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パレスチナ問題とは何か ⑤   ウィキペディアより

2009年01月15日 22時08分48秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
●これで、ウィキペディアによる「パレスチナ問題とは何か」という比較的客観的な歴史的事実の紹介を終わります。長い引用で恐縮でしたが、パレスチナ問題論議に役立てば幸いです。  (ネット虫)
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「2008年~2009年ガザ侵攻」

★イスラエル「暖冬作戦」

2008年2月28日、来日中のオルメルト首相は、コンドリーザ・ライス米国国務長官と会談し、同日帰国した。オルメルトは、攻撃の自重を求めるライスに対し、「脅威が去るまでは(攻撃を)続ける」とこれを拒否した。また、2月29日、イスラエルのマタン・ヴィルナイ国防副大臣は、「カッサムロケット弾がさらに撃ち込まれ、遠くまで着弾するようになれば、パレスチナ人はわが身のうえに大規模なהשואה(shoah、ショアー、ナチスによるユダヤ人大虐殺を意味する)を引きよせることになるだろう。というのは、我々は防衛のために全力を使うからだ。」[12]と述べ、ハマースが攻撃を止めないならば、パレスチナ人を大虐殺すると脅した。この発言にイタン・ギンツブルグ国防副大臣などは、「ショアーは災害を表す普通名詞で、ジェノサイド(大量虐殺)を意味しない」[13]と火消しした。ハマースは、この発言に「(やはりイスラエルは)新しいナチス」であったと反発した。

3月1日、イスラエルはガザ地区への地上部隊の侵攻を本格化させ、この日だけでパレスチナ側に61人の犠牲者が出た。イスラエル軍は、これを「暖冬作戦」と称している。イスラエル軍が、ハマースのロケット弾攻撃による死者が出たことを理由に(ただし、それ自体イスラエル軍の空襲で、ハマースに5人の死者が出たことに対する報復)攻撃を激化させた2月27日以降、ガザ地区からひとまず撤退した3月3日までの6日間に、パレスチナ側は116人(約半数は非戦闘員)、イスラエル側は3人(1人は非戦闘員)殺害されている。3月2日、国連の潘基文事務総長は、イスラエルに作戦中止を要請し、またハマースのロケット弾攻撃を「テロ行為」と批判した。しかし、イスラエルのオルメルト首相は「テロとの戦いをやめるつもりはない」と作戦継続を宣言し、これを拒否した。同日、パレスチナ自治政府のアッバース大統領は、ガザ侵攻を止めるまで和平交渉の中断を発表した。

3月3日、イスラエル軍はガザ地区から撤退し、ハマースは勝利宣言を出した。しかし、オルメルト首相は「寛大な措置を施す時期ではない。(パレスチナへの)応戦を続けるが、応戦は具体的な作戦や日時に限ったものではない」と再侵攻の意志を示し、さらにあるイスラエル政府高官は、3月4日と5日にライス米国務長官がイスラエルとパレスチナを訪問する予定に触れ、「(ライス)長官の訪問に合わせ、二日間の中休みを取っただけ」と言った[14]。3月4日夜、イスラエル軍は戦車で再侵攻を行い、武装勢力幹部宅を襲撃し、幹部と来客の乳児を殺害。幹部の子ら数名を連行して引き揚げた。ライス米国務長官は、アッバース大統領に対し、ガザ侵攻中止は和平交渉再開の条件にはならないとの見解を示し、またイスラエルのガザ侵攻については、「自衛の権利があることを理解する」とこれを容認した。アッバースは、和平交渉の再開は認めたが、双方の見解の相違もあり、具体的な日程の見通しは立っていない。イスラエルは、「暖冬作戦」の第2弾として、都市に隠された武器捜索を予定しているという。

3月6日、イスラエルの神学校にパレスチナ人の男が乱入、生徒ら8人を射殺し、男はイスラエル治安当局に射殺された。神学校は、ユダヤ人入植者の思想的拠点だった。アッバース大統領、米ブッシュ大統領、潘国連事務総長らは相次いでテロ非難声明を出した。また、ブッシュ大統領は、オルメルト首相に電話で弔意を伝えると共に、「米国はイスラエルを強く支持する」と述べた。一方、ハマースは「(パレスチナ人)虐殺に対する自然な反応だ」と、犯行を支持する声明を出した。米国は、国連安保理でテロ事件として非難声明の採択を要求したが、リビアがイスラエルによるパレスチナ攻撃も非難すべきと主張し、採択は見送られた。犯行そのものについては、ハマースが認めたという報道[15]と、ヒズボラ関係者とする報道[16]があり、情報は錯綜している。
3月10日、エジプトの仲介で、イスラエルとハマースは当面の攻撃自制に同意した。しかし、オルメルト首相は「軍はガザで必要なだけ行動する」と述べており、また停戦の条件として、ハマースはイスラエルのガザ封鎖解除を、イスラエルはハマースの武器密輸停止を要求している。3月12日、イスラエルはベツレヘムなどでイスラム原理主義組織イスラム聖戦の幹部ら5人を暗殺し、イスラム聖戦はガザ地区からロケット弾で報復攻撃した。イスラエルはガザ地区を空襲し、イスラム聖戦の戦闘員4人を殺害した。

一方、パレスチナ自治区内のイスラエル入植地については、3月9日には、イスラエルは「9年前に決定していた」ことを理由に、ギバットゼーブ入植地の拡大を決定した。日本や国連などは、入植地拡大に懸念を表明した。3月31日にも、「拡大凍結の対象外」と主張し、東エルサレム郊外の入植地増設を発表した。ライス米国務長官は、「入植を止めるべきだ」と批判した。一方、イスラエルが設けている400以上の検問所・道路封鎖について、約50箇所で撤去を発表した。

4月に入ってもガザ地区での攻撃は続いており、4月中だけでパレスチナ側は46人以上、イスラエル側は10人の犠牲者が出ている。この他、4月16日には、ロイター通信のファデル・シャナカメラマンが、イスラエル軍の砲撃で殺されている。また、イスラエルは国連人権委員会によって調査のためにイスラエル入りする予定であったリチャード・フォークの入国を、「イスラエルの行いをナチスと比べるなど、調査官として不公平」という理由で拒否した。

★半年間の停戦

6月19日、エジプトの仲介でハマースとイスラエルは6ヶ月の停戦に踏み切った。断続的に衝突は続くもののまだ平和であった。しかし、11月4日、イスラエルはエジプトとの地下通路が掘られているという理由で空襲した。その結果、ハマースは停戦中として攻撃を手控えたが、イスラム聖戦などが報復としてロケット弾を発射し、緊張が高まった。停戦期間中、パレスチナ側は20人が殺害されたが、イスラエル側の犠牲者はなかった。[17]
12月に入り、再度エジプトの仲介のもとで停戦延長をイスラエルは試みたが、ハマースが「イスラエルがガザの封鎖解除に応じなかった」と主張し、延長を拒否したため12月19日失効した。イスラエル側は、当初の合意事項であった「ガザに対する封鎖の段階的解除」は実質行われており、武器兵器などは勿論論外であるが人道物資などを初めとする様々な流通があったとしている。しかし、11月4日以降、封鎖は再び厳しくなり、赤十字社はガザの状況を「破滅的」と報告した。国連調査官のリチャード・フォークは12月9日、イスラエルが流入を認める物資は「飢餓と病を避けるにはギリギリ」であり、イスラエルによる「パレスチナ人への集団的懲罰は人道に対する罪」であるとの見解を示した。

ヨルダン川西岸地区では、12月12日、イスラエルは主要入植地4箇所を含む西岸の6.8%を自国領として併合し、難民の帰国を5000人にとどめる提案を行った。イスラエルは当初の要求であった7.3%から譲歩したが、いずれにせよパレスチナ国家樹立に欠かせない土地であるとして、自治政府は要求を拒否した。

★イスラエル「鋳られた鉛("Operation Cast Lead")作戦」

この項目は現在進行中の事象を扱っておりますが、Wikipediaはニュース速報ではありません。性急な編集は控え事実を確認し、正確な記述を心がけてください。
この記事や節の内容に関する文献や情報源を探しています。出典を明記するためにご協力をお願いします。

ガザ侵攻 (2009年)も参照

12月27日、イスラエルはハマースによる無差別ロケット弾攻撃の根絶を目的としてガザ地区を空襲し、同日だけで200人以上が犠牲者となった。これはイスラエルが6ヶ月前から(つまり停戦交渉中から)武装組織ハマスの拠点を調べ今回の軍事作戦の計画をしていたという指摘がある[18]。

2009年1月14日までの19日間で、地上戦も含めパレスチナ側で殺害された人数は少なくとも1038人[19](AFP通信、ガザ救急当局者。子供はユニセフ)を数え、第三次中東戦争以来最悪の数である。イスラエル側の殺害された人数は13人(イスラエル政府筋、ただし味方の誤射で死亡した4人を含む。3人は民間人。ハマース側は、地上戦で10人を殺害したと主張[20])。地上戦突入後は救急車が現場に向かえず、死者の実数は把握し切れていないという。

国際連合も、攻撃に巻き込まれた。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)によると、イスラエル軍のガザ侵攻で、約15000人の住民が自宅を失うなど難民化し、国連が設けた23箇所の避難所に収容中と発表した。避難所のうち、国連が運営する学校はイスラエル軍の砲撃で、少なくとも48人が殺害された[21]。イスラエル側は、死者に数人のハマース戦闘員が含まれていると発表したが、UNRWAガザ事務所のジョン・ギング所長は「学校に戦闘員などいなかったし、校内からの攻撃もなかった」と反論した。またイスラエルは誤爆したことを認めたとジョン・ギング所長は語っているが、イスラエル軍は、誤爆を認めておらず、学校に導火線が張り巡らされているのを軍用犬が見つけ、ハマースの攻撃があったと兵士が証言している。
1月8日には、UNRWAの輸送トラックがイスラエル軍に砲撃され、1人が殺害された[21]。UNRWAは、イスラエル軍が職員の安全を保証するまで活動を停止すると発表[22]したが、1月9日にイスラエル政府から安全確保の保証が得られたとして活動を再開した。ヨルダン川西岸地区では、ガザ侵攻に抗議したパレスチナ人1人がイスラエル軍に射殺された。

1月9日、国連人道問題調整事務所(OCHA)は、パレスチナ自治区ガザ地区のガザ市近郊のザイトゥン地区で5日、イスラエル軍が約110人のパレスチナ人市民を1軒の住宅に集めた上でそこに戦車で複数回砲撃を行い、子供を含む約30人が死亡したと発表した[23]。

イスラエルのニシム・ベンシトリット駐日大使は2008年12月28日、「われわれは国民を守るために、ハマースの施設への攻撃実施を決めた。(ハマースが)何らかの対応をとった場合は、われわれも考え直すだろう。しかし、彼らが攻撃を続けるなら、われわれも攻撃を続ける」と主張した。

12月29日、米国家安全保障会議のジョンドロー報道官は記者団に「米国はイスラエルに自衛が必要であることを理解している」とイスラエルの正当性を擁護し、今回の事態の発端となったハマースの攻撃停止を要求した。イギリス、ドイツもイスラエルの自衛権の発動であると認め、さらにエジプトやパレスチナ自治政府さえもハマースの暴挙を非難している。ハマースは自治政府とエジプトの態度に「裏切り者」と反発した。また、エジプト情報当局は12月26日夜、48時間以内の攻撃はないであろうとの予測をハマース側に伝えていたが、ハマースが挙行した警察学校の卒業式会場などが空襲の格好の標的となり、死者を増やした。そのため、ハマースは「エジプトに騙された」と非難した。

一方、湾岸協力会議首脳会議は12月30日、イスラエル非難を声明した。国連の潘基文事務総長は29日までに連日双方に停戦を呼びかける声明を出したが、事実上黙殺されている。日本は12月31日、麻生太郎首相が民間人の犠牲に遺憾の意を表明し、イスラエルに対し速やかに攻撃の停止を求めた。

2008年12月30日と2009年1月1日、フランスは人道物資搬入のための48時間の停戦案を出したが、ハマスの継続的なロケット砲攻撃を停止するためには不十分であるとし、イスラエルは拒否した。イスラエルのリブニ外相は、仏サルコジ大統領に対し、「われわれは、ガザの人道的状況をあるべき姿に維持している」と主張した。ハマースは、イスラエルの攻撃停止とガザ地区包囲解除が停戦の前提との見解を示した。

12月29日、イスラエルのバラク国防相はハマースとの「全面戦争」を宣言した。アル=アズハル大学のアブデルワーヘド教授によれば、イスラエルはガザ地区にいる記者(ジャーナリスト)に自宅またはオフィスに留まるよう通達を出し、従わない場合は攻撃目標にするとした。また、外部の報道関係者は一切ガザ地区への立ち入りを禁じられ[24]、逆にガザ地区の住民も、ハマースの実効支配を理由に、地区外への避難は負傷者の手当などの特例を除き認められていない[25]。

2009年1月2日、イスラエルは非パレスチナ人に限り脱出を許可し、約200人が退去した。

一方、イスラエル世論の空襲支持は高く、イスラエル国内のメディア・『ハアレツ』紙2009年1月1日号によると、52%が空爆継続、19%が地上侵攻を支持。停戦支持は20%だった。また、2月に予定されているクネセト総選挙の議席予想では、空爆直前の調査では与党は定数120中55議席だったが、60に伸ばす見込みであるという[26]。このため、攻撃は一説に2006年のレバノン侵攻失敗や自身の金銭スキャンダルを帳消しにしたいオルメルト暫定首相[27]ら与党側が仕組んだ「選挙対策」ではないかとする見方も出ている。 [28]

1月3日夜、イスラエル軍はガザ地区の地上侵攻に踏み切った。イスラエル軍はガザ地区に三方から侵攻し、ガザ地区を三分断。ガザ地区最大の都市ガザ市を包囲した。地上侵攻作戦は報道管制を敷いており、規制解除前に報じたイランの記者を逮捕した[29]。国連の潘事務総長はオルメルト首相に「深い懸念と失望」を伝え、攻撃の即時停止を求めた。パレスチナ自治政府とエジプトも地上戦開始に非難声明を出した。リビアが国連安保理にイスラエルを非難する停戦決議案を出したが、米英の反対で採決には掛けられなかった。フランスを中心とした欧州連合は停戦を働きかけたが、イスラエルは拒否。しかし、欧州連合はイスラエルとアッバース大統領の自治政府とは交渉しているが、ハマースを「テロ組織」とする立場から、ハマースへの直接交渉は一切行っていない。イスラエルも同様である。双方は実質的にエジプトを介して停戦交渉中である。

米国ブッシュ大統領は1月5日、「自衛を望むイスラエルの立場を理解する」と述べ、イスラエルが目標を達成するまで攻撃を支持する構えを見せた。一方、米国は停戦の条件として〈1〉ガザを実効支配するハマースのロケット弾発射停止〈2〉エジプトからガザへの武器密輸ルートとなっているトンネルへの対処〈3〉ガザとイスラエルとの境界にある検問所の再開を提示したが、ハマースはイスラエル寄りであるとして拒否した。ハマースは同日、エジプトに外交団を派遣した。ベネズエラは1月6日、イスラエルへの抗議として、イスラエル大使を追放した。

1月7日、人道物資輸送のため、イスラエル軍は隔日で3時間の攻撃停止に行なった。これによりガザの住民はごく短時間ではあったが、安堵するときが与えられた。しかし困難な状況は変わっていない。

1月8日のイスラエル軍によるUNRWAへの攻撃は、攻撃停止されているはずの時間帯であった。同日、国連安保理は英国提出による双方に「即時かつ永続的停戦を求める」決議を採択した。米国は拒否権発動を見送り、棄権した。しかし、当事者は停戦決議を無視した。また、米国の上下院は相次いでイスラエル全面支持の決議を行った。1月13日、ガザ市で地上戦に突入した。

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「夫婦論」をもっとやるべし  文科系

2009年01月15日 20時16分23秒 | 時事問題
数日前、テレビで城山三郎の「そうか、君はもういないのか」をやった。そのことをきっかけにして、関係している別のブログで「夫婦論」が話題になった。僕は、こんなことを書いたものだ。

「夫の方からの『夫婦論』が、日本は決定的に少なかったと思います。妻が『水か空気』になっているからなのでしょうね。しかも、社会的に地位の高い男ほど、『妻は水か空気』度合いが高いから、余計に『夫からの夫婦論』が社会の表面に出てこなかったようです。
一昔前は『妾の存在は男の甲斐性』などとうそぶいた政治家もいて、社会的地位のある人ほどそういうことも多かったようです。
こういう日本的夫婦史は子供たちにも決定的に悪いことだと思います。そういう夫婦をみて育つのですから、結婚に実のある夢が描きにくいのではないでしょうか。結婚や結婚式の、マスコミが作る『夢』や『ノウハウ』に踊らされる消費者である若者ばかりが多いようにも見えます。
僕は連れ合いの方が僕よりも早く逝くと思ってきました。僕がもうすぐ68歳になる今でも、10キロランニングをやれて細胞と循環器が若いのに、対して連れ合いには糖尿病がありますから。連れ合いは、長生きできにくい先天性の病気であって、僕の細胞と循環器の若さは、ガンや脳卒中になりにくいということです。
僕は相当わがままで、時には自分勝手なようにも生きてきたし、それに対して、完全共働きの連れ合いが相当がんばって、また生活の力もあり、いろんな幸せをくれた分、母をしっかり看取ったようにしっかり看取りたいと思ってきました」

ここに書いたことは、とても大事なことだと思ってきました。なお、連れ合いに頼らず僕が母を看取ったときのことは、このブログの07年2月15、17日の小説「歩く」をご覧下さい。

みなさん、ちょっと断片的でも良いから、夫婦論を聞かせてくれませんか。


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