不注意から転倒し、右手を使うことができなくなった。この体験で考えたことがある。
両手が動くのは当たり前で60余年を過ごしてきた。動かなければどうなるかなんて思ったことはない。いざそうなってみると、左手の役立つことを発見と同時に両手でしかできないことも多いことが分かった。まず顔が洗えない、ポンプ式の容器に入ったシャンプーなどもだめ、布団が扱えない、鋏でものが切れない、衣服の脱ぎ着もむずかしい、などなど不便極まりない。
栄で憲法9条を問うシール投票を不自由な手で手伝っていてこう思った。 シール投票に協力してくれる人々は、憲法9条に多少の差はあっても関心のある人。無視して行ってしまう人は9条を変えたいと思っているか、ほとんどは関心がないかだろう。 関心がない?・・・・そう 転ぶ前の私の右手のようにあって当り前。でも私の右手はそのうちにもとにもどるけれど、9条は機能しなくなってから、その大切さを痛感したのでは遅い。
頑として無視して行くのは中年の世代が多い。生活に追われていてそれどころではないのだろう。しかしいざ失って、後悔しても遅い。想像力を働かしてほしい。
9条が力をうしなった世の中がどうなるかを。