れているが。
 この問題が未だ学術会議側の意向尊重ではなく、相変わらず内閣府の“思う壺”の方向に流れて動いている事実が、実に嘆かわしい。😫 😡 

 この内閣府の動きとは、まさに「学術の独立を脅かし」、「恫喝に近い」ものとしか言いようが無いであろう。

 朝日新聞記事内では、この政府(内閣府)の動きを以下のように表現している。
 「不確実性の大きな現象が長期的にもたらす危機に対し、目先の利益を重視しがちな政治や経済の観点だけで判断すると政策を謝りやすい。高度な専門知識と幅広い視野に基づいた政策提言が欠かせない。」
 「各国のアカデミーで作る『国際学術会議』は政府からの独立性が参加の条件だ。」
 「政府が法改正を強行すれば、日本は学術の独立性を守れない国として世界に受け止められるだろう。 政府は任命責任問題で、すでに学術の独立性を踏みにじっている。世界から優秀な研究者を集める支障とならないか。 日本の研究力回復の足かせになれば、本末転倒だ。」


 まさに、朝日新聞結論の通りだ!!

 ここはどうか、「現会長として重大な決意を持ってこの問題に取り組む」との宣言をされている ニュートリノ研究にてのノーベル物理学賞受賞者・梶田隆章氏の、ご自身の研究を犠牲にされて??までの訴えに。

 内閣府も少しは国際科学感覚を養いつつ、今後の言動を慎んで欲しいものだ。
 

区営「みどりバス」の“拡充”よりも、区民の “利用しやすさ” の工夫を

2023年04月18日 | その他オピニオン
 原左都子が住む都内某区でも、4月23日(日)に区議会議員選挙が控えている。


 我が家の集合住宅の南面が町内の幹線道路に当たるのだが、ここのところ日々“選挙カー”がスピーカーで選挙運動の真っ最中だ。

 昨日の日曜日に、その一つの選挙カーに乗った女性候補者がスピーカーで訴えるには。
 「みどりバスの“拡充”を実現します!」
 
 「拡充」という事は、今後もっとバス数を増やすという意味か???



 このみどりバスに、私も“左膝複雑骨折”の通院でしばらくお世話になった。

 手術後間もない頃は、ずっとタクシーにて病院通いを続けたのだが。
 松葉杖が何とか利用可能になって以降は、みどりバスを利用して病院まで直通で通った。

 その乗車のレポートを当該エッセイ集内にても、幾度か公開しているが。
 今一度乗車の感想を述べるならば、とにかく、高齢者や身障者でない限り“利用しにくい”の一言である。
 いえ、この私とてれっきとした「高齢者(65歳以上との意味合い)」なのだが、自分で言うのもなんだが どう見ても高齢者に見えない事実を自覚できている。😜 😖 
 そこで、いつも乗車する時には運転手氏に「運転免許証」を提示しつつ「65歳以上です」と声高々に訴えることにしていた。

 それでも、バス車内で大いなる違和感を抱き続けるはめとなった。
 一応「松葉杖」をついているため、乗車している皆さんには“脚が不自由である事実”は伝わったであろう。
 ところがどう贔屓目に見ても、この私が突出して一番若い?!?!
 車内を見渡すと、地味な服を着たお年寄りばかりだ。 そんなお年寄りが乗車してくると、たとえ脚が不自由でも席を譲らねばならない義務感でがんじがらめになったものだ。(実際には、座ったり立ったりの動作に難儀するため、返って迷惑かと考えて病院まで座っていたのだが…)
 
 そこで松葉杖を病院へ返却して後は、みどりバスの利用を一切合切やめて、電車にての通院にきっぱりと切り替えた。(事前に、自主訓練を何度もやりました。)
 この方が、ずっと気が楽だからに他ならない。



 そんな“みどりバス”経験をつい最近までした私としては。

 我が家の近くにて「みどりバス拡充」を訴えていた区議会選挙立候補者に、一言物申したい。

 “拡充”よりも、区民が真に利用しやすい「みどりバス」であって欲しいと。

 これには、他にも理由がある。
 現在のところ、「みどりバス」の利用者数自体は 朝夕の混雑時を除けばさほど多くないのだ。
 
 現在のみどりバス内の光景とは、まるで“老人用福祉バス”なのだが。
 これを、それこそもっと乗客層を拡大して、真なる福祉バスとなるような体制づくりを願いたいものだ。
 例えば、私のように“骨折で病院通いをしたい市民”等も肩身の狭い思いをせずに安心して乗車できるような体制等々。 



 昨日も大規模公園内をウォーキングしていると、すぐ隣の道路を「みどりバス」が通り過ぎた。 
 ちょっとバス内を覗いてみると、やはりバス客は少数だった。

 区議会議員氏の言う「拡充」の意味も不明だが。
 
 せっかく運営している区民のための「みどりバス」を、もっと多くの区民が有効活用できる方向性で区は改革を進めて欲しいものだ。