原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「簡単に得たものは、またたく間に失われる」

2023年04月16日 | 自己実現
 冒頭の表題は、2023.04.14付朝日新聞「天声人語」より引用したものである。


 早速、当該「天声人語」の一部を、以下に要約引用しよう。

 日本各地の大学で入学式が開かれた。 学長らは何を新入生に語りかけたのだろうか。 式辞のなかに、いまという時代を探してみた。
 「リポート作成に際して使用することなど、ゆめゆめ考えないでください。」 話題のチャットGPTなどの人工知能について、信州大の学長はそう強調した。 「簡単に得たものは、またたく間に失われる。」 新たな技術を学問にどう取り入れるか、どの大学も悩ましいことだろう。
 コスパならぬ、タイムパフォーマンス時代に対する懸念も示された。 「タイパで得た知識で十分か」と広島大の学長。 動画の早送り視聴など、効率優先の風潮への疑問である。 アインシュタイン曰く、「重要なことは、問うのをやめないことだ」と。

 (以下略すが、以上朝日新聞「天声人語」より前半部分を要約引用したもの。)



 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 「原左都子エッセイ集」カテゴリーとして、「学問・研究」「左都子の市民講座」との項目があるのだが。
 それらのカテゴリーの中に、我が2度目の大学・大学院にて学んだ学問の講義ノートよりの引用を数多く掲げている。
 例えば、「自然科学概論」「科学哲学」「法学概論」「憲法」「民法」「商法」等々……

 少し前まで、それらの閲覧が日々数多い感覚があった。 
 ところがここにきて、その閲覧が激減している感がある。

 これぞ、「チャットGPT」に取って代わられたか????😱 

 真相は不明だが、実際今の世の中は急激に「チャットGPT」が普及した感がある。 (いえいえ、この私はその利用経験が皆無のため、実態を全く知らないのだが…)
 我が想像では、それを利用する方が ちまちまネット情報を引用したり、はたまた図書館でするより直接的であり、すぐに利用可能なのであろう。

 だからこその信州大学長の式辞だったはずだ。 「簡単に得たものは、瞬く間に失われる」。

 これがネットよりの引用となれば、大本の資料をコピーしたり手書きで写したりする“作業”が発生するであろう。 
 この私もずっと過去に大学の卒論や修士論文を書くに当たり、図書館等で探してきた目的学問の資料等々をコピーしたり、手書きで写したりしたものだ。 それらの作業こそが、自身の学力向上の手段ともなったものだ。

 やはり学問の成就とは“簡単に得て”は叶わないものと、私も実感する。 調べたり写したりするその作業過程こそが、自身の身となり力となるものだ。


 これは、引用箇所の後半部分に書かれている「タイパで得た知識で十分か」。 アインシュタインの「重要なことは、問うのをやめないことだ」にも繋がるであろう。


 学問(学業)とは時間をかけて苦労して成してこそ、自身の血となり肉となり身となる性質のものであり、そうしてこそ真の達成感や成功感が得られるものではなかろうか?!?

 特に勤労学生だった我が2度目の大学・大学院時代には、まさに学業に割く時間を配分・取得するのも日々の弛まぬ努力の賜物だった。
 ただ そうやって苦労して成してきたからこそ、私にとってはそれらが一生に渡って貴重な我が資産であり得るのだ!

 その意味で、「チャットGPT」や「タイムパフォーマンス」が一般的になりつつある現在の学問環境を、この私も多いに懸念する。😫 


 それにしても複数の現役大学学長氏が、入学式の式辞にて これらの現在特有の諸問題を盛り込んだ事実を、評価申し上げたいものだ。


再掲載 「映画『アリエッティ』にみる“等価交換”のあり方」

2023年04月15日 | 人間関係
 本日は我が新たなエッセイを公開しない予定だったのだが。


 先程、「原左都子エッセイ集」バックナンバーに寄せられている昨日のエントリーナンバーを読み返していて。
 私自身が読み返しても、(僭越ながら)興味深いバックナンバーを数本再発見した。


 その中から、本日は表題のバックナンバーの一部と、お寄せいただいたコメントを以下に再掲載させていただこう。

 
 さてここで原左都子なりに「借りぐらしのアリエッティ」を論評してみるに、この映画には大きく2つのテーマが内在していたのかと分析する。

 そのテーマの一つは「出会いと別れ」であろう。

 まずこの映画は、小人(こびと)族一家の一人娘である14歳、身長10cmの少女アリエッティと、人間の少年翔との出会いと別れが綴られた物語と集約してよいであろう。
 2人が出会い、短い期間ながらも2人の心が徐々に触れ合っていく過程、そしてその後宿命とも言える別れが展開する物語である。
 いやいやいつの時代も、相手が人であれ物であれそしてこの映画のごとく“小人”であれ、「出会い」や「心が触れ合っていく過程」とは刺激的で感動を呼び起こすものである。 その感動が大きい程に「別れ」とは辛く切ないものであるのを実感させられる思いで、涙もろい原左都子は終盤では泣けてしょうがなかったものである。
 (それにしても、今時映画館で泣いている人を見かけないけど、皆さん“変人”と思われることを回避するために涙をこらえているのだろうか??)

 そして、この映画のもう一つのテーマとは映画の公式サイトにおいて公開されているキャッチコピーが表現しているがごとく、「人間に見られてはいけない」との小人族の「掟」である。

 この「掟」が物語る背景をここで少しだけ紹介しよう。
 この映画の小人族は人間が住む家の床下に住居を構え、人間の日常の食料品や生活品を“借りながら”暮らしているのである。
 “借りる”と表現すると体裁がよいが、原左都子がその実態を厳しくも正確に表現するとその実は“盗み”である。 この物語の小人族の間では“借り”を“狩り”と表現しているごとく、人間の目を盗んで床下から人間の住居空間へ命がけで忍び込み、“狩り”と称した“盗み”により収穫した食料や生活品を自分達の生活の糧として生計を立て暮らしているのだ。
 
 人間の少年翔がアリエッティと初めて心が通じた時に、翔がアリエッティを一目見て「きれいだ…」と表現してアリエッティを受け入れた後に、語った言葉には真実味があった。
 (原左都子が憶えている範囲で記述するため、不正確であることをご容赦下さいますように。) 「人間の世界人口は今や68億人。それに対して、君たち小人族は絶滅寸前なのだろうね…。(以下略)」
 当然ながら反発するアリエッティ。「私たちは絶滅なんかしない! 私は人間に見つかってしまったからここを出るけど、仲間もいるし、新しい住みかで生き延びる!」
 翔は自分の発言をアリエッティに詫び、アリエッティの生命力に勇気付けられることになる、という後々のストーリー展開である。

 この映画のキャッチコピーが何故に「人間に見られてはいけない」であるのかに関して、そのキーパーソンとなっているのが翔が滞在している叔母宅のお手伝いのハルである。 ハルの声優を演じているのが俳優の樹木希林氏であられるのだが、そのインパクトは強烈である。 この樹木希林氏によるハルこそがこの映画の真の存在証明でもあり、良かれ悪しかれストーリー展開上最重要の“立役者”であると原左都子は位置付ける。

 人間の食料品や生活品を“狩り”して自身の生活を正当化している小人族を「泥棒」であるとハルは表現する。 そして「泥棒」は駆除して排除するべきと判断するハルは“ねずみ駆除業者”に床下の“小人族一家”の駆除を依頼するのである。
 冷静に判断した場合、ハルの一見残虐とも捉えられる行動には“整合性がある”と原左都子は考察するのだ。 これこそが、多くの善良な一般市民が普段選択している“単細胞にして明快”な行動パターンの集約であると結論付けることも可能なのではあるまいか?

 別の視点から考察すると、一般的な人間同士において対等な関係を築こうとする場合、そこには様々な意味合いで「等価交換」が成り立っているべきはずである。 アリエッティと翔との関係においては、短期間とは言えども2人の“心の触れ合い”が築き上げた関係においてこの「等価交換」が既に成り立ったと判断できる。
 一方で、アリエッティの両親にとっては今尚人間とは「見られてはいけない」強弱関係から脱却できてはいないのだ。 その視野とは、人間であるお手伝いのハルの思考と実は同レベルなのである。 悲しいかな、アリエッティ一家はやはり引っ越すしか手立てはなかったのである。
 
 スタジオジブリの関係筋によると、この映画は「ものを買うのではなく、借りてくるという発想により今の不景気な時代を表現しようとしたものである」等の表明があるのだが、そこに一理はあろう。
 ただ原左都子の理想としては、強者弱者が入り乱れる現在の現実社会においてもその人間関係において必ずや種々の「等価交換」が成り立っていて欲しいのだ。 「等価交換」と言うと表現が機械的であろうから最後に言い直そう。

 この映画が切なくも表現したアリエッティと翔との心の触れあいこそが、人間関係における真の「等価交換」ではないのだろうか。

 

  Comments (2)

 継続はウニ (ドカドン)2010-08-06 20:42:43

「等価交換」って、機械的?だったら「物々交換」か?でも、心の触れあいは、「物々交換」では、おかしい!
 心を通わせるのは難しいが、続ける事なら出来るのかな?
 ただ、得意分野と不得意はありますが、続けて行ければ・・・。


 ドカドンさん、継続できる関係こそが真実なのかと私も思います… (原左都子)2010-08-06 22:26:22
 「アリエッティ」の物語において欠落しているのが「等価交換」だと直感で思った私です。
 それはアリエッティと翔との関係においてではなく、この映画の物語における“人間と小人族”との関係においてです。
 アリエッティと翔との関係においては、確かに“心の触れ合い”が成り立ちました。
 ところが、アリエッティの両親と人間との関係においては単に“強者と弱者の関係”以外の要素がないからこそ、強者である人間に“盗み”が見つかったならば、弱者である小人族は「転居」という選択肢しかないのです。
 いい大人にとって、今さら“心の触れ合い”と言われても思春期でもあるまいし、確かに戸惑うしかありませんよね。
 ドカドンさんが書かれているように、“心の触れ合い”とまでは言わなくても、何気なく“続けていける”関係を築ける事こそが、大の大人同士にとっての真の「等価交換」なのかもしれないですね。


 (以上、「原左都子エッセイ集」バッグナンバー 及び それに頂いたコメントを再掲載させていただきました。)


企業では “人事異動 ”の4月ですね

2023年04月14日 | 仕事・就職
 この原左都子も、新卒入社した医学関係企業内の人事異動を29歳の春に経験している。

 実はその頃、私は社内では極秘で2度目の大学進学を志していた。
 そのため我が29歳時の春とは、怒涛の如くの変動の時期だった。
 ただ、社内では我が大学進学を極秘にしていたため、それを一言も漏らさずに事を進めるしかなかった。

 とにかく、勤務企業の最前線にての医学作業現場を去る事のみは決定していた。
 さて、一体何処の部署へ私の異動辞令が出るのだろうと思っていたら。
 やって来た指令は、「人事部教育課」であるという。

 我が心内では、(この医学関係企業では、最後の1年だ。ただ、1年後にこの企業を去るとは言えども、“我が人生に於いて悔いの無い1年を送りたい” との身勝手な意志も強靭だった。)

 さて蓋を開けてみると。
 人事部教育課での我がメイン業務が、全社員(間接部門では医学素人が多かったが)向けの「臨床検査を網羅した200ページほどの冊子」を1年間で執筆するというのが、第一義の指令だった。

 最後の年とは言えども、何とラッキーな仕事が舞い込んで来た!! とその幸運を心より喜んだものだ。
 元々、共同作業がさほど得意ではない人格の私だ。 医学業務最終段階で本を単独執筆させてもらえるとはこんなラッキーは無い!!と本気で感激した。

 ただしそんなに甘くはなく、教育課本来の業務(社員教育等々)も怒涛の如く押し寄せて来た。
 時は4月。 ちょうど新入社員教育の時期だ。 毎年教育課が主催してその新人教育が実行されるのだが。
 当然ながら、私には医学業務に配属された各課の新入生相手の「医学専門教育」が待ち構えていた。
 まあこれは、得意技だったかな??  とにかく、元々学業好きの私だ。 それまでの我が専門だった「細胞性免疫」分野のみならず、ほぼすべての医学分野を網羅出来ている自信があったため、比較的スムーズに新人教育をこなし終えた。
 (余談だが、新人教育最終日に新人達を引き連れて新宿の盛り場にて酒宴を執り行ったのだが。 飲兵衛の私の飲みっぷりに新人達が驚いていた😲 のが思い出深い。)

 それが終了した後も、間接部門各課での“個別医学教育”も実施した。
 受講者の皆さんは医学素人とは言えども、皆私より先輩社員ばかり。それにもかかわらず、皆さんが熱心に我が講義に耳を傾けて下さったのが実に有難かった。

 それらの合間に、我が主たる業務である「臨床検査を網羅した200ページ程の冊子」の執筆に励んだ私だ。 何分他の業務をこなしつつの執筆だ。
 正直言って集中力が途切れることもあったが、無事に3月には発刊に持ち込めた!


 実は、私はその陰できちんと大学入試勉強にも励んでいた。 
 一体いつ勉強したんだ?? と皆に不思議がられたが、我が勤務企業が完全週休二日制であったことに大いに助けられた。 土日は脇目も振らずに受験勉強に励んだことを、誰も知らなかっただろう。
 お陰様で、4月には二度目の大学の入学式を無事迎えることが叶った。

 そのちょっと前の3月に、社内少人数(上部管理職員がほとんど)で我が送別会が催された。
 その際にわざわざ出席して下さった副社長(某都市銀行頭取経験者)より、「貴女は当社を退職して2度目の大学へ進学するらしいが、一体何を専攻するんだ?」
 私応えて、「経営学(実際には「経営法学修士」を取得した)です。」
 副社長曰く、「そんなものボクが教えてやるから、馬鹿なことを言っていないで貴女は我が社で医学を続けなさい!!」

 これぞ、最高の“贈る(送る)言葉”だった。 (この事実はバックナンバーにても数回公開しているが。) それ程に、我が人生に於いて忘れ得もしないこれ以上無い 素晴らしい“贈る言葉”だった。😭 



 さてさて、最後に話題を「企業の人事異動」に戻そう。

  2023.04.13付朝日新聞内に「異動に不満 どうする?」と題する記事があったが。
 人事異動には不満がつきものの様子だ。
 例えば、入社10年目にして出世コースから「左遷」されたり…

 いえいえ上記我が事例も、そもそも会社側は「左遷」目的だったのかもしれない。
 それでも、そんなことは私にとってどうでもよい事実だった。
 そう思えたからこそ、私は我が新たな業務である「一冊の医学書執筆」なる超恵まれた業務を単独でやり遂げることが叶ったのだと、今更ながら実感する。


 あの充実した我が医学企業勤務の最後の1年の日々と、副社長からの最高の贈る言葉を、私は一生忘れることは無い。
 

本日も、郷里の母が入院した病院の看護師氏より“母の入院レポート電話”を頂いた!

2023年04月12日 | 医学・医療・介護
 いやいや、病院のこのご丁寧な対応には恐れ入った。


 昨日の夕刻にも、郷里の実母が「第8腰椎圧迫骨折」にて入院した実母が入居している高齢者自立支援施設の本元である某病院(要するに、実母が入居している高齢者自立支援施設は現在入院中の病院付属施設に当たる。)の看護師長氏より、東京に住む私のスマホ電話までご丁寧なごあいさつ電話を頂戴した。
 
 それだけでも十分なのに。
 本日午前中にも再び、今度は本日実母を担当して下さっている看護師氏より東京の私のスマホまでご連絡を頂いた。

 その内容とは、今後実母のリハビリを開始するため、リハビリ施設と同階の部屋に病室が移った旨の報告だった。

 それを看護師氏より伺って。
 そう言えば、我が左膝複雑骨折手術後にも まもなくリハビリが開始したことを思い起した。 理学療法士氏が我がベッドまでやって来て、寝た状態でのマッサージ中心のリハビリを実施して下さったものだ。

 実母の場合は骨折場所が腰椎のため、しばらく歩行は困難と推測するが。 おそらく身体を動かせない故の全身の衰えを防止する目的で、理学療法士氏が身体のマッサージや動かせる手足等の軽めの運動を実施して下さるのであろう。


 今回の看護師氏との会話で面白かったのは。

 実母が次女の私に病院まで来て欲しいと嘆願しているにもかかわらず、なぜ私が病院へ行けないのかの理由である「左膝複雑骨折」の実態を説明し始めると。
 かなり驚かれた😱 様子で、「そうだったのですか! ナンタラカンタラ…」と話が弾んだことだ。

 やはり、整形外科分野の看護師氏は当然ながら「膝骨折」も十分にご存じであろう。  親子揃って、よくぞまあ時を同じくして「骨折」の災難に遭ったものだとでも感じられたのかもしれない。😖 

 
 実母からは電話が無いのだが、その理由とは病棟内の患者の携帯通話を禁止している故と私は理解している。 (私の入院中もそうだった。 ある程度歩けるようになって以降は、指定された通話可能場所まで行って、電話したものだ。)

 我が実母は 話が長いし、いつも内容がとことんくだらないのが特徴であるため。 この病院の措置には感謝したい程だ。
 
 今後も、実母からの電話よりも、病院担当者氏よりのお電話をお待ち申し上げたいのが本音の私です。

 病院付属高齢者施設に、実母が既に長年入居しているとの理由が大きいのかもしれないが。

 とにもかくにも、ご多忙であろう病院担当者氏よりの日々の電話にての実母の容態報告に、感謝申し上げます。😃 
 

郷里実母の「腰椎圧迫骨折」騒動

2023年04月11日 | 医学・医療・介護
 今朝6時過ぎの事だ。 

 ベッドで睡眠中の我が枕元のスマホ電話が鳴る。

 寝とぼけつつ、(何なんだ?? こんな時間に。 どうせろくなことがないぞ…)と思いながら電話口に出てみると。

 やはり、予想通りろくでもなかった。😱 
 電話主は郷里の高齢者自立支援施設に暮らす実母だったのだが、「腰を骨折してしまって、身動きが取れない。 今日病院へ行く予定だが、すぐにこちらに来てくれないか? 云々…」
 (ちょっと待ってくれよ)と思いつつ、「施設のスタッフの皆さんには骨折の件を相談したのね? それでスタッフの誰かが、家族を呼べと言ったの?? あなたもご存じの通り、私は現在左膝複雑骨折で未だ左膝に骨をまとめる針金が入ったままなのよ。」 (無理をすれば行けるけど、それにしてはちょっと遠いなあ… )
 間髪入れず実母が、「すぐに来て欲しい。 しばらくは、さっちゃん(実母の妹、私にとっては叔母にあたる人で、郷里でずっと実母の世話を懇親的にしてくれている人物)のお宅でお世話になろうと思っているのだけど…」
 私が遮って、「骨折しているんでしょ?? そんな身体でさっちゃん宅でお世話になれる訳が無いでしょ! だいたいあなたは、いつもいつもさっちゃんにおんぶに抱っこし過ぎだよ!!」
 半ば腹立たしく応えながらも、「とにかく今は時間が早いので、9時過ぎ頃に私があなたの施設へ電話を入れて確認するから、それまで待って。」と告げて電話を切った。

 そして、9時過ぎに施設へ電話をかけると。
 施設担当者氏曰く、「本日午前中に、病院へ連れて行きます。 診察が終わりましたら東京の次女様(私の事)へ電話をさせていただきます。」

 11時頃になって、施設のケアマネ氏より電話が掛かって来た。
 診察の結果、やはり「第8腰椎圧迫骨折」との事で、およそ1か月間の入院が必要との返答だった。
 とても親切なケアマネ氏だったので、ついつい私は身勝手な相談をした。「実はこの私は左膝複雑骨折中で、現在も針金が膝に挿入された状態です。 近場の歩行は何とかなっていますが、郷里まで航空便等々を乗り換えて行くとなると多少の不安があります。 できましたら、そちらまで行くことを避けたいのですが…」
 一応 ケアマネ氏は承諾してくれつつ、母の入院に当たって必要書類の記入をお願いしたいとのことで、それを東京の我が家まで送付して下さるとのことだ。


 その後、母からは一切の連絡が無い。
 これは現在に至っては母の入院が決定して(既にスタッフの力添えで既に入院して病院のベッドで寝ているのか?)、母が安堵している証と私は捉えている。


 そう思えるほどに、今朝6時の実母からの電話は尋常では無かった。
 そもそも、朝の6時に電話寄越すなよ! と言いたくもなる。
 元々そんなに仲良しの母娘でもないし、私が20代前半期に上京して以降、お互いに母娘らしき付き合いをした訳でもない。
 特に母側は、私が30歳時にマンションを単独で購入した時に初めて東京へやって来て以来、一度も東京で暮らす私の処へ来ることは無かった。 高齢出産の孫が生まれてから一度やって来たかな?

 少し思い起すに、独身が長かった私がたまに郷里へ帰省すると、母が洋服を買ってくれたりしたが。
 特に父親が60代後半期に突然死した後は、私が孫である我が娘を郷里へ連れて帰っても実母が娘の目前で悪態ばかりつくため、いつも実母宅では寝泊まりせずホテルを予約して娘と2人でそこで寛いだものだ。
 その割には高齢者自立支援施設へ入居後も、依存するのは次女の私ばかり。 (米国の姉が何らの役にも立たないとの辛い事情もあるのだが…)
 実母はいつも、「米国は遠いから日本まで来させるのは申し訳ない」等々と言うのだが。 そんなの親子関係で持ち出す話じゃないだろ!?!

 距離の問題ではなく、ハートの問題だ!
 とにかく、実母にとって使い易いのは次女の私と言うことだろう。


 とにかく実母の骨折入院が決定して、施設のケアマネ氏等々のご助力により実母は無事に入院を済ませた様子で 一応安堵している私である。

 しばらく様子を見て(施設のケアマネ氏に実母の容態を電話で確認しつつ)、どうしても親族が実母の面倒を見る必要があるようならば。

 この下の娘の私が、郷里の病院まで行きます。
 それまで病院の担当者の指示に従いつつ、実母のあなたは静かに病院で暮らして下さい。